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雨と、風と、働きたくない人々【出版社をつくろう】
午前十時四十分。
僕は予報外れの雨に打たれながら、電動自転車を飛ばしていた。雨粒は車道で踊り、前かごの缶ビールはポンポンと飛び跳ねている。
昨晩まで、いや、数十分前まで安全神話をうそぶいていたヤフー天気予報は、すっかり手のひらを返していた。幸い、雨が本格的に降りだして、河川敷に敷いたシートがびしゃびしゃになる前に、僕は買い出しから帰ってこれた。十時五十分。約束の十分前だが、どうやらまだ誰も来ていないらしい。
一旦シートをたたみ、大きな木の下にしゃがみ込む。芝生の上に降り注ぐ雨を一人、ボケっと眺めながらすごしていた。
幸い雨は落ち着いてきた。ヤフー天気予報も、もうしばらく雨は降らないと言っている。これならきっと来てくれる。そう思っていたら、遠くから一人、また一人と河川敷にやってくる。「あ、あれかな?」と僕は期待に胸を躍らせながら遠くを見つめる。
近づいてくるたびに、彼らの目的があきらかになる。
野球の練習に来た小学生。犬の散歩をするマダム。ランニング中のおじいちゃん。
もうすぐ約束の十一時である。
僕がどんな気持ちですごしていたか、あなたに想像できるだろうか?
「誰も来なければキレながらYouTubeライブをやる」と僕はnoteに書いた。もちろん冗談である。しかし僕はその事態がそろりそろりと足音を立てながら近づいているのを感じ取っていた。
「ここまでか・・・」
そう思ってYouTubeを開き、ライブ配信のボタンを押そうとした。
しかしその刹那、僕の方に近づいてくる人影が見えた。僕はすっかり胸をなでおろした。数十メートル先からでもはっきりと感じ取ることができたからだ。彼の働きたくないオーラを。
彼が労働撲滅界隈の住人であることは、火を見るよりも明らかだった。
「出版記念パーティですか?」
明らかに戸惑いの色が見える。まさか二人きりで話すことになるとは、彼も思っていなかったらしい。吹きこぼれた缶ビールで、小さな乾杯を交わしてから、探り探りで話をした。
しばらくすると、もう一人、僕たちに似たオーラを放つ人物が近づいてきた。
人が増え、酒も進んでいく。探り探りの会話が、だんだんヒートアップしていく。そして一人、また一人と、やってくる。
最終的に、僕を除いて六人が来てくれた。これはもう言ってもいいのではないか? 「大成功である」と。
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「十一時から」とアナウンスしていたのに、十一時に来た人は一人もいなかった(ちなみに、直前に二人から「やっぱいけません」と連絡があった)。僕は無意味にそのことを不安に感じていたわけだが、なるほど、これが労働撲滅界隈の平常運転なのである。タイムカード通りにきちっと参加する思考回路に、僕はまだまだ縛り付けられているようだ。
集まったのは無職二人。学生二人。会社員二人。労働撲滅界隈の黄金比である。労働撲滅界隈で集まれば、だいたいいつもこれくらいの比率になる。
色んな人生があった。ブルシット・ジョブへの違和感を噛み締めながら週五労働に勤しむ人。生活保護ライフを満喫する人。将来の労働という現実に怯えながら学生生活を送る人。
なぜ来てくれたのかとか、なぜ僕のことを知ってくれたのかと聞くと、ニートマガジン経由で知ってくれている人が多かった。そしてニートマガジンはゆるふわ無職くん経由で知った人が多かった(ゆるふわ無職くんの著作が「無職になるなら、心構えとしてこれくらい読んどけ!」という扱いを受けているらしい。無職界のカリスマ化しているようで、なんかおもしろい)。やはり、労働撲滅界隈の横のつながりは大切である。
「働きたくねぇ」みたいな話をしていたら、だんだん雲行きが怪しくなってくる。ヤフー天気予報をみると、また安全神話をひっくり返し「激しい雨が降る」と言う。
ヤバいかもしれないと思って移動を開始しようとしたのもつかの間、バケツをひっくり返したような雨が降り始めた。「働きたくねぇ」とか言っている僕たちは、基本的に行動がワンテンポ遅いのである。そして、傘を持ってきているのは二人だけ。準備も悪いのである(もっとも、一番準備が悪いのは、そんな日に河川敷でピクニックを提案する僕なのだが)。
仕方なく、レジャーシートをテント替わりにしてみんなでしゃがみこみ、雨が止むのを待つことにした。大のおとな六人が、である。二十分くらいだろうか。レジャーシートの中に縮こまりながら、AIと労働の未来について語り合う経験は、もう死ぬまで味わうことはないだろう。
しばらくしたら雨は去り、快晴が空を覆い尽くした。レジャーシートは使い物にならなかったが、少し歩いたところにある円形になったテーブルと椅子があったので、そこで二次会をすることにした。
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就活に悩む学生と、ドロップアウト無職が会話する中で稀に起こる現象がある。それは、なぜが無職(や、アンチワーク哲学の提唱者)が学生に就職を勧めるという現象である。
「一回大手を受けてみて、ダメなら中小でいい」「一般知名度の低く、大手の一次受けあたりにいる中堅企業が意外とホワイトでねらい目」「無職はいつでもなれるから一度ブルシット・ジョブを経験してからでも遅くはない」などなど。まるで親戚のおじさんか、キャリアカウンセラーのような語り口である(そのおかしさに気づき、たびたび笑いが起こる)。
また、なんだかんだ言って働くことの楽しさを語り合ったりもする。僕は自分の仮説の正しさを、アンチワーク哲学の正しさを、ここでも確信してしまう。やはり「労働」は強制であり、「働きたくない」とは「強制されたくない」の意味であり、彼らも本質的に怠惰なわけではないのだと感じずにはいられないのだ。
盛り上がっていたのもつかの間、また雲行きが怪しくなってくる。世間の風当たりは冷たい。また、土砂降りの雨が降りそうだとヤフー天気予報が告げている。
しかし、同じ失敗を何度も繰り返すのが労働撲滅界隈の住人である。「そろそろ駅に向かおうか」と歩き始めた途端に、またもやバケツをひっくり返したような雨が再び降り始めた。繰り返すが、傘を持っていたのは二人である。
久しぶりにびしょぬれになった。でも、たまには雨に打たれるのも悪くない。労働という名のショーシャンク刑務所から抜け出してきて、空を仰いでいるような気分になれるからだ。
駅に着いた頃には、芯までビシャビシャである。そのまま帰る人は帰って、僕含め四人で居酒屋に入り三次会をスタートした。
酔っていてあまり覚えてはいないが、労働とAIの話をした。僕はAI界隈の事情に疎いので、そのあたりを詳しく教えてもらった。あとは、まとも書房の今後のことについても相談に乗ってくれた。手伝ってくれるという申し出もいただいた。いろいろ話した結果、「就職説明会でなんの説明もなくいきなり本を配ろう」という結論に至る。いま調べてみると、あしたやってそうだ。いってみようかな。
料理一品とドリンクいっぱいで四時間くらい粘ってから解散。支払いは一人千円。お店には少し悪いことをした。
気づけば夜の十時。雨に濡れた体はすっかり乾いていた。夜風はすっかり冷え切っている。熱々のシャワーを浴びたい気分である。
朝の孤独感はもうどこかへ消えてしまった。やっぱり人と会うのはいい。「なんだ、なんとかなるじゃん」という気持ちになれるからだ。
あらためて、来てくれた人たちはありがとう。楽しかったし、またなんか一緒にやりたいなぁ。
そして、来れなかった人はまた来てほしい。次は関東のつもりだが、関西でもちょくちょくやっていきたい(需要どれくらいあるのだろうか?)。
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