カブアンドは日本を変えるのか?【雑記】
僕は正直、ここ数年の前澤友作にガッカリしていた。「お金を無くす」という宣言に僕は感銘を受けたというのに、そっち方面で積極的に活動しているように見えなかったからだ。お金配りやベーシックインカム実験をやっていたころはよかったものの、最近はDAOも、宇宙旅行も、レースも、どうにも小粒の活動に思えていた。だからカブアンドの話も最初はまったく興味を持てなかった。
ところが、サムネイルに釣られて、『令和の虎』の動画を観てしまった。
サムネには「お金はいらない。」とある。カブアンドはサービス利用者に株を配布するという仕組みであり、お金の廃絶とはあまり関係がないと思っていた。しかし、このサムネイルは「カブアンドは、お金廃絶へ向けた壮大なビジョンの序章なのではないか?」という期待を僕に抱かせた。
・・・が、たんに僕の勘違いであった。『令和の虎』は事業計画をプレゼンして出資を受けるかどうかを判定される番組である。つまり「お金はいらない」とは「出資は要らない」という意味だったらしい。全国民を代表して僕がひとこと言っておきたい。
「前澤友作なんやから、そらいらんやろ・・・そんなもんサムネにすんな」
そして最後まで見終わった僕は、お金の廃絶とはなんの関係もない話であったことにガッカリした。
とはいえ、せっかく視聴し終わったのだし、面白い取り組みであることは間違いないので、取り上げてみたい。
前澤友作はカブアンドでなにをしたいのかといえば、それは国民総株主化である。カブアンドは電気やガス、ネット回線などをサービスとして提供し、利用額に応じて、ポイント還元ではなく、株を還元するというサービスだ。そこから配当を得たり、キャピタルゲインを得たり、株主総会で議決権を行使したり、そうしたことができるようになるという。そして、国民総株主化の結果、金融リテラシー向上と資本の共同所有によって、一部の資本家に富が独占され格差が広がる状況を是正していきたいというわけだ。
なるほど、ビジョンは壮大である。果たしてそれだけのビジョンは実現できるのだろうか?
結論から言えば僕は懐疑的である。サービス内容自体は、初田くんも書いていたけれどほぼコープである。
ウチは大阪パルコープを使っているが、会員カードをつくるとき組合員として出資金を払った。そして、利用額に合わせて定期的に配当が返ってくる。実質的にカブアンドとやっていることは同じである。
とはいえ、返ってくるとしても千円かそこらである。正直、小粒すぎてあまり意識しないというのが本音だ。僕はコープの損益計算書や貸借対照表をチェックしたことはないし、ほかの利用者も同様であろう。所有しているという感覚もない。たんに消費者として利用していて、たまにポイントが返ってくるという感覚である(だから、「組合員さま」と呼ばれることに非常に違和感がある)。
だから真っ先に生まれてきたカブアンドに対する感想は、「それはコープのレベルを超えたものになるのか?」という懐疑であった。
また、僕たちが拠出している年金や保険金は、年金機構や保険会社によって投資され、そこからのアガリで成り立っているし、民間銀行もメカニズムとしては同様である。直接的であれ、間接的であれ、僕たちの多くはすでに株主であり、投資家なのだ。ただ、元本が小粒である以上、アガリも小粒であり、僕たちの生活にさしたる影響を与えてくれない。資本主義のわずかな断片をお小遣い程度に渡されたところで、根本にある仕組みはなにもかわらないのである。
カブアンドも同様で、生活が変わるほどに大儲けできる見込みは薄そうである。配当は、結局自分が支払った金の一部が返ってくるだけにすぎず、ポイント還元と同じくお得感を演出するだけのものでしかない。また、キャピタルゲインにもさほど期待できまい。仮にカブアンドが上場したとして、どれほど値上がりして、どれほど利益が出るのか? 正直、未知数であるが、すでに何万人にも配られている株なのに、上場した途端に人々が殺到して値上がりする・・・などということはなさそうではある。むしろ売り注文の方が殺到しそうなものである(空売り仕掛けた方が儲かりそうだ)。
とはいえ、これは言いがかりなのかもしれない。おそらく前澤の思惑は直接的になにかを変えるというよりは、意識改革の方だと思う。「株主となることで、会社を一緒に応援する仲間になり、自分事として経営に参加して欲しい」的なことも動画の中で前澤友作は語っていた。
だが、これもどれほどの効果があるかはわからない。カブアンドの利用者の大半は、カブアンドが成長するかどうかなんて微塵も興味がなく「金儲けできるかどうか」にしか興味がないのではないか? 上場した途端にあっさりと売り抜けて現ナマを手にしたい。あとは会社がどうなろうと知ったことではない・・・そんな思惑の方が強いであろう。現に株式市場はそうなっている。そのことを誰が否定できるだろうか?
想えば仮想通貨が登場したときも似たようなことが起きた。はじめは理念に共感した人たちがコミュニティをつくっていたところに、利潤動機のレイトマジョリティーたちが群がり、マネーゲーム化させ、荒らし尽くす。
そうなったとしても「金融教育を施すことがすばらしい」といった意見もあるだろう。
だがそうなってくるといよいよ「NISAやろうぜ」って言っているのとなにがちがうのかよくわからないし、それをしたところでなにが変わるのかもよくわからない。金融リテラシーや経営者目線を身に付けたところで、それがなんの役に立つのか? 仮にカブアンドのユーザーたちが投資マニアたちのように値動きをいちいちチェックするようになったとして、それが良いことだとも思えない。僕は一時期、株や仮想通貨を持っていたときは、値動きをチェックしなければならないという焦燥感によりQOLを著しく損なったことを覚えている。前澤友作が目指していたのは、そんなことをいちいち気にしなくて済む社会ではないのか? お金のない世界はどこへ行ったのか? お金のことばかり考えてみんなが血眼になりながら四季報をめくるような世界にしたいのか?
そんなことよりも手っ取り早く国民全員を株主にする方法があるではないか? ベーシックインカムならそれが可能ではないのか? 日本国民全員に、日本国の株主として毎月配当を配ればいいではないか?
そうすれば、「不労所得を手に入れてFIREしたい」という焦燥感の中でマネーゲームに精を出す必要はなくなる。マネーゲームを唆して詐欺行為を働き、ずる賢く金儲けする必要もなくなる。カブアンドの株を空売りして大儲けしようだとか考える必要がなくなるのである。
金のことを考えなくて済むようになれば、家計簿をつけたり、クレジットカードの明細をチェックしたり、銀行口座の残高をチェックする機会も減っていく。誰も金のことを考えないのなら金は不要の長物である。こうして金が消え去った理想の世界に近づいていくはずだ。
正直、前澤友作にはがっかりである。前澤友作ほどの人物が、金のない世界を目指していることは、かつての僕を勇気づけてくれていた。しかし、もう彼にその情熱はないようだ。カブアンドは、金のない世界をつくることはない。むしろマネーゲームを加速させるだろう。詐欺師やコンサル、インフルエンサーがうろついて、おこぼれを掠め取りに来るだろう。
僕がこんなことを言う筋合いはないかもしれないし、もし本人が読んだら(読まないと思うが)気分を害することだろう。だが、便所の落書きだと言い訳しながら伝えたい。
前澤さん。そういうことじゃねぇんだわ。
(続き)