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ぐち を、読んでしまってくださったひとへ。
ごめんなさい!
本当にすみません。
あんなもの、外に出していいもんじゃありません!
あでも、これ閉じる前に一つだけ、聞いてください。
正直同情や慰めが欲しくてという気持ちめちゃあります。辛さに誰かに寄り添ってほしいという気持ちが募ったから書いたことだから。でも、もう一つは、厳しい言葉、否定の言葉、叱咤も、愛想を尽かしたよって、もう関わりたくないよ、とか。そういうのも、
悲劇のヒロイン
自己憐憫
かまってちゃん
自己満足
そういうのも、甘んじて受け入れます。というか、そういう言葉をまさに聞きたいです。Mではありません。可哀想を演じてきたような罪の意識に囚われてる自分には、これまでのことを客観的に見て、ちゃんといろんな声を受け入れなきゃいけないんだって思ったんです。
ほんと、こういうとこよ?って思ってます。わかってます。
でも、これ吐き出しておかないと、私やばいって思いました。
衝動ではない、と思います。書いた内容は衝動に近いけれど、書いて発信するということは3ヶ月ほど悩みました。嘘です。3ヶ月の間、一週間に4回位ずつくらい悩みました。
ノートとかに書いて自分だけで吐き出せば良くない?みんなもっとつらいときでもそうしてる人いっぱいいるよ?
うん、そのとおりです。
でも、わたしは、こうします。
誰かに見てほしいから。こういう自分がいます。いい人じゃないんです。こんなヤバい人なんですって、知っておいてもらいたいんです。こういうこと胸のうちにしまって頑張ってのりこえて生きてく、っていう強さはまるで持っていません。かまってちゃんだしメンヘラだしニートだしいつまでもバカみたいに暗いしばかなんだよ。って
そうすれば、生きていける気がしたから。
隠そう隠そうって必死になってきた私の醜い部分、まあ漏れ出して溢れ出して知ってる人もいたのかもしれないけど、人に醜い部分を認識されていると、私自身が認識していることが必要だと思いました。
自分のこと、好きになろうって何度も思いました。
好きになれるように磨こうとか、自分と向き合ってみようとか、人に伝えてみようとか、これしてみようあれしてみよう、私なりにいろいろしてきたつもりですが、書いてたように、まだまだ、というかますますだいっきらいです。でも、今はそれでいいんじゃない?と、諦めなのか、悟りなのか、開き直りなのか、とにかくそういう気持ちが芽生えつつあります。
あの文章を書きながら、心の中は怒りと悲しみと苦しみと爽快感と痛快感と血と汗と涙と(最後3つは適当です)いろんなものでいっぱいでぐおーって感じでした。書き終わったら駆け抜けたみたいな感じがしています。勝手だね。
私を友だちと言ってくれる人がいます。
大切、幸せでいてほしいなんて言ってくれる人もいます。
かえはすごいよって言ってくれる人もいます。
大好きって言ってくれた人もいます。
いつも、そういう言葉をもらうたびに、そんな素敵なことば、素敵な気持ち、私みたいなのが向けられていいものじゃないって思っていました。そんなふうに思うのも失礼だけど、思っていました。でも、それらを跳ね除けて自分だけで立つ力もない私は、そういう言葉をありがとうって言って、受け取って、なんとか引き出しにしまって、それを肥やしにして生きていくことができてきました。
でも、そういう言葉たちは、私のほんとに醜い部分を知っても、見ても、もらえるのだろうか。そう思うと怖くなりました。
だったら、醜さを、これまで自分が生きてきた人生のできる限りありのままをさらけ出してしまおう。そう思いました。
関わってくれる人の大切な言葉が、大切な気持ちが、もったいないようなことにならないように。ちゃんと、お叱りの言葉や、否定の言葉も、受け止めようって。
私は、たぶん言葉で表現することが割りと好きな方なんだと思います。
何かを発信するとき、今まで、
かっこいい文章を書きたくて、
誰かに響く文章を書きたくて、
自分を"揺れながらも頑張ってるちゃんとした人"に見せたくて、
めちゃめちゃ考えて、(考えすぎてお蔵入りのほうが多すぎて数は少ないけど) 発信してきました。
考え抜いているはずなのに、嘘くさくて、上っ面で、きれい事。本当に思っていることだよ? でも、その裏に、もっと汚いこといっぱい思ってるよね。って。あなたそんなきれいな人生送ってないでしょーって。
私なので、その発信を見る人も少数なんだけど、とはいえ、SNS。大事な人とか、大好きな人とか、ばっかりが見れるところに発信するんです。なぜなら「かまってちゃん」だから。
なのに、本音と肝心なとこは隠して上っ面で、なんだかぐちゃぐちゃしてよくわからないようなものを発信して、毎回毎回
うわーーーーーーーっっっ(((恥))))
てなって。
だから書いても書いても発信しても発信しても、どんどん自分がいやになるばかりでした。優しい人が優しい言葉をかけてくれても、こんなやつにそんな言葉かけないでくれーーーーって悶絶したり。
関わってく人たちが、ほんとに素敵な人たちばっかりで、対して外に出す自分がどんどん汚い部分を覆う自分になっていく。見せられると思う自分がどんどん減っていきました。
背伸びしようとしても、足がガクガクして
元気に見せようとしても、笑顔がひくひくして
何も考えないようにしても、勝手に頭の中で大乱闘
もう誤魔化せなくなって、
見せられる私が消えそうになったので
ああ、もういいか。見せられなかった自分、さらけ出しちゃおう。
そういう感じで、書いた言葉たち、少しでも自分を、生かすことができるように。これが今の等身大の私です。
ここまで読んでくれた人がもし、いたなら、
本当に感謝します。
ありがとう。
2022年12月15日の記録