【住宅と建築】00_実家を新築した話と新マガジン
2016年の年末、祖母から電話があった。
「実家を新築するから」
私が育った埼玉県にある実家は、駅から徒歩25分とかなり不便な場所にある。郊外では珍しくないことなのだが、80歳を過ぎた祖母にとって、徒歩25分という道のりは果てしなく遠い。
「駅徒歩3分のところに、敷地を見つけたから、そこを買って新築する」
建築条件付きの敷地で、施工も兼ねた不動産の会社で、どうやら設計もその会社が行うらしい。
「孫に設計を頼むと言っておいたから」
電話の内容を簡単に書くとそんな感じだ。
2016年の年末。突然私は実家の新築の設計をすることになった。
もっとも家族の要望を聞いて平面図、立面図、断面図と仕上げ表を作成し、こだわりたい箇所の詳細図をスケッチする程度で、実施設計はもちろん確認申請は不動産なのかハウスメーカーなのか工務店なのかよく分からない会社にお願いしたのだが。
「設計はあなたに任せるから。取り敢えず正月に帰って来た時に詳しく話すよ」
そう言って電話を切った祖母は嬉しそうだった。
2017年年始から、私は実家の設計を行った。
まずはいつも通り会社でやっているのと同じように、施主である家族の要望をヒアリングする。
屋上デッキが欲しい。吹抜けのあるリビングが良い。車は2台おけるようにしたい。5部屋欲しい。
50平米の敷地にはなかなか厳しい要望である。
外観のイメージと数案のスケッチを持って、まずは家族と打合せを行った。プランの方向性を確定させるのには、それほど時間はかからなかった。
2017年2月頃からは、設計会社(ハウスメーカーに近い)と打合せが始まった。
想像していたよりも少なかったが、やはり「それは出来ません」のオンパレード。
注文住宅と言っても、カタログから家を選び、カスタマイズしていくように物事は決まっていく。
「それは嫌だ」と建築家の真似をして言ってみると、「金額が上がります」と。
向こうにとって言えば、1番相手にしたくない客だろう。
それでも丁寧に汲み取り、設計に反映してくれた。
内装も壁紙クロスではなく、シナ合板にしてくれたし、巾木もLアングルを入れた浮き巾木にしてくれた。それに外装材もサイディング(ハウスメーカーのほとんどがこの外装)ではなく、ガルバリウム鋼板にしてくれた。
ハウスメーカーを否定する気は全くない。
現に今の日本の風景を作っているのは、ハウスメーカーだし、システマチックに合理的に安全に質の高い住宅を供給していることは認めなければならない。
そしてそれが売れているのだから、現代社会の流れに乗っているとも言える。
1970年代、建築家はハウスメーカーをこぞって否定していたが、今は公に非難する人は少ない。
それにはハウスメーカーが誕生した時代背景や日本特有の社会情勢、誰もが分かりやすく魅力的と感じる購買戦略があった。
戦後の住宅供給難に建築家も大量生産を目的とした住宅の工業化に挑戦していた時代がある。
量の時代から質が求められる時代に変化した時もハウスメーカーは、次々と斬新なアイデアで生き残って来た。そして今や主流となっている。
住宅の歴史的背景、住宅と建築家と都市、そしてこれからの時代に必要な住宅とはなんなのか。
珍しく、真面目に、【住宅と建築】についてのマガジンを書いてみようと思う。
何話になるか見当も付いていないが、出来る限り分かり易く、【住宅】の歴史から魅力まで伝えられたらと思っている。