都水のノスタルジア_第12話 【東京VS地元】
中間発表会から2ヶ月経ち11月になっていたが、相変わらず構想は上手くまとまっていなかった。
北里教授に言われた言葉が、頭の中を駆け巡る。
葉山にあるセミナーハウスでの中間発表会の後、4年生全員は改めて北里教授にプレゼンしていた。その時も容輔の提案は、先輩達と同様に「もう少しちゃんとまとめるように」と言う評価を下された。
更に、北里教授からはこう言われていた。
「欅くんの場合は、【テーマ】としてのやりたいことが現実の問題点との乖離があります。一度、敷地から考えて見たらどうかな?
建築と敷地は一体であるべきなので、そこを考えて見るといいよ。敷地を決めることで、そこからアイデアが出ることも大いにあります」
と。
「はい。一度敷地から考えて見ます」
容輔はそうは答えたものの、全く検討が付いていなかった。
煮え切らない顔を察知したのか、北里教授は更にこう続けた。
「どんなに面白い建物だったとしても敷地がマッチしなければ、それは【建築】ではありません。それを無視して格好の良い建物を設計するというのも可能ですが、今の時代の評価としては見合わない。ぼくはそれを評価しないよ」
「まずは君が持っている【テーマ】を踏まえて、どこでやりたいのか、そして何の用途をやりたいか。一度シンプルに考えなさい」
いつも優しい北里教授であったがこの時ばかりは、少し怖さを感じた。
容輔の焦りは日に日に大きくなっていった。
改めて読んだ本で、【建築は橋でなければならない】と言うドイツの哲学者であるマイケル・ハイテッガーの言葉に妙に惹かれたのも、北里教授の言葉を受けたからだった。
建築の概念は近代以前まで【洞窟VS塔】という議論が主だった。
しかしハイテッガーはこう言ったのだ。
「現代においては、洞窟のように内部空間のみ考えればいいと言うわけでもなければ、塔のようにただモニュメントとしてあるべきではない。橋のように地域と地域、人と人、地域と人をつなぎ、地域と人の両方のためでなければならないのだ」と。
容輔は実際に計画する敷地や用途、そんな建築に取って当たり前のことすらも考えず、漠然と構想ばかり練っていた半年間に反省した。
なぜ気づかなかったのだろうか。
後悔は尽きないが、「まだ遅くない」そう自分に言い聞かせて、方向転換するしかないと、容輔はいよいよ覚悟を決めたのだった。
「最初から考え直そう」
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以前、同期と話している時に、「敷地をどうする」という議題が上がったのを思い出す。
先輩曰く、敷地決定には2パターンが大半であると言う。
それが「東京でやるのか、若しくは地元でやるのか」と言うことだ。
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