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青い心臓が打つ。

呼吸ができなくなって、急患で病院に行った。
本当は午後診療はやってなかった。
常識からいうとダメなんだと思う。
でも、地球の中で生活するにあたっての基本のこの常識にあてはめることができないほど、
私は辛い状態にあるんだ。
私は社会や家庭の中どころか、
必要なところは緊急病院。
だからこそ受け入れることできちんと前に進まないとと思った。
生活を人は営むから、本質より物質を重んじる。
そうすると我慢をする。
我慢は一人で戦ってると思い込むこと。
本当の強さはいつも穏やかで人がそばにいる。
だけど、我慢をして、
人は人を見下す。そうしないと自分が保てないと知ってるから。本質は難しいものだからそれより簡単な物質に、頼る。なぜ簡単か、は、
本質は目に見えなくて物質は目に見える。
目に見えるものは脅威を上手く表現できる。
空しいドーナツみたいな感じだけど。

私は辛さを知るたび、
人にキレられると
人の怒りと見せかけた、
"人の我慢"に心を痛めた。
戦争への憎しみも、簡単には負の感情など
説明がつく。けど、
周って考える🟰球体というイメージで考えてしまえば(宇宙論)、
自分は一人だけで戦って頑張ってるんだという姿を目の当たりにして
嫌な気分になるのだから、それは人類愛としての労りそのもの。

我慢を見分けるためには
してあげた"のに"。
のにがつくものだとわかりやすく説明できる。

実感としては苛立ちがある。
でも心では
人が一人で戦ってるのを悲しめる共感力を持ってて、
調和したい、一つになりたいって、
思ってると絶対に信じる。

常識を学ぼう。
だけどそれは、ドアノブを付ける意味として。
未来の扉を開ける為に、
掴める場所が、人間が基本的な生活のきまりを重んじたその常識。
そこを捉えて、自分の心の力でドアを開け、
風景、情景を集めていく。

常識的ではない自分に傷ついた。
頑張ってる"はず"なのに(私も我慢してるんだな...ご苦労様だね。)
言葉とかトーンとかで傷ついた。
だけどそれ自体がドアノブなのだから仕方ない。ドアの先の風景ではないから、悩むより、
賢く学び、教訓にすべきだ。
むしろ反面教師などつけずに、それを人生哲学の赤線ラインをひこう。
心が揺れるほど学びなんだから。

頑張る。
常識を作ってく。
だけど常識なんて(ドアノブとは)人の輪の中でしか作れない。
常識は我慢ではないから。(それホッとする)
人とその先のものを共有するために
現在地点で理性を持ち(知の生き物だからね)
みんなで支え合いながら高みに行くためにね。

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