見出し画像

コーカサスに興味を持った経緯について

 なぜ、自分はコーカサスに興味があるのか、いまいちうまく説明ができないのですが、実際のところ、中学生のころ、社会科の地理の資料集に、ソヴィエトから独立した民族の写真が勢ぞろいで並んでいたのを見たことがきっかけだったように思います(音楽にはもう少し後で興味を持ちました)。その資料集は、大切に保管していたのですが、どこかへいってしまいました。
 残念ながら出版社も忘れてしまいました。東京書籍かどこかだったか?中央アジアの人とか、アルメニアとかアゼルバイジャンとか、いろいろな写真があった記憶なのですが、なぜかチョハを着ているグルジア人(当時はグルジアです)に目がいってしまいました。おそらく、宮崎駿のあのアニメで既視感があったからだと思います。
 その後、暇だったので、身近にあった小学館の百科事典『日本大百科全書』で、さっそく「グルジア」について調べてみました。そこには、未知の言語、カルトゥリ語を話す民族のようなことが書かれていた記憶です。カルトゥリ語のことが気になって、さらに大きな図書館に行って、平凡社の『世界大百科事典』で、「グルジア文字」について調べてみました。
 なんと、平凡社の百科事典には、あの文字まで載っていました。グルジア文字を初めて見た感想は、古代の文字のようで、失礼ながら、現在も使われているとは思いませんでした。宮崎駿のあの漫画に出てくる古代世界の文字はこんな文字だったのかもしれないと想像しました。
 さらに小学館の『世界大地図鑑』で、「カフカス(コーカサス)」のページをチェックしました。黒海とカスピ海に挟まれた地域には、グルジア以外にも、アドゥイゲ、アヴァール、オセットなど、似たような服装の人々が暮らしていることを知りました。煌びやかな文化を持つ一方で、紛争が多発する地域であることも知りました。
 当時、第一次チェチェン戦争がニュースになっていた記憶です。NHKで夜中に放送されることになったセルゲイ・ボドロフ監督の『コーカサスの虜』を、さっそく観ることにしました。当時、内容が理解できたかどうかは分かりません。現地の言葉が分かるようになってから、あらためてこの映画を観ると、チェチェンのムッラーが、グルジア語で喋っていることに気づきました。チェチェン人の俳優を起用することはできなかったのだろうけど。
 グルジアとコーカサスに対する熱はその後もしばらく冷めませんでした。宮崎駿の漫画を読みながら、風の谷はグルジアで、ペジテはアドゥイゲ人の国あたりか、トルメキアはロシアっぽいな、ドルクはテュルク人の国だろうか?と妄想に耽っていました。誰も当時、そんなネタが分かる人は周囲にいませんでしたが。
 なぜテュルクについても知っていたのかというと、百科事典で「グルジア」→「クルジャ」(新疆ウイグル自治区のイリ地方の都市)と繋がってしまい、そこからテュルクについても知ることになったからです。
 中学生だった当時、図書館にあった、ロレンス・ヴァン・デル・ポスト著、 佐藤佐智子訳『ロシアへの旅』(平凡社、1974年)のほか、原卓也監修『読んで旅する世界の歴史と文化:ロシア』(新潮社、1994年)も読みました。これらの本は、タイトルに「ロシア」とありますが、何かコーカサスについても書かれているのではないかと思ったからです。自分の直観は当たっていました。原卓也監修の方では、キンズマラウリやムクザニといったワインの銘柄についても紹介されていました。おいしそうなシャシリク(グルジア語ではムツヴァディ)の写真もありました。早くワインが飲める大人になりたいと思いました。
 現地に初めて渡航できたのは、それから約7年後のことでしたが。そこには、ミト爺(ディミトリの愛称)さんとか、そんな名前の人もいて、やはりここは風の谷かと思ってしまいましたが。自分の場合、国際政治に関心があるとか、グルジア語の文法が興味深いとか、文学や映画が好きだとか、コーカサスの民族にルーツがあるとか、そういったアカデミックで誰もが納得するような動機ではなく、オタク的な感覚でこの地域に興味を持ったところもあるような気がします。

いいなと思ったら応援しよう!