見出し画像

音楽を所有したい

はじめての

はじめて買ったCD。あと数年で誕生から半世紀を迎える身としては、遡る時間が長すぎて思い出すのに暫くかかってしまった。もう諦めて初めて買ったレコードについてでも書こうかとも思ったのだが、確か初めて買ったレコードは当時好きだった漫画のLPレコードだった気がするなぁ。もういい大人になってしまっているからには小っ恥ずかしいなぁと思っていたら、ふと思い出した。デビー・ギブソンのエレクトリック・ユースというアルバムだった。まぁ、これはこれで、主にパンクやハードロックを聴いている今となっては小っ恥ずかしいか。はじめて手にしたCDのキラキラとした輝き、傾けると見える七色の虹に当時の私はうっとりしたものだった。

CDが市場に出回り始めた当時、誰だったかは失念してしまったが、笑点の番組内でCDネタを披露した落語家さんがいた。カセットやレコードにはA面B面と記録面が2面存在する。ところがCDは1面しかない。だからAでもBでもなく「CD」なんだというものであった。うまいこと言うねと笑ったは良いが、実際CDが何を意味するのか知らなかったため急いで調べた覚えがある。

因みにはじめて自分一人のために音楽を所有した際のフォーマットはカセットテープである。中学生になった頃であっただろうか。FMナイトフィーバーなるディスコ音楽を流すラジオ番組があり、父親が聴く音楽とは違った底抜けに明るい能天気な音楽にウキウキした。放送時間にはラジカセの前に構えて録音ボタンを押し、録音したテープを何度も何度も聴いていた。オーディオ好きの父はクラッシックからフォーク、ジャズ、ポップ、演歌と色々な音楽をかけてはいたが、ディスコ音楽とロックには食指が動かないようだった。

CDの台頭と衰退

それまで音楽はテープかレコードで聞いていた私にとっては、針をレコードに載せ損なって傷をつけ父に怒られる心配がなく、収納場所がレコードほどいらない、且つ保管状態に気を使わなくても良いCDは画期的な文明の賜物。飾るにはLPジャケットに比べて小さいCDケースは少々寂しい気もするが、簡便さの犠牲には致し方ないと思ったものだ。レコード派の父はやっぱり(CDは)アナログ音には負けるねぇとぼやいていた。まさかそのCDが消えていくとは! 若い頃、視聴のために何時間も居座っていたレコード店が徐々に姿を消すようなことになるとは!

若い頃観た映画にエンパイア・レコードというものがあった。地方の老舗レコードショップで働く若者たちが、全国チェーンの大手レコード店の買収から自分達の店を守ろうと奮闘するドタバタ青春映画である。あの映画におけるワルモノは大手レコード店だったわけだが、実際にレコード店の存亡を決めているのは、老舗の個人レコード店が沢山消えていったあの頃も、ストリーミングの普及によるCDの衰退の今も、結局のところ安さや利便性を求める私達消費者の影響が大きいんだろうなぁ。まぁ一概には言えないとこなんでしょうが。

やっぱりCDが好き

音楽を所有しない時代に逆らい音楽を媒体上で所有したい私。まぁ要は私の頭が硬いだけなんだろうが。電源を入れなくても目で見える記憶媒体が並んでいて欲しい。収納場所は取られるのだが。書籍にしてもそうである。

何か聴きたいなと思った時にずらっと並んだCDの前に立つ。するとうまい具合に、「そうそう今はこれを聴く気分なんだ!」、と思えるようなCDの背表紙が目に飛び込んでくる。おそらく潜在意識で何処に何があるのかを把握している為なんだろう。また、棚を整理している時にすっかり忘れていたCDを再発見する事もある。それを再生して耳を傾けるのもまた乙である。

もちろんYouTube やSpotifyでも音楽は聴くのだが、おかしなものでラク過ぎて味気ない。ケースからCDを出してプレーヤーに入れるという地味で、ともすれば煩わしい作業がある意味儀式的で愛おしい。やっぱり懐古主義なだけなのかな。

ところで、先日ラジオを聴いていた際、音飛びが起こった。実に久しぶりに聴いた針飛びループ再生。この曲はレコードから再生されていたんだなぁと、思わず微笑んでしまった。ラジオのパーソナリティも「番組中レコードの針飛びを聞いたのは久しぶりですね。」と述べていた。レコードも手間がかかって、個性があって良いよね。あぁ、そう言えばレコードの売り上げはCDよりも伸びていると聞いたなぁ。

#はじめて買ったCD

この記事が参加している募集