2章 労働という悪魔の正体【14歳からのアンチワーク哲学】
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ダメだ。やっぱりわけがわからない。どうやらニケは頭の重要なネジがいくつかぶっ飛んでいるらしい。僕が困惑している様子を見て、ニケはニヤニヤ笑いをしている。真面目に話しているのか、人を困らせて楽しんでいるのか、掴みどころのない男だ。
とはいえ、ここで引きさがれば、モヤモヤした気持ちを手土産にして家に帰ることになる。ただでさえこっちは複雑な心境で手一杯なのだ。不愉快な疑問点は、いまこの瞬間にすべて解消したい。僕は質問を続けることにした。
労働とは支配されること
「どういうこと? 殺人と労働って、別に関係ないんじゃない?」
「まぁ、それを説明するのは長い旅になる。気長にいこうや。とりあえずいま言えることは『労働がなくなれば、殺人の大部分はなくなる』ということやな」
「わからないなぁ」
「まぁ焦るな。次に考えなあかんことはな・・・そもそも労働って、いったいなんや?」
質問をしたつもりが質問を返される。労働とはなにか? 意外とむずかしい。質問された途端に知らないことを思い知らされる。でも、僕はなんとか自分なりの答えを捻り出してみせた。
「そりゃあ・・・お金をもらうための活動?」
「なら、おじいちゃんの家にお年玉をもらいに行ったり、パチンコを打ったりするのは労働か?」
「・・・それは違うね」
「それに、家事労働とか奴隷労働っていう言葉もある。専業主婦も奴隷もお金はもらわれへんのが普通やな」
「じゃあ、なにか価値のあるものを生み出すこと? 奴隷は畑を耕すし、主婦は料理するよね」
「ほな『価値のあるもの』ってなんや?」
「例えば・・・野菜とか、テーブルとか」
「となると、野菜をつくる家庭菜園は労働か? テーブルをつくる日曜大工は?」
「うーん、それは趣味だね」
「じゃあ、趣味と労働の違いはなんや? 『趣味』はお気楽な雰囲気やのに、『労働』ってなると嫌な義務感があるやろ」
たしかに、労働には嫌な義務感がつきまとう。趣味とは違うなにか。日常生活とは切り離されたなにか・・・
「わかった! 労働の方が、お金をもらわないといけない分、クオリティが要求されるんじゃない? アマチュア農家よりもプロの農家の方が美味しい野菜をつくるでしょ?」
「プロ顔負けの素人もおるで? 逆に新入社員はみんな下手くそや」
「なら、『お金をもらうために価値を生み出すこと』。これならどう? お金をもらわないといけないからクオリティを追求することが求められて、それを強制されるから嫌な義務感があるんじゃない?」
「まぁ悪くない。結局、お金をもらわへん家事労働や奴隷労働は抜け落ちるけどな」
「そっか・・・」
わからない。永遠に答えに辿りつかない気がしてきた。
「もう降参か?」
「わかった! 『生きるためにやらなければならないこと』。これでどう? 会社で働くことはお金をもらうために必要だし、家事も生きるために欠かせない。奴隷は働かないと殺されるから生きるために仕方なく労働しているし」
「正解を教える前に、ちょっと参考になる話をしよか。世界にはな、こんな民族がおるねん。食べるために行う畑仕事や狩りなどの行為を『遊び』と同じ言葉で表現する民族が」
よくわからない話がはじまった。ニケは周りくどいのか、丁寧なのか・・・
「それがどうしたの?」
「おかしいと思わんか?」
「どうして?」
「だって生きるためにやらなければならないから、労働は『労働』なんやろ? でもこの民族は、生きるためにやらなあかんことを『遊び』と捉えていた。つまり楽しみながらやってるんや」
「それってジャングルの奥地に住んでるような人たち?」
「まぁそういう類の人たちや」
「それは単に、僕たちよりも語彙が少ないだけじゃないの?」
「あほか。ジャングルをバカにすんな。あの人らかって賢いねん。現代人より狩猟民の方が頭がいいなんて噂もあるんやで」
「それって誰が言ってたの?」
「忘れた。噂や」
「なにそれ。哲学者のくせに」
「自称哲学者なんや。ちょっとくらいの脇の甘さは許してくれや。それはともかくとして、狩りや畑仕事といった行為は俺らの社会では『労働』と考えられているのに、それを『遊び』と一緒くたにしている人は、未開社会では珍しくなかった。これがなにを意味するかわかるか?」
「うーん、生きるために必要だからといって、『労働』とは限らないってこと?」
「そう。つまり、生きるために必要な行為だからといって、必ずしも労働のように苦しかったり、めんどくさかったりするわけじゃない。となると・・・」
「『生きるためにやらなければならないこと』っていう労働の定義は不十分?」
「そういうことや。ともかく、アンチワーク哲学は別の定義を採用する。定義はいくらでも考えられるし、完璧はない。ただ、アンチワーク哲学では労働をこう定義するって覚えといてくれ」
ニケは大袈裟に間を置いてから言った。
「『労働とは、他者より強制される不愉快な営み』と」
「強制? 不愉快?」
「そうや。こうしておけば、奴隷労働や家事労働もこぼれ落ちへんやろ?」
「そうかもしれないけどさ、じゃあ先生に反省文を書かされるのも労働になっちゃうよね」
「せやな。アンチワーク哲学ではそれも労働と考えるけど、納得いかん人もいるやろな」
当たり前だ。僕も納得いかない。
「それに、好きで労働をする人は? 不愉快でもないし、強制されているとも感じないんじゃないの?」
「せや。それもアンチワーク哲学では労働ではない」
「なにそれ? そんなの言ったもん勝ちじゃん」
「まぁ定義っちゅうんはそういうもんや。完璧な定義なんてない。さっき少年が言った『生きるためにやらなければならないこと』っていうのも悪くない。生きるため、つまりお金をもらうために、他者からの不愉快な命令に服従する必要があるんやから、あながち間違ってはないんや。でもな、ぶっちゃけ定義が正しいかどうかなんてどうでもええねん」
「え? どうして?」
労働の定義についてこんなに考えてきたというのに、ニケは急に梯子を外すようなことを言う。真面目に議論しているのか、適当なことを話しているのか、やっぱりよくわからない。
「言うたやろ? 定義に完璧はない。だから『労働の定義はこうや』『いや違う』っていう議論を続けても泥試合になるだけや。『これはいじめか? いじりか?』みたいな議論を続けても、苦しんでいる子が救われるわけじゃないのと一緒やな」
「そういうものかな?」
「せや。どうでもええ。ただし、この定義を採用すれば『その行為が強制されているか、されていないか』という側面の重要性を浮き彫りにするんや。これまでの労働に関する議論は、そこが抜け落ちてた」
わかるようで、わからない。結局ニケがなにを言いたいのか。
「まぁ細かいことはええわ。ともかくアンチワーク哲学は『他者より強制される不愉快な営み』が悪であって撲滅しなければならないと考える。なら、アンチワーク哲学がどんな世界を理想としているのかがわかるはずや」
「えーっと。『他者より強制される不愉快な営み』がなくなるんだから、『強制されることなく好きなことだけをやる世界』がアンチワーク哲学の理想ってこと?」
「そういうことやな。それを労働なき世界と呼ぶんや」
命を狙われる労働者
労働なき世界。「ネバーランド」をわざわざ堅苦しく言い換えたような印象で、なんだか夢を感じられない。そのくせ現実味もない。どうせ夢を見るなら、もっとセンスのある言葉で表現すればいいのに。
「別に労働って強制されてやっているわけじゃないんじゃ・・・お金をもらってその対価として働くっていう対等な契約でしょ?」
「建前はそうや。でもな、本当に対等な契約やと思っている人がどれだけいるやろなぁ。ところで、どうすれば人は誰かに労働を強制できると思う?」
「それは・・・どうすればいいんだろう?」
「例えば俺が少年にいきなり『いますぐ百回スクワットしろ!』って命令してたら従うか?」
「なにその命令?」
「ええから、答えてくれや」
ニケに言われて少し状況を想像してみる。意味がわからないから、笑ってしまいそうだ。でも、本気で命令されたなら?
「たぶん怒ってこの場から立ち去るね」
「せやろ。普通はそうなんや。人間は人間に命令できへん。これが当たり前や。でもな、命令に従わせる方法がいくつかあるねん。なんやと思う?」
「さぁ? 拳銃を突きつけるとか?」
「そうや。ほな、俺が拳銃を突きつけながら『いますぐ百回スクワットしろ!』って命令したらどうや」
ニケはニヤニヤ笑いでこちらを見つめている。この顔で拳銃を取り出したなら、ホラー映画に出てくるサイコパスだろう。
「腹は立つし、拒否したい気持ちはあるけど、仕方なくスクワットするね」
「せやろ。つまり、暴力によって命を脅かせば命令に従わせることはできる。逆にそれくらいのことをしないと、命令は拒否されるのが普通なんや」
「たしかに。人を強制的に操る能力だなんて、ゲームや漫画でしか見ないね」
「ところが、暴力以外にも命令に従わせる方法が他にもある。なんやと思う?」
「それは・・・お金?」
「そう。仮に俺が一万札を手渡してスクワットを命令したら、どうや?」
「意味はわからないけど、やるかな」
「せやろ。ほな、少年はなんで金が欲しいんや?」
「なんでって・・・ゲームを買ったり、漫画を買ったりしたいし」
「少年は中学生やからそんなもんやろな。ほな、少年のお父さんはお金を求めて働いてるわけやろ? なんでお金を欲しがるんや?」
「どうだろう。遊びたいっていう気持ちもあるだろうけど、『自分や家族が生きていくため』が一番の理由じゃないかな?」
「せや。生きるためや。自給自足したり、炊き出しで食い繋いだりすることもできなくはないけど、少なくとも少年のお父さんをはじめ、多くの人はお金がないと生きていけないって感じてるはずや」
「それはそうだね」
「やろ? ということは、お金を稼ぐために会社に入って労働をすることは避けられないわけやな」
お父さんがなぜお金を欲しがるかなんて考えたこともなかった。きっと、自分のためでもあり、お母さんのためであり、僕のためでもあるはずだ。
「その状況で会社の命令に逆らうことはできるか?」
想像してみる。僕たち家族の生活を背負ったお父さんが、命令してくる社長にムッとして、胸ぐらをつかみ、華麗に言いまかす・・・そんなことはきっとできないだろう。
「よっぽど意志が強い人ならできるだろうけど、逆らったらクビになるかもしれないし、普通は無理だね」
「九時から一七時までの仕事やのに、一二時ごろに『暇なんで帰りますわ』と言えるか?」
「暇でも仕方なく居残るだろうね」
「せやろ。それは九時から一七時までずっと命令されてるのとなにが違うんや?」
「でも、転職したり、起業したり、いろんな選択肢があるんだから、嫌ならそうすればいいんじゃない?」
「理屈ではそうや。でもな、転職したら給料がさがるケースがほとんどやし、起業にはリスクがある。おいそれと会社からは逃げられへんのが普通や」
たしかに、お父さんが急に板前に転職するとか、寿司屋をオープンするとか言い出したら、お母さんは止めるだろう。でも、だからといって命令されてるとか、強制されてると言っていいものか?
「納得できへんか?」
「うん」
「そうか。ほな逆に考えよか。拳銃を突きつけられたとしても、少年は一瞬の隙をついて拳銃を奪うこともできたんとちゃうか?」
「そうだとしてもスクワットすれば穏便に済むんだから、わざわざ命を賭けようとは思わないよ」
「ほな、『隣にいる親友の命を差し出せ』とかなんでもええけど、そういう命令やったら?」
「だったら頑張るかも」
「なら命令を拒否できるから、厳密な意味で強制されてるわけやないやろ? 少年がさっき言った通り、人を強制的に操ることは、ゲームや漫画でもない限りできへんねんから」
「勝てなかったら結果は同じだけどね」
「せやな。でも命令に従ったわけじゃない。要するに、どんな状況にあろうが理屈の上では命令を拒否することは可能や。ただ、『拒否できない』『強制されている』と感じていることが重要なんや」
「どういうこと?」
「つまり命令に従っている労働者たちは、転職や起業という選択肢を持っている。少年が拳銃を持った男と戦う選択肢を持っているのと同じように。でも、それが現実的じゃないから、命令に従わざるを得ないと感じている」
「なるほどね」
「会社の命令を拒否して会社から支払われる給料がなくなれば、自分や自分の家族が路頭に迷って、最悪の場合は野垂れ死ぬ。もちろん、一つや二つ命令を拒否したといっていきなり拳銃で撃たれるようなことはない。けど、なにかの拍子に上司や社長の機嫌を損ねてクビになる可能性はずっと存在し続けるから、些細な命令も拒否することはリスクになる。なら、こんな風には考えられへんか? 労働者は未来からスナイパーに狙われながら命令に従っている、と」
オフィスの窓際でパソコンを操作する父親を、隣のビルからスナイパーが狙っている光景が脳裏をよぎる。
「ちょっと大袈裟じゃない?」
「そんなことはない。その辺をほっつき歩いているサラリーマンに『なんで労働してるの?』って質問してみ? 『生きるため』って答えるで。裏を返せば、労働せんかったら死ぬってことやろ?」
「たしかに、大人たちには『真面目に勉強して就職しないと生きていけない』って、いつも言われてるよ」
「せやろ。スナイパーに狙われている感覚っていうのは、大人たちは多かれ少なかれ持ってるはずや。起業して社長になっても同じや」
「そうなの? 社長なら、誰にも媚を売る必要はなさそうだけど?」
「そうではない。社長・・・というか会社はお客さんからお金をもらわないと経営が成り立たんやろ?」
「たしかにそうだね」
「つまり事実上、お客さんが上司なんや。なにかの拍子にお客さんの機嫌を損ねたら、お金を払ってもらえなくなるかもしらんねんから。スナイパーに狙われているような恐怖心は社長になっても同じや。つまりお金っていうのは拳銃と同じ、命令に従わせるための力になるんや」
「命令に従わせるための力?」
「そう。つまり権力や。お金っていうのは権力そのものやと、アンチワーク哲学では考える。貨幣権力説や」
ゲームを嫌いになる方法
お金は権力。貨幣権力説。そう言われればそうなのだけれど、それは果たして悪いことなのだろうか? お父さんが僕たちのために歯を食いしばって会社の命令に従うことは、大切なことなのではないだろうか?
「でもさ。仮に労働者がお金によって命令されているのだとしても、それは仕方がないんじゃない? お金を稼がないと生きていけないし、誰かが労働しなければ社会が成り立たないのは事実でしょ? それに・・・」
「それに?」
「ニケの言うことはおかしくない?」
「ほう、どうしてや?」
不意に閃いた反論を、ニケにぶつけてみる。
「人は貢献欲を持っているから、自発的に誰かの役に立ちたいって思うんだよね? なら、命令されていようが、命令されていまいが、喜んで労働するんじゃないの? それなのに、労働が嫌いな人は多いよね。これって矛盾してない?」
「それは命令のネガティブな側面を過小評価しとるわ。命令っていうのはそんな生やさしいもんやないで」
「そうなの?」
「せや、たしかに人には貢献欲がある。しかし、貢献欲は強制や命令によって抑圧されているんや」
「命令や強制によって、貢献欲を抑圧されてる?」
「そう。だから『他者からの強制』という意味での労働ってのは悪なんや」
「よくわからないな。僕は命令されようが、命令されまいが、労働なんかしたくないよ」
「それはそうかもしらんけどな・・・ごめんちょっとその前に、ティッシュ一枚くれへん?」
「え? いいけど」
「ありがとう」
僕がティッシュを手渡すと、ニケは思いっきり鼻をかんだ。
「すまんな、この季節は鼻水が出てあかんのや。最近は体調も悪いから余計にな」
「花粉症?」
「さぁな。検査してへんからわからん」
僕と同じだ。僕もこの時期は原因不明の鼻水にやられるけど、検査をずっと拒んでいる。
「ところで少年、いまどんな気持ちやった?」
「どんな気持ちって・・・なにが?」
「俺にティッシュ渡してどう思った?」
「なんとも思わないけど」
「役に立って嬉しいとか、そんな風に思わんかったか?」
「別に、『ティッシュ持ち歩いててよかったなぁ』くらいかな」
「せやろ、じゃあ次は・・・おい、ティッシュよこせ!」
「は?」
ニケは大袈裟に拳を振り上げて僕に言った。波紋が広がるように、静まり返った公園にニケの声が響き、消えていく。あまりにも芝居がかったその場面に、僕は「ふふっ」と笑ってしまった。
「なに笑てんねん」
「いやだってさ・・・」
脅す演技をしたつもりなのだろうけど、ぜんぜん怖くなかった。ある意味で驚きはしたが。
「まぁええわ。それより『誰が渡すかボケ』って気分になったやろ?」
「まぁね。『なにやってるんだろうこの人』っていう気持ちの方が大きかったけど」
「同じティッシュを渡すという行為でも、命令されるかされへんかで、感じ方はまったく違うねん」
「たしかにそうだね」
「せやろ。不思議やないか? どっちにしても『ティッシュを渡す』という結果は同じや。でも、お願いされたら渡したい気分になるのに、命令されたら『誰が渡すかボケ』っていう気分になる」
「当然じゃないの? 命令されるのって誰にとっても嫌なことでしょ?」
「だったら労働も、命令されるからやりたくなくなるとは考えられへんか?」
ふむ。言われてみればそうかもしれない。でも・・・
「どうだろう。もしお金が有り余っている状況で『労働してくれる?』と誰かにお願いされても、積極的にやるとは思えないよ。僕は」
「それはそうかもしらん」
「は?」
「なにが『は?』やねん」
「じゃあ、貢献欲なんてないんじゃないの?」
「なんでそうなるねん。ええか、人間がなにをやりたがるかなんてわからん。食欲旺盛な人がお腹空いてても嫌いな野菜は食べへんやろ? 俺が言いたいのはな、やりたいことであろうが、やりたくないことであろうが、命令されたら嫌になるってことや。少年、ゲームは好きか?」
「え? まぁ好きだよ」
「じゃあ、これから毎朝俺が『おい、早くゲームしろよ』とか『ゲームどこまで進んだ?』とか『なんでこんだけしか進んでへんねん!』とか言い続けるとしたらどうや?」
「そりゃあ、縁を切るかな」
「寂しいこと言うなや」
再びニケは芝居のように大袈裟に落ち込んだそぶりを見せる。こういう茶番に付き合うのも、まぁ悪くない。
「嘘だよ。ズッ友だよ、ズッ友」
「ズッ友て・・・いまの中学生も知ってるんやな」
「そんなに古い言葉なの?」
「まぁな。冗談はええとして、俺じゃなくてオカンでもええわ。オカンが毎日のように『ゲームしろ』って言ってきたらどうや? 縁切るってわけにもいかんで」
「ゲームが嫌いになるかもね」
「せやろ。それを見て『ウチの子はゲームが嫌いで、どうしようもない子やわ』ってオカンが周りに言いふらしたらどう思う?」
「ちょっとよくわからない世界観だけど、違和感はあるね。『あれこれ文句を言われないなら勝手にゲームするのに』って思うよ」
「そうやろ。でも、人の役に立つことって、往々にしてそういう状況にある。あれこれ言われるからやりたくなくなるだけで、本当なら人に誰かの役に立つことは喜ばしいことなんや。ティッシュを渡してくれた少年は、そのことを知ってるはずや」
僕が人の役に立つことを喜んでいる? 本当にそうだろうか? 僕は自分が本質的に怠惰で、わがままな人間だと思っていた。そして、多かれ少なかれ、みんな同じだと思っていた。でも、たしかに僕は電車で老人に席を譲り、ニケにティッシュを渡した。それは人の役に立つことを欲していたからなのだろうか?
「人は役に立つことを欲する。でも、あらゆる行為は命令によって労働化する。だから貢献が嫌なことやと現代人は思い込んでるねん」
靴なんか履きたくない
これまでの考えを拭い去るのはむずかしい。理屈の上では理解できても、脳みそが受け入れることを拒んでいるようだ。古臭い自分の脳みそと格闘しているうちに、僕はまた新たな疑問点が頭の中に登場するのを感じた。
「どうしたん?」
「ちょっと反論していい?」
「お、ええで」
「命令されるとその行為をやりたくなくなるってことだよね?」
「せや」
「それを言うなら僕たちはご飯を食べないと死ぬわけじゃん?」
「ん? せやな」
「じゃあ、ご飯を食べるように強制・・・つまり命令されてるようなものじゃん?」
「うん」
「なのに僕はご飯を食べることが好きなんだけど、これっておかしくない?」
「ほう、なにがおかしいんや?」
「命令されたら、やりたくなくなるんじゃないの?」
「お、少年はなかなかセンスあるな。さすがは俺の・・・」
「・・・俺の?」
飄々と話すニケに、珍しく動揺の色が見えた。それは見間違いかと思うほどにあっという間に消えていき、ニケはいつものペースで言葉をつなぎはじめた。
「・・・見込んだ男や」
「僕、いつの間に見込まれてたの?」
「まぁええがな。それよりな、命令されているからといってすべてが嫌になるわけじゃない」
「そうなの?」
「そういうもんや。セクシーなお姉さんに『パンツを脱げ』って命令されたら、嫌な気分にはならんやろ?」
「あの・・・こっちは一四歳なんだから、ちょっと表現に気を遣ってくれてもいいんじゃない?」
「一四歳やったらもっと過激な話もしてるやろ」
「いや・・・」
たしかに同級生たちは、下ネタを言い放つ度胸を見せびらかすように、大声で話している。そんなとき、僕は居心地の悪い思いで愛想笑いをしていたっけ。
「・・・というのはまぁ置いといて、君はアンチワーク哲学の深淵に踏み込んだんや」
「深淵?」
「そう。アンチワーク哲学は『好きなことをやれ』っていう哲学や。ただし、好きなことだけを追い求めていたら好きなことはできへん」
「は?」
好きなことだけを追い求めていたら、好きなことはできない? どういうことだろう?
「少年、靴を履きたいって思ったことはあるか?」
「いや、靴を履くのって当たり前だし、進んで履きたいと思ったことはないけど?」
「せやろ。たとえば少年は今日、大好きなバンドのライブに行くとしよう」
「うん。僕はライブに行ったことはないけどね」
「たとえばの話や。話の腰を折るな」
「わかったよ」
「ほんでな、ライブに行くには靴を履かないとあかん」
「うん」
「でも、靴を履くことは別に好きなことではない」
「そうだね」
「じゃあ、靴を履くのは、強制されてるって感じるか?」
「うーん、たしかにそうかもしれないけれど、ライブに行くためなんだから、不満に思うことはないね」
「せやろ? 人間は好きなことをやるために、いろんな下準備をする。でも、その下準備が必要やと思ってたら不満に思うことはないねん。『靴なんか履きたくない!』とキレる人なんか見たことないやろ?」
たしかに。そんな人がいたら単なるバカだ。
「少年はさっき、飯を食うことは事実上強制されてると指摘した。これは鋭い指摘やった。でも、人間は生きていくために飯を食わなあかんってことに納得しているから、事実上強制されていたとしてもいちいち不満に思わへんねん」
「強制されていようが、納得していれば問題ないってこと?」
「そうや。強制されていると感じるのは、納得度が欠如しているからや。拳銃を突きつけられてスクワットさせられる状況に納得できる人なんかおらんやろ? だから命令に不満を感じるんや。ただし・・・」
「ただし?」
「靴を履くことすら嫌がる人はいる」
「そうなの? そんな人がいるとは思えないけど」
「小さい子どもや。少年は子育ての経験がないやろからわからんかもしらんけど、三歳児は『Aという行動をとるためにBという準備をせなあかん』ということがわからへん。わかっていたとしても、『いますぐAという行動を取りたい』という衝動を抑えるのがむずかしい」
「そうなの? 合理的じゃないね」
「子どもなんてそんなもんや。テーブルの真ん中にあるスープを飲みたいと思ったら、少年ならどうする?」
「一回、手元に寄せてから飲もうとするかな。そうしないとスープをこぼすし」
「せやろ。それは『スープを飲みたい』という欲望を一旦保留して、別にやりたくもない『引き寄せる』という行為を優先したんや。子どもやったら引き寄せることなく、テーブルを汚しながらスープを飲もうとする。そういう失敗を繰り返して、子どもは欲望の優先順位を覚えていくんや。大人になるっていうのは、そういうことや」
みんなで社畜になればいい?
大人になるっていうのは、そういうこと? ニケはなにが言いたいのだろう?
結局、スープを飲むためにスープを取り寄せるように、生き延びるために労働をしろってことじゃないのか?
「だったらさ、お金をもらうために労働するのも、仕方のないことなんじゃないの? ご飯や服、ゲームを買いたいという欲望を保留して、そのための下準備として労働をすることで、結果的に欲望を叶えられているわけだし。逆に労働しなければ、満足に買いたいものも買えないし、生きていけないよ?」
「お、少年はまたええところに目をつけたな」
「そうかな」
「せや。実際にそうやって労働に満足する人はいる。みんなが少年みたいに『労働したくないよ〜』と文句を言っているわけじゃないんや」
僕を小バカにしたような言い方をするが、ニケは自分の言葉がブーメランになっていることに気づいていないのだろうか?
「ニートに言われたくないけどね」
「ニートをバカにすんなよ、多様性の時代やろ? ポリコレに引っかかるで?」
「ニートはセーフでしょ?」
「あほか。ニートにも人権はあるで」
ニートにも人権はある。それはその通りなのだけれど、きっとそれは建前だろう。大人たちが「勉強しなければニートになる」と脅しつけるのを聞いていれば、「労働者でなければ人に非ず」くらいの感覚で生きているように感じる。
「まぁええ。続けるで。お金を稼ぐために労働することは、事実上、命令されてる。でも、そのことに納得をしているなら不満はなくなる。それが社畜心理の第一歩やな」
「社畜心理?」
「そう。社畜心理。『なんでこんなことせなあかんねん!』と思わなくなって『これは仕方ない』とか、いっそ『労働が楽しい』とまで感じるようになることを意味するねん」
「労働を楽しいって思う人がいるの?」
「おる。人間が不満を抱き続けるのは意外とむずかしいもんや。不満がある場合、人はどうすると思う?」
「どうだろう、その場から逃げるかな?」
「せや。でも、労働のように逃げられへん場合はどうする?」
「うーん、『仕方ない』って受け入れるんじゃないかな」
「そう。そして『仕方ない』がだんだん快感になっていくねん。俺も二十代の頃は馬車馬のように働いていたんやけどな・・・」
意外だ。この男にも就業経験があったのか。
「はじめは毎日『辞めたい』って思ってたけど、入社して一年もたった頃には慣れてくるねん。あの頃は同僚と『残業八十時間が過労死ライン? 百時間超えが普通っしょ?』って飲み屋でゲラゲラ笑いながら話したもんや。間違いなく、俺はその会社で労働することが好きになってた」
「それは好きって言えるの? 自虐してるだけじゃない?」
「自虐ってのは楽しくないとできへんもんやで。自分のコンプレックスを笑いに変えられる人にとって、それはもうコンプレックスではないのと同じや」
「ふーん」
そういえば、ニケはどうしてニートになったのだろう? 聞いてる限りだと真面目に働いてたみたいなのに。
「それで、ニケはどうしてニートになったの? 仕事が好きだったんでしょ?」
「少年。それはプライバシーってやつや。五十年も生きてると話したくないことは山ほどあるんや」
「なにそれ? 僕は洗いざらい話したのに?」
「一四年と五十年やと重みが違うわ。理想を追いかけて大失敗するような、涙なしには語れない人生経験もあるねん。ぜんぶ話すわけにはいかん。まぁ一個だけ伝えるとすれば、俺はもっと休みが多い会社からオファーを受けて転職した。それだけやな」
こんな胡散臭い男にオファーを出すとは、物好きな会社があるものだ。
「会社が好きになってたわけじゃないんだね」
「鍵がかかった牢屋に閉じ込められてたら、その牢屋がいい場所やと思い込まないと気が狂いそうになる。でも、鍵が開いてたらそんな思い込みはさっさと捨てて逃げる。そういうもんや。あとから思い返せば、あれは強制されてたんやなぁと俺も気づいたわ」
そういうものなのだろうか。ニケの言う社畜心理とやらは、意外と脆いものなのかもしれない。
「ところで、少年のご両親は労働をどう考えてるやろか?」
「うーん、どうだろう。『楽しい』とまでは思っていないだろうね。お父さんはいつも疲れてるし。でも、家で文句を言うこともないから『仕方ない』とは思っているんじゃないかな」
「まぁ、だいたいの大人はそんなもんやろな。積極的に労働の意義を肯定してなくても、生きるために、家族を養うために、遊んだり贅沢したりするためには仕方ないって思っているはずや」
「ていうことはさ・・・」
「ん?」
「やっぱり労働は仕方ないんだから、それに納得せずに文句を言うのは三歳児と同じってことだよね? 労働は生きるために必要なんだから、みんなが労働という運命を受け入れるべきなんじゃないの?」
「なるほどな」
「それに、アンチワーク哲学の定義で言えば、納得しているなら強制されているわけじゃないんだし、労働ではなくなるんでしょ? みんなが納得すれば解決するんじゃない?」
「俺はたまに考えることがあるねん。もし俺が戦後の焼け野原に生まれていたら、きっと頑張って家を建てたり、工場をつくったりしたやろなぁって」
ニケは大袈裟に遠くの空を見つめながら言った。なんだか話題を逸らされた気がする。
「ニートなんだから、戦後に生まれててもダラダラ過ごしてるんじゃないの?」
「あほか。焼け野原に家を建てることはどう考えても大事なことやろ。だからちょっとくらい辛くても納得できるわ。でもな、現代の労働に完全に納得できる人は少ないはずや。だから労働は耐え難いねん」
「そうなの?」
「せや。現代においても個人が生きるためにはお金は必要や。でもな、社会全体としてみたときに現代の労働は必要ない。だから納得できへん人がたくさんおるねん」
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