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1998 -25歳の声明-

まるで世の中の厳しさなんて何も知らなかった頃みたいに

全力ではしゃいで

全力でふざけて

笑って、笑って、笑って。

だけど私たちはもう25歳。

これまでの人生も、心に秘めてきた苦悩も、想いも、情熱も、葛藤もあった。

一緒に子供の頃みたいに戻ってくれたのは、
そして、心に秘めたものを受け取ってくれたのは、たまたまここに集まった21人だった。



初めましてから、“同級生”であることの安心感は想像以上だった。

この眩しすぎる笑顔の素敵な美しいお姉さんも25歳…
あの強そうでイケイケそうなお兄さんも25歳!
ナチュラル派の雑誌のモデルしてそうな小洒落たお姉さんも25歳…!

なんだかうれしかった。

ほとんどが初対面だったのだが、なんかもう初対面の人は全員年上に見えてしまうくらいかっこよくて。それぞれに芯が一本通ってそうな人ばかりだった。

それが、みんな同い年なのかー...と思うと、一気に力が抜けて、嬉しくて、誇らしい気持ちになった。行く前はあんなに警戒してたのに。

行く前は、みんな絶対すごい人ばっかで、私なんか場違いじゃないかな。劣等感に押しつぶされないかな。卑屈モンスターになってみんなの邪魔しちゃわないかなって。

なんていうか、


すっっっごく不安だった。




私たちに与えられた時間はたった二日間。
正確に言えば1日と半分。
主催の2人が作ってくれた場を、ただただ全力で楽しみ、はしゃいで、踊って、歌って、考えながら、あっという間に時間は過ぎていった。

その中で、みんなの心の内を吐き出す時間があった。


誤解を生みそうな表現をするけれどあの感情に当てはまるものがこれしかない。

それを聞きながら私は、本当に、どうしようもなく純粋に、ただただみんなのことを抱きしめたいとおもった。愛おしいと思った。

だって、あんなに子どもみたいにキラキラした笑顔で、全力で一緒にはしゃいだ同級生たちが、こんなに真っ直ぐに自分自身と向き合って、大切な誰かと向き合って、自分の弱さや本音と向き合って、心からの言葉を聞かせてくれた。
これを愛おしいと思わず、なんと思えばいいんだろう。

25歳のこの二日間に、たかが、同じ年に生まれただけのたまたま集まった21人が、遊んで、語り合って、秘めた決意を口にした。それだけのことが、こんなにも心に残るなんて。こんなにも心が動くなんて。

特別な二日間を、あの21人で過ごせたこと、そこに私が居られたことが本当に光栄で、幸せで、感謝の気持ちでいっぱいだった。みんなに感じるのは愛おしさと誇らしさで、劣等感、コンプレックス、場違いなんじゃないかとか。そういう思いの全てはみんながかき消してくれた。


たかが同じ年に生まれただけ、と書いたけれど、同級生ってやっぱり、特別で。同じ年に生まれて同じ年数を生きてきた人たちで。同じ時間軸を同じだけの量すごしてきてるのに、みんなそれぞれ違う場所で、違う環境で、違う経験をし、違う葛藤や苦しみ、喜び、悲しみを感じて生きてきて。
でもその中に、同じ出来事が起きて、同じ文化があって、同じことで盛り上がって。同じことにショックを受けて。同じ時代の中で生きてきたからこその、心の底から共感する悩みがあり、共鳴する想いがあったりする。心の底から響きあう感覚があったりする。

それは、思っていた以上に、とても面白くて、すごくうれしくて、本当に、心強い。

最後にそれぞれが語ったのは、今私たちが大切にしたいこと。
初日にそれを最後に話してほしいとだけ言われて二日間を過ごした。
はしゃぎながら、ふざけながら、語り合いながら、それぞれに自分自身のそれと向き合った。

私たちの大切なもの。それは。

挑戦、仲間、愛すること、自分自身、幸せ、出会いと感謝、人間らしさ、
素直さ、今を生きること、今の声を聴くこと、自分らしく生きること、思い出、家族、価値を残すこと、ワクワク、感情、人とのつながり、自分らしくあること、美しい人であること、愛を巡らせること。


私が言葉にしてしまうとニュアンスが変わるけれど、私が言葉にして残しておきたかった。どれにもその人にしかない想いと葛藤と記憶と決意と温度が込められている。それはその場にいて聴いた私たちだけの宝物だ。

これがすべてじゃない。私たちの一部。とても大切な一部分。



同じ年に生まれて、25年それぞれの人生を生きてきて。今こんなことを感じてる。こんなことを願ってて、こんな苦悩があって、こんな葛藤があって、こんな決意があって、こんな情熱がある。それを直接同じ空間にいて、同じ温度を感じながら聴くことができた。それはどんなに価値のある物にも変え難いことなんじゃないかと思う。

たかが2日、されど2日。忘れられないし、忘れちゃいけない。忘れたくないと思った。

思い出も、感じたことも、決意したことも、あの場に置いていくんじゃなくてちゃんと持って帰ってきた。大丈夫、私にはあの二日間がある。あの二日間を一緒に過ごしたみんながいる。ちょっときれいごとくさいけど、本気でそう思える人たちと出会えたことが本当に幸せだと思う。




いろんな幸運に連れてきてもらって、こんなに素敵な経験をもらった。
あとはわたしがどうするか、どう歩んでいくか。
まだ何も決まってないけれど。
でも、あの20人と、いつでもまた会おうって言って、また会えるような私でいたい。みんなに恥じない自分でいたい。それだけは本当に強く想う。

頑張りたい。頑張ろう。



1998年4月〜1999年3月

そんな時代に生まれた私たち。

混沌とした世の中で、

荒波をどう切り抜いていくかは自分次第。

大きな船はもうなくて、一人一人が自分の船をつくって漕いでいく。

あの頃子供だった私たちは、今のこんな私たちを想像していただろうか。

いや、していなかった。もっとかっこいい大人になっていると思っていた。悩み苦しむことなんて想像してなかった。

あの頃無邪気に走り回っていた私たちはもういなくて。

今ここにいるのは、思ったよりかっこよくないかもしれなくて、バカみたいに悩み苦しんでる私たち。

どんな道をゆくも自分次第。
どんな選択をするも自分次第。

そんななかで恐れ慄き、ときに足が震え、挫けそうになることもある。

懸命につくった船が転覆しそうになることだってある。

光の見えない海をただ孤独に漕いでいくこともある。

それでも、私たちは1人じゃない。

同じ年に生まれた仲間がいる。

私たちはいつも大人じゃなくたっていい。

ときに思いっきり子供に戻ってみよう。

私たちは立ち止まったっていい。

周りを見渡せば、進んでいたときに見えなかったものが見えてくることだってある。

大丈夫。

そのままで、進んでいこう。

悩んでも苦しんでももがいても、足が震えても、転んでも、泣いても、

私たちは、美しい。

企画して、準備して、大変なこと全部担って、大袈裟じゃなく全身全霊で挑んでくれた主催者2人。参加者19人。誰よりもこのイベントを、みんなの姿を、必死に残そうと奔走してくれたカメラマン。そんな21人でとにかく最初から最後まで全力ではしゃいで、全力で声を出して、真剣に自分自身と向き合って、真剣に相手と向き合った。
21人全員が全力で作り上げた『1998-25歳の声明-』

大袈裟じゃなく、人生の宝物になったよ。

本当に、ありがとう。愛してます!

2024年1月26日

(2024年1月20,21日の記録)

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