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都水のノスタルジア_第4話 【研究室戦争】
昨夜、友弘<第二位>と行った居酒屋から製図室のいつもの席に戻って来て、容輔はすぐに眠りに就いてしまったが、朝起きて、楓と話してからは、ずっとポートフォリオの最期のまとめを行っていた。
見当たる修正を全て終えたことを確認すると、有楽町のビックカメラで購入した厚手のマット紙に印刷をする。
3年生の各課題4作品と2年生の時に行った住宅設計を載せたので、枚数は全部で20枚を超えていた。
先輩と仲の良い同級生はインクジェットのコピー機を研究室で貸してもらって印刷していたが、容輔は製図室の下の階にある複合機で印刷したため、お昼近くまでかかってしまった。
大したミスもなかったので、容輔は買ってきていたA3サイズの透明ファイルに閉じると、
「終わった・・・・・・」
とほっとため息をついた。
時計を見て、面接までには、まだ時間があることを確認すると、容輔は豊洲工業大学の目の前にあるエクセルシオールに行くことにした。
財布と携帯電話、そして先程完成したばかりのポートフォリオを持って、エクセルシオールに入る。
いつものようにカフェラテを頼み、窓際の喫煙席のに腰を下ろした。
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研究室決めは、4年生になる学生が自信の卒業設計をどの教授に見てもらいたいか、教授陣にアピールするものだ。
ただ、実際は教授陣も誰を取りたいかを事前に考えているのだ。
特に意匠系の3つの研究室の教授は、自分の研究室の学生の中から卒業設計1位を出したいと思っている。
卒業設計1位になった学生が自分の研究室所属であると給料が上がるから。
そんな迷信も学生の中の噂であるが、おそらく現実なのだろう。
だから、これから卒業設計を控えている3年生は、有名な教授の研究室に所属することで、就職活動に有利に働くという考えを持っているものや単純に実践で活躍し続けていたり、波に乗っている建築家である教授の元で建築デザインを学びたいと考えているものであるから、3年生同士の競争はあってしかるべきである。
しかし、教授陣もまた、優秀な学生に来てもらいたいと考えているのだった。
4年生である1つ上の先輩が卒業設計を終えて、就職やら大学院進学やらの新たなステージへと進んむのと同時に、その1つ年下の学生たち、つまりは3年生は同級生で自分より優秀な学生がどこの研究室に行きたがっているのか探りを入れたり、また教授同士もあの子はうちに入れたいという考えが、渦巻いていく。
そんなわかりやすく、冷たげな空気感が建築学科の新たな1年の始まりの匂いだった。
容輔が所属を希望している北里英治教授は、日本国内で誰もが知っているであろう建築家、丹下健三の事務所に10年間勤め、数々の有名建築を実際に手と足を使って作り上げてきた方だった。
戦後の日本において最大のコンペと称された東京都庁。
「圧倒的に勝つ」と宣言した丹下健三のもと、コンペ時から設計を担当し、磯崎新など数々の有名建築家の案が出された中、見事コンペ当選を果たした経歴を持つ。
設計業務では主に外観デザインを担当していたが、東京都庁の完成を機に、丹下健三事務所を辞職した。
今年60歳を迎える北里教授は、優しい口調だが凄みがある。
東准教授は、まだ若く38歳の長髪の建築家だ。
まさにデザイナーのような風貌の東准教授は、今後の巨匠候補として、日本建築会における様々な賞を受賞していた。奥さんも建築家であり、豊洲工業大学の出身でもある。
この大学の希望の星であり、各大学が教授として迎い入れる準備も出来ていると噂で聞いたことがある。
大学院を総代で卒業し、最初の3年間はパリにある建築事務所で実績を積み、日本に戻って来てからは、隈研吾事務所で働き、1年で独立していた。
南野教授は東准教授の7つ上の45歳で、東准教授と同様に本大学出身の女性建築家である。
学生時代は当時の豊洲工業大学で四天王と呼ばれ、2年から3年の全課題に全て選ばれたという噂だ。卒業設計においても他を寄せ付けない設計で当時の教授達の全員の票を獲得したという強者だ。
現在は戸建住宅を中心に活躍しているが、指導の仕方がとても上手く、建築家には珍しい教育者であり、面倒見の良さからも生徒たちの母的な存在だった。
意匠系の仕事に将来就きたいと考えている学生は、この3つの研究室から自身の所属を希望するわけである。
どの教授も甲乙つけがたく良いところがあるから、どこに行っても大きな差はないのだが、ここ数年間の卒業設計<第1位>は北里研究室と東研究室が交互に受賞していることもあって、設計ができると自負している学生は、北里研か東研に進みたがっていた。
それに学生と先生という関係とはいえ、やはり相性というものは存在する。
なんとなく奇抜なことをやりたいと思う学生は、明確な理由はないが東研に進みたがる。かと言って比較的きっちりとした建築を設計する学生が、北里研かと言われるとそうとも限らないのだが。
ただ、その教授の指導方針や考え方と自分の考え方が一致する方が、はるかに設計はやりやすい。
毎回のゼミやエスキスで自分の案をさらけ出すわけであるから、教授の好みではないコンセプトを提示しても、なかなか前に進みづらいのである。
そのため教授の特徴を理解することも大切だが、自分自身が卒業設計で何をしたいかという明確なイメージがないと研究室は選びにくいというのもまた事実である。
いっそのこと、ハリーポッターの組分け帽子のように、被るだけで自分の特性にあった研究室の名前を叫んでくれた方が有難い。
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北里英治は、豊洲までの通勤電車の中でiphoneを取り出すと、事前にメモしてあった学生の名前を確認する。
今日面接に来たら、研究室に受け入れると決めている名前である。
そこには2名の名前が打ち込まれていた。
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