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都水のノスタルジア_第5話 【建築なんてつまらない】大学1.2年生のこと
高校3年の時、数学が一番得意と理由で理系に進んだ。
進路相談で来た理系大学の先生が、「文系はニート予備軍」と言っていて、当時、はかなり誇張的な反感だと思ったが、それと同時に理系の専門的な分野を専攻して、そこでやりたいことと違ったときの方が不躾だと思った。
その進路指導の先生は、当時高校3年生だった容輔たちに向けて【人生時計】の話をしてくれたのだった。
人生時計とは、人間の生涯年齢を80歳と仮定して、生まれたばかりの0歳と死を迎えるを80歳を午前0時とした場合に、「君たちは今何時だと思う?」という自己啓発に近い話文句である。
高校3年生を18歳とし18/80を時計に換算すると、今はまだ午前5時24分である。
つまり、人生まだまだこれからだ。と言う概念である。
20歳、つまりは午前6時になって、眠りから覚める。それまでは夢の中で良い。
20歳になって初めて社会に対して活動を見せる時期なのだと言っていた。
つまり、仮に朝起きてから支度をして、仕事に行く通勤時間、そして業務を遂行して家に帰ってくる時間を午前6時から午後19時30分とすると、20歳-65歳までが、社会活動期間となる。
それはいわゆる会社の定時と合致するのである。
0-20歳までは夢を見る期間又は社会に出るための準備期間であり、65歳の定年後は明日という来世に向けてゆっくりと過ごす時間なのである。
高校3年生は、これから進路を考えていくが、まだこの先たっぷりと時間がある。だから焦らずやりたいことを見つけて行こうということ暗示している。
高校3年生の容輔がそうだったように、たいていの学生はその話に納得してしまう。
そしてゆっくりといっても、大学受験は来るわけで、なんとなくという理由と豊洲工業大学の建築学科から指定校推薦が届いていたこともあって、欅容輔は進学を決めたのだった。
親からも学校の先生からも、
「なんで?」と言われるがわからない。
なんとなく見た映画の主人公の彼女が建築学科に通っていて格好良いと感じたわけでも、小さい頃からパズルが好きだったことも建築学科に進む決定打となった理由とは少し違う。
そんなに深い意味はなかったのだ。
容輔が、今強いてネタ時に建築学科に進んだ理由をあげるのであれば、小学生の時にやっていたスーパーファミコンのソフトである「ぐっすんおよよ」というゲームである。
友達が来た時はもちろんやらないようなゲームだが、雨の日一人で黙々とやっていた事は記憶にあった。
そのゲームは、テトリスのように上から様々な形をしたパズルが落ちてくるものである。
ただテトリスと違うのは、落ちて来たブロックを並べる床には「およよ」という主人公がいるのと、画面の上のほうに扉があるのみである。
およよはゲームが始まると左右に行ったり来たり、まさに<およおよ>するのである。
しばらくするとしたから水が上がってくるので、このままだとおよよは溺れてしまう。
およよは、1段の段差なら階段のように登ることができるが、2段やそれ以上になると登れないと判断して反対に引き返すわがままなやつだから、落ちて来たブロックを並べて階段をつくったり、壁を立ち上げて階段を降りなくさせて、水で溺れるまえにゴールである扉に到達させる事が目的である。
そのゲームも建築学科に進む決め手となったというのには無理があるが、小さい頃からパズルやなにかを組み立てるのが好きだったというのは、総合的に建築へと繋がったと言えなくもない。
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豊洲工業大学の工学部建築学科に入ってから、1.2年はとにかく遊んだ。
別に建築学科が特別だとも思ってなかったし、何より高校の時は部活一筋だったから、とにかく遊んだのだ。
カラオケもボーリングも麻雀もビリヤードも授業をサボって良くやっていた。
授業なんてつまらない。
図面の模写だって上手に描けない。
毎回綺麗な図面を描いて参考として選ばれていた楓は、凄いと思っていたけど、容輔に競争心は生まれなかった。
芸術的な才能があるな。そんな単純な一括りにして言い訳していた。
努力もせずに。
「なんで建築学科に来たんだろう」
1年生の終わり、容輔は本気でそう思っていた。
大学2年生になると、これまでは図面の模写だった授業から、初めての設計の授業を履修できる。
戸建住宅の設計課題である。
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