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なぜか出版業界の集まりに呼ばれて講演をすることになった話【出版社をつくろう】

勁版会けいはんかいという関西の出版社の集まりに呼んでいただき、そこで講演をすることになった。講演といっても大仰なものではなく、会議室で会員さんがいる前で一時間ほど身の上話をするだけであるが、僕としてはめったにない経験だったので、気合を入れていったのである。

なんと言っても僕はサービス精神旺盛で、責任感の強い男なのだ。せっかく1時間もあるのなら、ダラダラと時系列通りの来歴をダラダラを垂れ流すのではなく、見どころのあるものにしたい。面白おかしくきいてほしい。なにか一つでも気づきを持って帰ってほしい。

とはいえ、出版業界の先輩たちに、僕のようなペーペーから伝えられるようなものはあるだろうか?

ある、と僕は思った。

なぜなら僕は河原で出版記念パーティをやったり、道路で通行人に本を配ったり、ディスコ―ドで仲間を100人ほど集めたり、クラウドファンディングをやったり、本を無料公開したり、著作権を放棄したり、ふつうの版元がやらないことを次から次へとやってきたからだ。

上手くいっていようが、上手くいっていまいが、こういう取り組みを披露すれば、僕なりのエピソードトークになる。思いもよらない出来事がたくさん起きたので、それなりに興味深いものになるだろう。あわよくば「なるほど・・・そんなやり方があるのか・・・」と言う気付きになるかもしれない。そして、僕が出版を思い至るまでのエピソードも前段階で付け加えれば、それなりにドラマのあるものに仕上がるだろう。僕はそう考えた。

で、スライドをつくった。これ(↓)である。

さて結果はどうであっただろうか。

いまにして思うと、少し構成が甘かった

冒頭に「労働を撲滅するために出版社を立ち上げた」というツッコミどころ満載の動機をぶち込んだが、それについてほとんど説明することなくエピソードトークに移ってしまったものだから、聞き手を置いてけぼりにしてしまったかもしれない。実際、終了後に「もっと労働撲滅の意味について聞きたかったという声をいただいた。

とはいえそれは理由がないではない。労働撲滅の可能性について説明しようと思えばアンチワーク哲学をイチから説明するようなことになる。出版に関する講演で、長時間にわたる哲学的考察をお披露目するのは相応しくないと判断したのだ。

しかし、あとから気づいた。労働撲滅の意味についてはエピソードトークのあとに、自然に、かつ簡潔に盛り込むことができた。

たとえばこんな具合である。

「さてみなさん、ここで疑問に思いませんでしたか? 労働撲滅と言ってるくせに、本を執筆したり、本の版組をつくったり、印刷屋さんの打ち合わせをしたり、書店営業したり、イベントを企画したり、ティッシュ配りをやったり、労働をしているではないか? 言ってることとやってることが矛盾していないか?」

「あるいはこんな疑問も浮かびませんでしたか? 労働が嫌いで集まってきた仲間たちを、お金を払うでもなくブースの受付や、本の営業、本配りに従事させている。それは彼らを労働させているのではないか?」

「当然の疑問です。労働を毛嫌いし、労働から逃れてばかりいる僕たちは、一般的に『労働』とみなされる行為にむしろ進んで取り組んだのです」

「なぜこのような矛盾が生じたのでしょう? これは一般的な労働の定義が、誤っているからこそ生じる矛盾なのです」

「労働とは、他者に貢献することや財やサービスを生産することを意味するのではありません。もしそうなら家庭菜園も労働だし、できた野菜をご近所に配ることも労働になりますよね? また、お金をもらってやる活動すべてが労働なのではありません。労働とは『他者から強制される不愉快な営み』なのです」

「強制されない限り、人間はあらゆる行為を自発的に楽しむポテンシャルを持っています。他者に貢献すること。誰かの役に立つこと。自分がやりたいと思うことを追求すること。そのためにスキルを身に付けること。こうした行為が楽しくやりがいがあることは皆さんもご存じのはずです。それなのに僕たちは『人間は怠惰であり、自分から進んで人の役に立つようなことはあり得ない』という幻想にしがみついて放そうとしません」

「なぜそんな風に僕たちは思い込んでいるのでしょうか? それは『強制』のせいです。『やれ』と言われればやりたかったことでもやりたくなくなる。自発的に取り組むチャンスを奪われた途端に、これからやる行為に魅力を感じなくなる。それが人間の心理なのです。金という権力はこの社会の構成員に労働を強いるのです」

「労働とは強制されること。だからこそ僕たちは労働を毛嫌いしている。しかしそれは他者への貢献を嫌っているのではなく、強制を嫌っているのです。その証拠に、世間から怠惰であるとみなさてる僕や仲間たちは、楽しく目的に向かって『労働』のようにみえる活動に取り組むことができたのです」

「だから僕は労働を撲滅できると確信しました。誰もが強制されることなく、自発的に、他者へ貢献することができる。あるいは貢献しないでいることができる。そんな社会であっても、人々は幸福に、健康に、豊かに暮らすことができる。それを僕たち人間は欲望するはずです。人々がそこらじゅうで野垂れ死んでいる状況で、知らん顔をすることが、どうして人間にできるでしょうか? 手を取り合い、助け合うことを欲望せずにいることを、どうして人間にできるというのでしょうか?」

流れるような説明であるが、これを思いついたのは、講演を終えた翌日である。

もしつぎに同じような機会があれば、このエピソードを盛り込みたい(なので、誰か僕に講演依頼をしてくれないだろうか?)。

結果、大爆笑の渦に包まれると思った講演は、自分で話しながらもイマイチな出来栄えであった。それでも、僕のつたない講演を温かく受け入れて、いくらか本も購入してくださった勁版会けいはんかいのみなさんには改めて感謝を伝えたい。

それにしてもいい経験になった。人前で話す機会はめったにないのだが、人前で話すスキルを持っていると、なにかと便利だろう。こういう機会があればぜひ積極的に飛びついてみたいのである。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!