デッドラインマリッジ
「ねぇ、待って。待ってってば」
私は彼の腕を掴んだ。
「さっきの女の人誰?結婚しようって嘘だったの?」
私の口からは、彼を責め立てる言葉しか出てこない。
これがいけなかったのかな。
2年付き合った彼はあっけなく、私の元から去って行った。
彼と出会った頃の私は、結婚への順序を思い描いていた。
付き合って2年目で両親へ紹介、3年目に結婚。
私の中にある順序が自分を縛り付けているとも知らず。
彼と別れて半年、彼からメールが来た。
あっ、もう彼ではなく元カレだ。
【8月に結婚します】
そう、書かれているメールを何度も読み返した。
別れて半年で結婚?どういう事?相手の事ちゃんとわかっているの?
あの頃と同じように、私の口からは元カレを責め立てる言葉しか出てこない。
虚しくなった。
自分が思い描いていた順序は本当は何の意味もなく、あっという間に追い越していく元カレを責め立てる自分が、滑稽だった。
交際0日婚だってあるのに、何を頑なに順序を守っていたのだろう。
こうなったら、私だって、8月までの後3カ月で、結婚する。
結婚してやる!
とは言っても、相手もいないのに結婚なんてできるのか?
できる訳ない。
兎に角、相手を探すことから始めないと。
時間が無い。
「おはようございます」
会社に着くと、本店から移動になった、横山光輝(28)が声をかけてきた。
「瀬戸ほのか、久しぶり」
目が合った瞬間、横山が話しかけてきた。
横山とは同期で、新入社員の頃よく遊んでいた。
もちろん、2人きりではなく、他の同期の子達と一緒に。
「横山君、久しぶり。何年ぶりかな」
「えっと・・・24の時に移動になったから、4年ぶり?」
「お互い立派になったね」
「そうだね。瀬戸、結婚は?」
嫌な質問が飛んできた。
もう、そういう年だものね。
「まだ」
「俺も、仕事一筋」
意外にも、4年前と変わらない爽やかな笑顔だった。
あっ!
私は閃いた。
横山・・・いいかもね。
3カ月後に結婚するんだから、ある程度知っている相手の方がやりやすいし。
早速、食事にでも誘ってみよう。
「ねぇ、再会を祝して食事にでも行かない?」
あれ?今、私が言おうとした事。
横山が食事に誘ってきた。
「もちろん。週末が良いかな」
「OK」
家に帰ると、私は1人で乾杯をした。
だって早速、順調なんだから。
向こうから食事に誘ってもらえたし、今度はお礼にとか言って私から誘う。
2回目のデートまで順序通りいける。イイ感じ。
外はあいにくの雨。
横山に指定された居酒屋へ、傘を差して向かう。
なんとなく、ドキドキする。
横山の選んだお店は、こじゃれた居酒屋ではなく、サラリーマンが愚痴をこぼしやすい店ナンバー1として選ばれそうな居酒屋だった。
「横山らしい、お店だね」
「そう?」
「いかにもサラリーマンって感じの店」
「なんだよ、それ。あっ、もっとおしゃれな方がよかったか」
「ううん。こういうお店の方が気取らずに喋れる」
「じゃあ、今日は俺のいなかった4年間を包み隠さず、話してもらおうかな」
そう言いながら横山は、私の顔を覗き込んだ。
「ええ?そんな、なにもない4年間だったよ」
「そんな事はないだろう。彼氏とかは?」
「今はいない」
可愛くない言い方をした。
「今は」って、あからさまにいたことを物語っている。
「いつ別れたの?」
「・・・半年前」
「半年?なんで?」
「私の事は良いから、横山はどうなの?」
「俺?俺もいたよ。でも、1年前に別れた」
「なんで?」
「自分は答えないくせに俺にはグイグイくるな。別れた原因は・・・結婚かな」
「結婚?」
「そう、結婚するつもりで付き合ってた。でも、彼女はすぐに結婚するつもりはなかった。俺はね、すぐにでもしたかったから」
照れ臭そうに話す横山が、元カレと重なった。
そういえば、元カレもそんな事言ってたっけ。
それであっさり、私と別れて結婚するんだよな。
「そうなんだ・・・結婚を考えてた人がいたんだ」
「そりゃ、28にもなれば1人くらいいるだろ?」
「まぁね・・・」
「ほのかは?」
「えっ?」
「結婚、考えてた人いないの?」
私はびっくりした。
突然、名前で呼ばれたから。
お酒のせいなのか、期待していいのか。
「私はね・・・」
その日、私たちは同期じゃなくなった。
会社ではお互いを苗字で呼んだ。
2人きりの時は、名前で呼び合った。
いい感じ。このままいけば後2カ月で結婚出来そう。
幸いにも、光輝も早い結婚を望んでる。
時間をかける必要なんてなかったんだな。
「光輝、私たちそろそろ1カ月だね」
「ああ、そうだね。早いな」
「記念にどこか行かない?」
「そうだな、ほのか、どこか行きたい所はない?」
「あのね、私の・・・実家に行きたい」
私の頭の中では、1カ月で私の両親へ挨拶、2カ月で彼の両親、3カ月で結婚という順序だった。
「記念日に実家?もっと楽しめる所にしない?ご両親へのご挨拶は改めてきちんとした日にした方が良いと思うんだ」
「んーそうね。じゃあ、水族館がいいな。しばらく行ってないし」
久しぶりに行った水族館は、可もなく不可もなく。
家族で生活をするカクレクマノミを光輝に見せて、結婚を意識させよう。
「見て、カクレクマノミ。夫婦で子育てをするんだって。憧れる」
「へーそうなんだ。あっそうだ、イカせんべい食べない?」
案外、子供の様な所あるんだな。
もっと、ちゃんと見てほしいのに。
帰りの車の中、持ち帰り用のイカせんべいが割れた。
「えっ?」
「だから、ほのかって俺の事好きなの?」
「どうして、急にそんな事聞くの?」
「いや、だって俺たち同期だったとは言え、4年ぶりだろ?なのに、あの日、何の迷いもなく俺と・・・」
「それは!」
慌てて言い訳を考えた。
だって、3カ月後に結婚するって決めてるなんて言ったら、全てが台無し。
「それは・・・何て言うかな・・・運命?」
必死に絞り出した言葉が不安過ぎて、光輝を見上げた。
「運命・・・?」
光輝はまっすぐに私を見つめていた。
スローモーションの様に光輝の顔が近づいて来るのが分かった。
目を開け唇を離すと、イカせんべいは私たちの間でつぶれていた。
笑い合う私たちは、まんざらでもないよね。
とは言え、もうすぐ2カ月になってしまう。
なんとか光輝を実家に連れて行かなくては!
「光輝、そろそろ私、帰省しようと思うの」
「きせい?」
「うん、実家に帰ろうと思うの?」
「そうなんだ」
「うん、だからさ、一緒に行かない?」
「両親へ挨拶って事?」
「そんな堅苦しい感じじゃなくて、紹介みたいな」
「ああ、いいよ」
よし!
とっとと、うちの両親に紹介して、光輝のご両親にご挨拶に行かなきゃ。
私の実家は北関東のはずれの方。ざっくりいうと、かなり田舎。
「わざわざ来てくれてありがとうね」
両親は光輝をとても気に入ってくれた。
「ただいま」
妹の彩花が仕事から帰ってきた。
彼女は可愛い顔をしてトラック運転手。
あまり小さい事を気にしない、気持ちの良い性格だ。
ただそれが、時にあだとなる事もある。
「おかえり」
「あっ、おねぇ、来てたんだ。あれ?新しい人?」
「彩花!」
「あっ、前の人、結婚するんだってね。おねぇと別れてすぐ結婚なんてあてつけなんじゃない?8月だっけ」
あっけらかんと話す彩花を隣の部屋を連れて行く。
「彩花、余計な事言わないで」
「余計な事って?」
「だから、元カレの話はしないでよ。光輝が聞いたら嫌な気持ちになるでしょ」
「あー、おねぇ、もしかしてまだ前の人の事、好きとか?」
「違う!そんなんじゃなくて!」
「あっ、もしかして、当てつけはおねぇの方だったりして」
「えっ?」
「元カレへの当てつけで早速、結婚する気じゃないよね?」
図星過ぎて何も言えない事ってあるんだね。
「・・・」
「おねぇ、それ最悪だよ。そんなんで結婚しようと思ってるならやめた方が良いよ」
「とにかく、余計な事は言わない様に!」
それから2日、実家に泊まった。
いつもと変わらない光輝に胸を撫でおろした。
自宅に着くと光輝は疲れたと言い、すぐに帰って行った。
会社へ行くと、光輝の姿はなかった。
「あれ?横山さんは?お休み?」
「はい、有給取られて。今日はお休みです」
おかしいな。昨日は何も言ってなかったのに。
私の胸がざわつく。
休憩時間に光輝のスマホを鳴らす。
出ない。
私は急に不安になった。
昨日、疲れたと言っていたし、もしかしたら体調悪かったのかも。
1人で倒れてたりしないよね?
居ても立っても居られず、会社終わりに急いで光輝の家に向かった。
この辺りだとは聞いていたけど、ここは住宅街。
一軒家ばかりだ。
確か、この角を曲がった突き当りって言ってたよね。
角を曲がると突き当りには2F建ての一軒家が建っていた。
表札には【横山】の文字。
「実家・・・?」
いや、実家は九州の方だと言っていた。
私の心臓はバクバクと音を鳴らす。
嫌な予感がする。
震える指でチャイムを押す。
玄関がゆっくり開いた。
「だれ?」
私に声をかけたのは3歳くらいの小さな女の子だった。
「えっと・・・おうちの人は?」
「パパ!誰か来たよ」
「誰だい?ママじゃないの?」
見えない部屋の中から聞き覚えのある声が聞こえた。
私は走って逃げていた。
最悪・・・。
次の日、私が有給消化をした。
光輝から連絡はない。
気づいたのかな。
だったら、何か言い訳してくれてもいいのに。
何も言わないってどういう事?
遊びだったのかな。
夕方、家のチャイムが鳴った。
光輝だった。
目を合わせない私に、光輝は「何か怒ってる?」と聞いてきた。
「別に」
「そう」
あっさりと引き下がった光輝に悲しくなった。
暫く沈黙が続いた。
先に口を開いたのは光輝だった。
「ほのか・・・昨日、うちに来た?」
「・・・」
頷くので精一杯だった。
涙が溢れそうだった。
「やっぱり、ほのかだったのか。娘が、誰か来たって言ってたから」
何の迷いもなく、娘と言うワードを口にした。
私は涙を我慢することが出来なかった。
「なぜ泣いているの?」
光輝は、淡々と喋る。
「なんでって・・・」
「結婚できないから?」
あまりに冷たく話す光輝に驚いて顔を上げた。
「結婚?」
「そう、結婚だよ。ほのか、結婚したいんだろう?」
「えっ?」
「元カレへの当てつけで結婚を急いでいるんだろう?だから、両親にも早く会わせたかったし、4年ぶりに会った俺とでも平気で関係をもてるんだろ」
やっぱり聞かれてたんだ。彩花との会話を。
そうだよ。図星。何も言えない。
「結婚・・・してたんだ?」
「お互い様だよな」
それ以上私たちは話し合う事が無かった。
自業自得。
また、振出しに戻るんだ。
それからは何もなかったかのような日常に戻った。
結婚することが目的で選んだ相手だったから、今更、好きか嫌いかなんて考える事はしなくていいのに、なぜが、光輝の事ばかり考えていた。
それになんとなく、光輝は無理をしているように感じた。仕事を詰め込み過ぎに見えた。
いつものように1人、昼休憩から戻ると、皆がざわついていた。
人だかりの中から、担架に乗せられている光輝が目に入ってきた。
「どうしたの?」
「急に倒れてしまって、救急車を呼んだんです」
「倒れた?」
しんどそうに仕事をしていた光輝を思い出した。
私はいつも・・・・。
「病院てどこ?」
「〇〇病院です」
病院へ向かう途中、何度も引き返そうと思った。
奥さんが来るに決まっている。
私は光輝に酷い事をしてしまったし、合わせる顔なんてない。
光輝だって、私がいたことを奥さんに知られたくないはず。
でも、会いたい。
会いに行きたい。
病院に着くと、処置を終えた光輝が出てきた。
光輝は病室へ運ばれていった。
辺りを見ても奥さんと女の子の姿は見つからなかった。
意を決して、病室のドアを開ける。
そこには気持ちよさそうに寝ている、光輝がいた。
窓から射す日差しが、光輝をてらしていて、見とれてしまった。
「ほのか?」
目を覚ました光輝が、こちらを見ている。
「あっ、ごめん。勝手に来て。でも心配で。最近無理してるような感じしてたから。もう帰るね、奥さん来たらまずいし」
急いで光輝の前から消えないと。
そう思って逃げる様に帰ろうとする私の腕を光輝が掴んだ。
「えっ?」
「寝不足だって」
「寝不足?」
「今夜一晩、ぐっすり寝たら帰れる」
「ああ、そうなんだ。良かった。残業結構してたから、心配してた。ほんと、良かった」
「ありがとう」
「そろそろ、帰るね。奥さん来るでしょ」
光輝は、私の腕をぐっと引っ張った。
「来ないよ」
「えっ?」
「離婚したんだ」
「離婚?」
「ほのかがうちに来た日は、彼女は荷物を取りに来ただけ」
「えっ?ちょっと待って。なんですぐに言ってくれなかったの?」
「ほのかだって、俺の事本気で好きだった?」
「それはお互い様でしょ?」
「俺は4年前支店に移動になった時に、ほのかの事は諦めようと思ったんだよ。それで出会ってすぐの人と結婚したんだ。だけど、子供は授かったけど上手く行かなくて、1年前に離婚した。本店に戻ってほのかに会ってびっくりしたよ。4年前よりずっと綺麗になっていた。俺はずっとほのかの事を忘れられずにいた。だから、ほのかにとっては遊びだとしても良いと思った。だけど、元カレへの当てつけって聞いた時はさすがにショックだった」
「そうだよね。ごめんなさい。でもね、私、ここへ来る途中ずっと思っていたの。光輝とずっと一緒にいたいって。光輝が死んだら嫌だって。もっともっと、同じ時間を過ごしたいって。結婚なんてできなくても。奥さんがいても。順序なんてどうだっていい」
涙でぐちゃぐちゃになる私を光輝は優しく抱きしめた。
「光輝が入れば、結婚なんてしなくていい」
光輝は、私の涙を拭きながら私の耳元で囁いた。
「結婚しよう」
終わり