
アイラヴユー
戸惑い。ライブが終わったあとの、私の感情を総括すると、これになる。
それくらい、心があまりにも沢山の感情や、感覚で溢れかえり、処理しきれていなかった。大げさに聞こえるかもしれないが、本当に、そうだった。しばらく気を抜くと涙が出て、他のことも考えられないような状態で、帰り道は友達にだいぶおまかせしてしまっただろうから反省している。この場を借りて(?)謝っておこうと思う。ごめんね。
とにかく最初から最後まで、眼の前で起こることについていくのに必死だった。一つ一つの言動に、音に言葉に、心が触れて受け取るものが多すぎたからだ。歌って、叫んで、はねて、息を呑んで、笑って、泣いて、泣いて、泣いて、泣いた。
4人が同じ空間にいる感動
2万人で歌う高揚感
それだけの人が同じ時間、同じ場所に集まって同じものを見て心が動いているということ
一つ一つの曲、言葉に込められた想い
一つ一つの曲、言葉に繋がれた私の中の記憶と感情
魂からの言葉が届く感覚
魂からの音が体中に流れる感覚
そして、好きが愛に変わる感覚
どんな感情も、思いも、初めてのものばかりだった。
SUPER BEAVERは、"あなた"という言葉を使ってくれる。
『あなたは俺たちに愛されてるよ。』
『あなたが居てくれたから、今があるんだよ。それを実感してほしい。』
そんなふうに言葉を使う人たちなのだ。
その言葉たちは決して上辺ではなくて、何万人いようが、見ているすべての人と一対一で対峙し、伝えようとしてくれていることが本当に伝わるのだ。
シンプルな言葉が、まるで初めて聞いた言葉のように感じる。心との間にズレのない言葉は、命を持って、ただ一つの言葉として真っ直ぐ心に入ってくる。その感覚は知っていながらも、およそ2万人を(その場にいない人を含めればさらにもっと)相手にしている人の言葉を、自分に言ってくれていると感じられる感覚は、初めてだった。こんなふうに言葉を使える人になりたいと思いながら、そしてこの言葉に見合う人間でいたいと思いながら、優しくて愛に溢れた言葉に何度も涙した。
『俺たちは"あなた"がいて初めて成り立つものが音楽だと思っている。』
『一緒に、音楽つくってこうね。』
セットリストも、個人的にも最高だった。
全ての曲について思うことを書いていたらレポはとんでもない量になってしまった。笑
その中でも特に、アイラヴユーという曲についてここに書いておきたい。この曲は、イントロを聴いて身体が震え、終わりまで涙が溢れて止まらなかった。
SUPER BEAVERに出会わせてくれた大好きな友達が、私に送りたいと言って送ってくれた大切な曲だったから。彼女の顔を思い浮かべ、彼女がこの歌を通して伝えてくれた想いを噛み締め、SUPER BEAVERからの想いとしても噛み締めた。
その曲でSUPER BEAVERへの"好き"が愛に変わったことを実感したのだと思う。
サビ部分の“愛してる”と2回続くところは、
観客にマイクが向けられるところでもあり、ファンからSUPER BEAVERに、思う存分愛を伝えられる。それがとても素敵だった。たくさんのファンが全力で愛してると歌うのを聴きながら、あぁ、本当にいいなあと思った。私も全力で歌った。泣きながら、声を枯らしながら、ありがとうと愛してるを伝えたくて、歌った。きっと、心と言葉が一致した瞬間だった。
SUPER BEAVERの楽曲には、愛の歌がたくさんある。恋愛だけじゃなく、家族、友人、それを超えて、人への愛、そして自分自身への愛。
自分を愛するのはとても難しい。私にはまだどうしてもできない。愛を伝えてくれる友達がいてくれて、少しずつ受け入れられるようになったし、私自身からも愛(だと思っているもの)少しずつ伝えられようになってきたけど、そもそも自分を愛せていないのに、伝えている愛が本物なのか、言葉に嘘がないか、言葉通りの行動ができているのか、自信がなくなったりする。自分の気持ちも信じられない事実に、落ち込むこともある。
だけど、彼らの言葉たちは、心の核を衝いてくる。私は彼らから大事にされるんだ、と思える。そして、私は私が大好きな人たちに愛されてるんだと、心の底から信じることができる。そんなふうに愛してくれる人がいる自分を、大事にしてくれる人がいる自分を、自分が大事にしなくて、愛さなくてどうする。大事にしたいし、愛したいと思わせてくれる。彼らの言葉を受け取るに値する人間でいたいと思うし、彼らへの愛を堂々と伝えていられる人間でいたいと思うのだ。
直接4人の音や声で、彼らの音楽を聴いて、思っていたよりも私の生活にずっと寄り添ってくれていたことに気づいた。心の奥深くにいてくれたことに気づいた。歌詞を覚えているというより、この感覚、これが大事だ、こんな考え方しよう、そんなふうに自然と自分が思うようになっていて、だから音楽を聴いていなくても、悩んだとき、考えたときにふと出した答えや選択に、SUPER BEAVERが伝えてくれていたことが、気づかないうちに影響していたりする。
そしてまた、歌を聴いたときに、自分の歩いてきた道がこれで良かったのか、確かめられるのだ。
間違ってないよ、大丈夫。
大事なのはこれだよ、忘れてない?
一人じゃない、俺たちもいるよ。
そう伝えてくれる。
私はちゃんと大丈夫だ。
大事なこと、”当たり前“じゃなくてちゃんと大事にしよう。
素直にそう思えるのだ。
今日、全てをここにおいていくこともできる、それもかっこいいことなんだと思う。でも、俺たちならすべてをここに置いたうえでさらにそれを明日にも繋げていけると思うんだよ。
MCで渋谷さんがそんなことを話していた。(一言一句は覚えられてないので、あくまでも私のフィルターを通した言葉だが。)
かっっっこいい…..!!!!!!!!!
と思ったのだが、それがずっと頭から離れずにいる。
今までライブに行かなかった理由の一つでもあり、ライブが始まるまでの間、ワクワクとともに心の隅にずっとあった気持ちだったからだ。
それは
ライブが終わったあとの、非日常を味わったあとの、いつもの自分に戻っていくあの感覚。どんなに素晴らしいものに触れ、感動して、何かを決意しても、その後の自分を変える力にできない自分の弱さを突きつけられる感覚。
自分の人生は自分でしか生きられず、過去も未来も自分で生きてきたものでしかない、生きていくものでしかないという事実を突きつけられる感覚。
それらへの怖さだった。
もし、大好きな人をまっすぐに見ていられる自分でいられなくなったら。また、大好きな人に会えなくなる自分になってしまったら。いや、それよりもっと、また、好きにセーブをかけるようになってしまったら。
それが怖かった。
でも、SUPER BEAVERが、既に私の生活に、日常にいたことに気づいたから。
好きが愛に変わって、この人たちに恥じない、格好良い自分でいたいと思ってしまったから。この人たちを好きになれた自分を誇りに思うし、自分が自分にしかなれないことの怖さを知ったうえで、その道を歩くことを全力で応援してくれるのがSUPER BEAVERだから。
きっとここで感じたことを一生忘れないだろうと思った。
大丈夫。私もきっと、ここで受け取ったもの全部、明日に、その先に繋げていける。
そう思えた。
ライブが終わった次の日に書き始めたこのnote. 日常に戻っても、あのとき感じたものが残っていて、むしろ大きくなっていて、改めて本物だと実感できる。言葉にならない感覚を何日もかけて拙い言葉を必死に紡いでいるのは、忘れたくないという想いと、自分なりの伝えるを、ちゃんとやっていきたいと思ったからだ。SUPER BEAVERが心のままに表現し生きるということを全身全霊で体現しているように、私も心のままに表現し、生きることを頑張りたい。
これを書きながら、とても幸せだと思っていた。こんなに素敵な人、音楽に出会えたことも、今、言葉にしたいと夢中になって書いていることも、この気持ちを共有できる人がたくさんいることも、愛の形をひとつ知れたことも。
SUPER BEAVERに。これまで彼らを応援し愛してきたファンの人たちに。私を愛してくれている愛する人達に。SUPER BEAVERに出会わせてくれた、大好きな友達に。心からのありがとうと、アイラヴユーを贈りたい。
私の人生に新たに加わった推しという要素。いや、SUPER BEAVERという要素。
今までの人生が間違いじゃなかったと思えたこと。
自分自身を愛したいと思えたこと。
愛する人たちに愛されていると思えたこと。
心からそんなことを思えるようになったこの素敵すぎる出会いを、いつまでも大事に、愛していきたいと思う。
2023年7月30日の記録