読書録「天空の蜂」
居住地都合により、日本語書籍が近所のお店で入手出来ない。しかし、よくしたもので日本人の友人・知人より既読/不要になった日本語書籍が流れてくる。私もそうだが、皆さん貴重な日本語書籍が異国の地で、出来るだけ沢山の人に読み継がれていって欲しいと思うからだろう。回覧される日本語書籍の中で圧倒的に多いのが東野圭吾作品である。作品数が多い作家さんだからというだけでなく、やはりなんと言っても人気のある作家さんなんだろう。今回、回って来たのは「天空の蜂」であった。
作品の舞台は愛知県、福井県であり、東海出身者の私はそれだけで何だか嬉しくなる。単純なものである。話は小牧から遠隔操作によって奪取された軍用ヘリコプターが、福井県にある高速増殖炉「新陽」の上空で空中停止飛行に入るところから始まる。犯人は、ヘリコプターを原発へと墜落させない交換条件として、現在稼働中又は建設中の原発を破壊させることを日本政府へ要求しテロ事件へと発展する。
福井県の高速増殖炉と聞いて真っ先に思いついたのは「もんじゅ」である。確か事故が起きたことがあったなと思い調べてみたところ、1995年12月8日に冷却材の金属ナトリウム漏洩による火災事故を起こしていた。この事故に案を得たのだろうかと思い、小説の発行日を見てみたところ、なんと事故よりおよそ1ヶ月前の11月7日となっていた。すごい偶然があったものだなぁと思い読み進める。稼働中の原発を止める事により懸念される電力不足に対応し、計画停電が実施されるあたりは、東日本大震災による福島第一原子力発電所事故後の電力危機を思い出さずにはいられない。東日本大震災が起きたのは2011年3月11日。小説発行より15年以上も後の話である。ハイジャックされた航空機を用いたテロと言えば2001年9月11日にニューヨーク世界貿易センターが崩壊された911事件があった。一体全体どうやってこれだけの展開を思いついたものだろうと、ただただ脱帽してしまう。
脱帽といえばこの作家さんの小説に、性同一性障害を扱った「片想い」がある。作品中には両性具有の陸上選手が登場する。両性具有陸上選手と言えば、昨今話題によく登った南アフリカ共和国のキャスター・セメンヤが居るが、この小説の発行は2001年3月30日。セメンやの活躍よりもずっと以前に書かれている。着眼点が素晴らしいのは言うまでもないが、作品を書く為にしたであろう、下調べの量とその熱心さに敬服する。東野圭吾やるなぁ。
天空の蜂は原発を反対する立場から書かれてはいない。推進する立場から書かれているわけでもない。ただ原発の存在を一人一人の人間が真摯に受け止めることを提案している。これは原発に限ったことではないと思う。私も含め日本人は、物事において自分の立ち位置を明確にせず、傍観者に成り済ます傾向がある。その方が楽であるし、安全であると思うからだ。自分一人が関わるぐらいでは何も変わらないとみなすかもしれない。しかしそれは怠慢である。無視や放棄は罪だ。忘却も然り。
いじめ、差別の事実を認めない。プラスチックゴミ問題を認識しない、ゴミをポイ捨てをする。安価な商品を求め人件費の安い外国で生産された輸入品に頼る。福島第一原発の事故は過去の話。コロナ禍の中、ウィルスの矢面に立って働く医療従事者や小売店従事者、配達行従事者等をあからさまに避ける。選挙を棄権する。地球温暖化は存在しない。見なければいいのか。本当にそうであろうか。認めたところで何等変わるわけないのか。いや認めるところから初めて行くべきではなかろうか。物事を、自分の目でありのまま見つめて行くことから初めて行けたらいい。そう神妙に考えながら本を読み終えた。