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いまさらながら『14歳からのアンチワーク哲学』読書会レポート【出版社をつくろう】

すっかり時間がたってしまったが、あらためて12/13の読書会のレポートを書こうと思う。予告記事でも書いたのだけれど、けっこう僕は不安に思っていた。

参加者が20名いて、筋書きはナシ。はじめに僕が10分か15分くらい本の紹介と執筆経緯を話して、そのあとは「さぁ自由にどうぞ」というスタイルである。多数のオーディエンスに恐れおののいて誰も話さないか、あるいはみんなが好き放題に発言して万人による闘争状態に陥るか、どちらかのパターンに陥るような気がしていた。

結論から言えば、そうはならなかった。むしろ、理想的な流れで進行したし、読書会のお手本と自画自賛したくなるくらいだった。いや、もちろんそれは主催者のしょうごさんと、参加者の方々の力なのだから、正確にはWe画We賛とでも言うべきか? 読書会開催の資格試験があったなら、この日の映像を教則ビデオにしてもいいんじゃないかと思うレベルである。

(どうでもいいけれど、「私たち」を表す意味の漢字一文字を考えたけれど思いつかなかった。もしかして存在しない?)

会の概要はしょうごさんが記事にしてくれているので、ぜひそちらを参照していただくとして、僕は率直な感想を書いていきたい。

なにがそんなに良かったのかと言えば、やはりみなさんが実体験と交えながら話をしてくれたことだと思う。

「労働撲滅」という突拍子もない結論を主張する割に、アンチワーク哲学はじっくり吟味してもらえたなら多くの人に納得してもらえる理屈である。「社会こうだ」とか「他人はこう考えている」だとかそうした想像の前に、自分の主観的な実体験と照らし合わせて考えてもらえると、「こんなときに自分は貢献欲に沿って行動している」とか「こんなときに、楽しかったことが労働になった」といったアンチワーク哲学的エピソードがかならずいくつか存在するのだ。その前提を踏まえたうえで「とはいえそれを社会全体に適応するとどうなるのか?」を議論することが、きっとアンチワーク哲学を議論するにあたって適切な順序なのだと思う。「社会がどう」とか「他人がどう」と言ったところから思考をスタートすると、人は「大衆はバカばっかり」「しょせん人間はクズでしょw」といった冷笑に走る傾向にある。他人の頭のなかは基本的にわからないがゆえに、僕たちがこれまでの人生で植え付けられてきた先入観の投影になってしまうのだ。

アンチワーク哲学は主観の哲学である。ルールや権利、義務と照らし合わせるのではなく、その人がどう思い、どう感じるのかを徹底的に重視すべきだし、重視したくなるのが人間だと考える。しかし現代ではルールや権利、義務は、いつも人の気持ちを上回っている。「それってあなたの感想ですよね」と言われたときに人は泣きながら撤退するしかない。でも僕は泣きながら撤退する必要はないと思う。『悪口論』に良いことが書いてあった。

多くのプロ庶民が、馬頭が行き交う現代を「『弱者の気持ち』だけが重視される社会になった」と嘆いているが、いったいこの世に「気持ち」以上に尊重すべきものがあるだろうか。

小峰ひずみ『悪口論』(百万年書房)p194

当たり前の話なのであるが、一人ひとりの気持ちのために、僕たちの社会は存在している。そして僕たちは他者の気持ちを尊重したいという抑えきれない欲望を抱いているはずなのに、それは労働や市場、法や権利によって抑え込まれている。だからこそアンチワーク哲学は欲望を徹底的に開放することを求める。そのためには、各々が自らの中にどんな欲望が根付いているのかを、まっすぐ見つめ直す必要がある。そうすれば気づくはずだ。「欲望」という言葉が、いかに現代社会において捻じ曲がって使用されているかということに。あたかも僕たちが真に欲望しているのは酒池肉林だけであるかのように思い込まされてきた。いい加減、欲望という言葉を酒池肉林から解放してやる必要があると思う。

読書会でも客観というのはアンチワーク哲学の壁として立ちはだかった。「個人レベルではアンチワーク哲学を実感できるし納得できるけど、それを社会全体に適応できるかどうかは確信が持てない・・・」というのが、きっとアンチワーク哲学の理解者の本音なのだと思う。僕自身は自分がこれまでの人生で出会ってきた人たちの顔を思い出せば、「いけるやろ!!」と確信できるのだけれど、実際のところはどうなるかはわからない。

こういうのは自己実現的な予言になりがちなので、全員が「いける」という確信を抱けば、きっといける。では、それぞれが確信を抱くにはどうすればいいのか? 議論を尽くすというのも一つだろう。そうすると、実体験のなかで確かな手ごたえを感じてもらうことにつながる。喧々諤々と議論をして、「本当かいな・・・」と疑心暗鬼になったとしても、その後すっかり忘れて日常を生きていると、頭の中にあるアンチワーク哲学的フレームワークにすっぽりとハマる経験が頻出してくるはずだ。そういう実体験を重ねていけば「あれ、いけるんじゃね?」という確信が強まっていくのだと思う。

だからやっぱり読んでもらう前後に、こうやってみっちり議論することは重要だと思った。読書会、大事だ・・・。

話がとっ散らかってしまった。とにかく、第二回もやりたいのである。一回目の読書会が終わってすぐにしょうごさん含め三人で反省会をして、第二回の構想を練った。どんな形になるかはまだ未定であるが、ぜひ興味のある方は参加して欲しい。

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久保一真【まとも書房代表/哲学者】
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!