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僕が地方議員になったら【雑記】
この前、とある地方議員の秘書をされている方に「政治家になりたい」という話をしたら、その議員の方に会わせてもらえることになった。市政報告会があるから、そのあとに時間をつくってくれた。そして、この前会ってきた。
僕がなぜ政治家になりたいのかといえば理由は一つ。ベーシックインカムを実現したいからだ。だから地方議員というのは踏み台くらいに思っていた。思っていたのだけれど、いざ、地方議員として活動されている方の話を聞いてみると、地方議員の仕事にも魅力を感じずにはいられなかった。
地方議員が取り組んでいるのは、国政レベルの話ではなく、たとえば公共施設のバリアフリー化とか、小学校の耐震性とか、学生の万博招致とか、障がい者の入浴介助とか、ミクロレベルの話である。こうした細々とした(そして金にならない)困りごとをキャッチし、それを解決できる力を持っているのは、現状として自治体だけであり、地方議員くらいである。最前線でそこに取り組む方の話を聞いていると、なんだか楽しそうに思えてきた。まるで困ったら相談できるなんでも屋である。ちょっと舐めすぎている節もあるが、なんといっても僕は貢献欲溢れる人間なのだ。
僕は人々の力で、言い換えれば自助と共助でなんとかすることを好んでいる人間ではある。公助は、国家の暴力を背景とした通貨発行権によって誰かが労働させられることにより行われるわけで、理想を言えばない方が好ましい。しかし、市場経済は人々から共助を奪い取り、共助を魅力のないものに変えてしまった。本来、自発的な共助であれば、遊びのままで、困っている人を救うことができるというのに。となると、ここで公助が必要になる。自民党のように共助を壊しておきながら共助に丸投げして放置するくらいなら、公助を呼びだしてくる方が誠実なのだ。
要するに無助<公助<共助である。共助が理想的であるものの、無助を放置するわけにはいかないので、公助の役割はまだ残っている。やがて訪れる理想社会においては、公助は消え失せるか、ほとんど役割は残っていないだろうが、いまはまだ必要なのだ。だからそこに取り組む仕事には意義を感じずにはいられなかった。
さて、僕はミクロとマクロの両サイドからアプローチすることを好む。ゆえに、公助の役割を担う一地方議員として働きつつ、ベーシックインカム導入のために国政に踏み込むためのキャリアを積む。かつ、ベーシックインカム導入に向けたアンチワーク哲学的議論の機運を出版活動を通じて育んでいく。そんなことをやってもいいのではないかと思う(そんな余裕があるのかはよくわからないが)。
統一地方選は2027年である。「若いし、いまからやれば普通に通る」と言われた。僕の自治体では2000票かそこらで当選する。いまのうちからいろんなコミュニティに顔を出して知り合いを増やしておくといいと言われた。
あと、こんど政党の勉強会にも参加することになった。候補者になりたいならそこでまた詳しく相談できるとのことだった。ガツガツいけばとんとん拍子に決まるものなのだろうか。僕の人生どうなるんだろうか。
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