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『働かない勇気』冊子版について(あるいはISBN至上主義について)【告知】

そういえばあんまり宣伝してなかったので改めて宣伝したい。電子書籍で販売していた『働かない勇気』を加筆修正し、序文とあとがきをつけくわえて、冊子版をつくった。

もちろん自宅のプリンターで、せっせと家内制手工業したのである。
プリンターのグレードを上げようかと検討中。もう少しいろんな印刷ができるようになりたい。
ダイヤモンド社に嫌われる勇気があるから大丈夫!

内容としては、青年と哲人の対話を通じてアンチワーク哲学を紹介するというものであり、ほぼやっていることは『14歳からのアンチワーク哲学』と同じである。が、また違った角度から、違った人物たちによって論じられているので、また違った味わいがあるのと思う。

ここだけの話、『働かない勇気』を書いていたときはかなり筆がノっていた。元ネタのキレキレの青年のキャラを憑依させた結果、彼のツッコミには鬼気迫るものがある。

青年 なにを言い出すかと思えばそんなことですか。馬鹿馬鹿しい。たかだか月数万円のお金が配られたところで、焦燥感が消えるだなんて、人間を理解していないのは一体どちらでしょう?
 いいですか? 人間は底抜けで強欲な生き物なのです。最低限の金をもらったところで、他人よりいい時計が欲しい、いい車に乗りたい、いい家に住みたいという欲望のまま、金を渇望することでしょう。世界中のランボルギーニを独占でもしない限り、その欲望には終わりはありません。ならば、あなたの言う政治活動がなくなることは決してない。むしろ、貧困者のベーシックインカムの分前に預かろうと、怪しげな貧困ビジネスをスタートする輩が大量発生するのが目に見えています!

青年 ははっ、とうとう正体を現しましたね? どうやらあなたは怪しげな禁欲思想を説く新興宗教家のようだ! 少ない労働で済むように質素倹約に暮らして、座禅を組んでお経でも唱えながら、極楽浄土に想いを馳せておけばいい、と言いたいのですね? そんな現実逃避で救世主ヅラとは、虫唾が走りますよ!
 僕たちはパーティやゲーム機、遊園地といった衣食住とは関係のない過剰なエンタメに骨の髄まで浸かりきった欲深い生き物なのです! 1人ひとりの労働者が長時間働くことで、この娯楽に溢れた社会の生産量が実現できているのです。
 道楽で働いた程度では、せいぜい玄米と高野豆腐ばかりを食べて暮らすのが関の山で、生命を維持するのがやっとでしょう。それとも、わたしたちがいまさら石器時代のような暮らしができるとでもお思いですか?

青年 おやおや。まるで左翼の活動家のような話ぶりですね。「ブルジョアジーは贅沢をしているから取り上げろ!」というわけですか。社会をイノベーションで牽引する彼らのモチベーションを削ぐことは、あまり得策とは思えませんね! ソ連や中国でなにが起きたのか、知らないわけでもあるまい!

とはいえ電子書籍版の発売は2023年の9月。これを書いた当時からアンチワーク哲学はアップグレードされていて、書き直したい個所が多かったのだ。

といっても、大きく変わっているわけではないので、電子書籍版を読んだ人は買う必要はない。新曲を一曲だけ入れたリマスター盤みたいなものなのだ。新曲の部分(序文とあとがき)は公開しておこうと思う。

序文

 信じなくても構いません。少し想像してみませんか?
 労働が存在せず、万人が自由に、自発的に、誰かに貢献したり、趣味に没頭したり、画期的なイノベーションを追求したり、ダラダラと怠けたりして、かつ、万人の衣食住が満たされ、文化的で、素晴らしい生活が享受できる世界を。そんな世界に生きていたなら、あなたならなにをしますか?
 いまの世界とはまったく異なる世界です。信じられないのは当然でしょう。しかし、少しでもそんな世界に近づくことができるのなら、どうでしょうか? それは私にとっても、あなたにとっても、あなたの家族や友人にとっても素敵な話ですよね。だったらその可能性を、本書を通じてほんの少しでも覗いてみませんか?
 私たちの暮らす日本には(少なくとも建前上は)奴隷制はありません。過酷な児童労働もありません。それは、人間が自由を追い求めてきた結果です。奴隷制や児童労働を無くすとき、きっと人々は次のように考えたはずです。「そんな社会が成り立つという保障がどこにあるのか?」と。しかし、保障がないまま私たちの先祖は奴隷制を無くし、児童労働を無くしました。可能であるという確信がなくとも、そうすべきであると、人々が確信したからでしょう。
 もし、誰もが労働を無くすべきだと確信したなら、その一歩を踏み出すことは可能です。もちろん、マルクスやスターリン、毛沢東が夢見た世界へと踏み出そうとした結果、私たちの目の前には真っ赤に染まった歴史書が積み重なっています。同じ歴史を辿る可能性は、誰にも否定できません。しかし、アンチワーク哲学が目指す世界は、かつて試みられた共産主義革命のプロセスとまったく異なることは、本書を読み終えたあなたならご理解いただけることでしょう。
 私は次の世代に労働のない世界をプレゼントしたい。少なくとも、問題だらけのこの世界をそっくりそのまま託したいとは思いません。そのために必要な提案と思索を、私は本書によって提示しました。
 世界を変えるよりも、自分を変えれば、それなりに幸せに生きていけることでしょう。しかし、自分を変え、世界を変えれば、自分だけでなく、誰もが幸福に生きられるはずです。私は万人の幸福と自由を望みます。そしておそらく、あなたも望んでいるはずです。
 本書を読んでも労働はなくなりません。明日からあなたはこれまでと同じような日々を生きていくことでしょう。しかし、ほんの少しでも未来が変わるなら、私はその可能性に賭けてみたいのです。

あとがき

 いかがでしょうか? きっと7割の人は「屁理屈だ」「無理に決まっている」と一蹴して、明日から何事もなかったかのように生きていくことでしょう。そして2割の人は「ふーん。そういう考えもあるのね」「まぁ俺もそう思ってたよ」と、なんとなく納得して、同じように明日には忘れていることでしょう。ただし1割の人だけが、アンチワーク哲学が世界の見え方を根底から覆す哲学であることを理解するのです。
 革新的な哲学が登場したときに、多くの人はなにが起こっているのかを理解できません。むしろ、理解されないことこそが革新的な哲学の必須条件だと言えるでしょう。多数派が「おお、これは画期的な思想だ! 世界を変えるぞ!」と同意するようなものであれば、それはもはやすでにその社会に存在していた常識を別の言葉で語ったにすぎないのですから。
 アンチワーク哲学は哲学です。これまでに存在していた常識を破壊し、そこにあらたな概念を導入し、より現実を適切に説明する方法をもたらしたという意味で、紛れもなく哲学です。むしろこの時代のど真ん中を貫く哲学と言ってもいいでしょう。現代の哲学界は残念ながらポストモダンに延々と注釈をつけ続ける伝統芸能に成り下がっており、注釈のつけ方の美しさについて競い合うマニアの世界にすぎません。マニアからすればアンチワーク哲学は道端の小石のようなものであり、一顧だにする必要すら感じないでしょう。それはそれでいいのです。彼らは7割の人間であり、僕は1割の人間に向けて本書を書いているのですから。
 さて、言い訳がましいあとがきはこれくらいにしておきましょう。選ばれし1割の人は、まとも書房から出版されている別の本もぜひ読んでみてください。書店にはほぼ並んでいないと思ってくれればいいので、ネットなり、イベントなり、とにかく調べて入手してください。とくに『14歳からのアンチワーク哲学 なぜ僕らは働きたくないのか?』は必読です。
 最後に、労働が大嫌いなあなたのために、これだけは質問させてください。
 労働が嫌いなのであれば、どうして労働が必要だなんて考えるのでしょうか? もしかしたら労働は必要かもしれません。しかし、労働が必要ないと万人が確信すれば、実際は労働が必要なくなるのです。これは疑いの余地はありません。ならば、あなただけでも信じてください。労働を撲滅するために、労働は必要ないと、まずあなたが信じてみてください。すると、実際に労働は必要なくなるのです。

 労働なき世界は、もう目の前にあります。
 

働きたくないすべての人へ。    久保一真

さて、4月から5月にかけてZINEフェス系に立て続けに4つ出店するので、そこでも販売していきたい。ここ数ヶ月で山ほどZINEをつくってきたので、イベント内容に合わせてお品書きを変えるようなこともできそうだ。

もちろん、ネットでも買えるようにはしておいた。

さてここから先は余談である。僕はそろそろ「本」と「ZINE」を区別するのをやめたいなぁと考えている。

基本的にこの2つの分類は書籍流通を規格化するための世界標準コードであるISBNコードが書籍に付与されているかどうかで区別されているケースが多い(まとも書房は出版社を名乗るためにISBNコードを取得しているが、こうした家プリンター系冊子には付与していない)。

ISBNコードがついれば「本」。ついていなければ「ZINE」。これが出版界隈の感覚である。ISBNコード抜きの本をつくった人は、「本をつくったよー」と言わずに、決まって「ZINEつくったよー」と言う。全国の書店に流通しているものこそが「本」の名に値するものであるという、薄っすらとした空気に忖度している。要するにISBN至上主義であり、権威主義である。

ISBNというのは全国流通するにあたっての管理コスト削減ツールにすぎない。しかし、もうとっくに賞味期限が切れている。これだけ情報技術が発展しているいまなら、こんなコードがなくとも管理コストを下げることは容易いだろうし、そもそも全国流通を目指さなければ必要ない(全国チェーン店がローカルな小料理屋より優れているとは限らないのだ)。

もうそろそろ、ISBN至上主義を終わらせてもいい気がしてきた。ISBNがついていようが、ついていまいが、本は本である。おもしろい本はおもしろい。つまらない本はつまらない。書店に並ぶゴミのような自己啓発書にくらべたら、ホッチキス留めしてある素人冊子の方がおもしろいのである。

素人の言論活動を応援することこそが、まとも書房立ち上げのコンセプトであった。そのためには文学イベントなんかもやっていきたいし、場も作りたい。やりたいことはいっぱいだ。

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久保一真【まとも書房代表/哲学者】
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!