トビリシ音楽院の思い出
かれこれ10年以上前、大学院生の端くれとして、トビリシ音楽院に留学していました。正直言って、現地ではけっこうふらふらしていて、留学というよりも、遊学と言った方がふさわしかったように思います。
音楽院、コンセルバトワールと名を掲げる教育機関は、モスクワ音楽院を筆頭に、旧ソ連の各地にあるのですが、多くの場合、ピアノやヴァイオリン、声楽、作曲、音楽史・音楽理論(音楽学)のコースが設けられているように思います。カザフスタンをはじめとする中央アジアの国やアゼルバイジャンには、ドンブラやタールをはじめとする伝統(民族)楽器の専攻もあるようですが、ジョージアの場合は、チョングリやパンドゥリなどの伝統楽器やポリフォニーをはじめとする伝統音楽の専攻はコンセルバトワールにはありません。
こうした民族間、地域間の音楽の教育システムの違いには、ロシア革命前の西洋音楽の受容状況が関係しているといえます。モスクワ音楽院にも伝統音楽のコースは設置されていないと思いますが、音楽史や音楽理論のコースでそういったテーマを研究することは可能だと思います。トビリシ音楽院でも音楽史・音楽理論のコースで伝統(民族)音楽を研究することは可能です。エレヴァンの音楽院にも伝統楽器の演奏コースはないのではないかと思います。革命前から西洋音楽の受容(オペラ劇場が開設され、作曲家を輩出し、民謡の収集が行われた)が進んでいた地域(ジョージア、アルメニア、ロシア、ウクライナ等)は、伝統(民族)音楽と洋楽の差異化が進んだのですが、そうではなかった地域(中央アジアは洋楽の受容が遅かったようですが、アゼルバイジャンは帝政期に都市部では洋楽の受容がけっこう進んでいたような印象も受けるが)は、ソ連期以降、伝統(民族)音楽の近代化(西洋化)に積極的なこともあったため、音楽院に伝統(民族)楽器の演奏コースが設置された、と考えていいのではないかと思います。こんな適当な説明では、専門家から批判もありそうですが(ちなみに、ジョージアの人は、旧ソ連という括りで、自らの文化を論じられたくないことも多いです)。
音楽院に伝統音楽の演奏コースが設けられている方が伝統(民族)音楽を活性化させることができるだろう、あるいは、伝統音楽の専門のコースがない方がアカデミズム、プロフェッショナリズムが幅をきかせることなく農村の古い音楽を保存することができるだろう、さまざまな意見があると思いますので、どちらがいいとか、一概にそういったことは言えないように思います。ただジョージアについて言えることは、ソ連時代を通じて、音楽院に伝統音楽の専門の演奏コースが存在しなかったため、地方で演奏される民謡に価値が見出され、最も早い時期のユネスコの世界無形文化遺産の登録(2001年)に繋がったのではないかと思います。もちろん、音楽院の音楽理論のコースに設けられたフォークロアの研究室によってソ連時代を通じてジョージア各地の伝統音楽が録音され、研究されてきたことも、世界無形文化遺産に登録されるうえで重要な役割を果たしたと思います。私はそのフォークロアの研究室の片隅に在籍させてもらったわけです(厳密に言うと所属は微妙に違ったのですが)。
音楽院のフォークロアの研究室でお世話になったのはナト・ズンバゼ先生です。個人的に、彼女のジョージアの伝統音楽に関する講義は、けっこう賛否両論なところもあるのですが、聴いていると本当に彼女はジョージアの音楽が好きなんだなということが伝わってくる濃い内容で、楽しくなってくるので個人的には好きです。以下はトビリシで活躍するスヴァン人の若者のフォーク・アンサンブルと一緒にテレビに出演しているナト先生の様子。
彼女の研究室には大学院生も何人か在籍していました。ジョージアの音楽院は、どちらかというと、トビリシで生まれ育った裕福な家の学生が多い印象でしたが、奨学金の制度もあるようで、さまざまな経済状況の若者に門戸が開かれている印象を受けました。もちろん、地方出身で、トビリシに下宿している学生もいました。基本はリベラルな雰囲気で、ヨーロッパのごく普通の音楽大学といったかんじで、英語が得意な人も多く、ロシア語を話す学生はあまりいませんでした。
自分はちょっと民謡に飽きてくると(失礼)、ピアノ専攻の学生と話すこともありました。下手なのですが、昔ピアノを習っていたことがある自分はクラシック音楽オタクでもあるので、知っている曲についてピアノ専攻の学生といろいろと話しました。ある男子学生は、卒業後は音楽学校の先生になるのだろうと思ったら、修道院に入ると言っていてびっくりしました。ジョージアでは男女問わず、音楽院を卒業した後、修道院に入る人がけっこう多い印象を受けます。日本だと、お坊さんになるような感覚だと思いますが。
エリソ・ヴィルサラゼといった著名なピアニストを輩出しているジョージアは、もちろんヨーロッパのクラシック音楽が盛んな国なのですが、国産の音楽(20世紀以降なので広義の「現代音楽」という括りになるのでしょうか)もたくさん生み出してきた国です。ギア・カンチェリはジョージアで一番有名な作曲家だと思いますが、トビリシ音楽院の教授を務め、ソ連時代のグルジアの文化大臣として活躍したオタル・タクタキシュヴィリTaktakishvili(1924-1989)も世界的に知られる存在です。
いかにも紋切型のソ連型の作曲家といった評価を国内外から受けることもあるタクタキシュヴィリですが、私はけっこう好きな作曲家の一人です。タクタキシュヴィリによるピアノ協奏曲2番(1973)の第一楽章の冒頭の主題は、ジョージアの北東部山岳地帯の挽歌の旋律のように聴こえます。中間部の十六分音符の連打が印象的な曲です。
タクタキシュヴィリはこの曲を含め、4つのピアノ協奏曲を作曲しているようです。
ジョージアのみならず、アルメニア(コーカサスの中では一番メジャーな作曲家が多い)、アゼルバイジャン、ダゲスタン、オセチア、アディゲ、チェチェンなどの南北コーカサスには知られざる現代音楽の作曲家がたくさんいます。多くの場合、彼らの作品には、民謡の旋律が用いられています(原形をとどめていないケースもあるのですが)。できる限り、おいおい紹介していきたいと思います。
以下のタクタキシュヴィリの『トッカータ』(1955)のリズムはアチャラ地方の五拍子の舞曲ホルミのリズムのように聴こえます。
こちらはアレクシ・マチャヴァリアニMatchavariani(1913-1995)作曲『ホルミ』(1939)の演奏。より分かりやすいかと思います。マチャヴァリアニはシェイクスピアの悲劇に基づくバレエ『オテロ』(1957)で有名な作曲家です。
こちらはアンドレア・バランチヴァゼBalanchivadze(1906-1992)による『ノクターン』(1948)。どこか子守歌『イアヴナナ』の旋律のように聴こえます。