見出し画像

資本主義は存在しない【アンチワーク哲学】

資本主義国家を名乗る国家はない。資本主義の精神に則って運営すべしと書かれた憲法はないし、「資本主義か共産主義か」というテーマの国民投票が行われて正式に資本主義が選ばれたこともない。『資本主義宣言』が書かれたこともない。

この時代を覆い尽くす首尾一貫した「資本主義」など存在しないのだと、僕たちはいい加減に認めた方がいいのではないだろうか?

そもそも資本主義なる用語の意味するところは、論者によってバラバラである。

リバタリアンのような資本主義を礼賛する人々はたいてい資本主義を「自由市場」とほとんど同じ意味で使用する。つまり、かつての封建社会に存在したような権力や暴力による不当な搾取が存在せず、純粋な市場の自己調整メカニズムを妨げないことにより、各プレーヤーが自由にイノベーションを起こし、取引を行い、世界を発展させるためのシステムである。ここでいう「資本主義社会」とは、マルクス主義者にとっての「共産主義社会」に近い。それは遠い未来において実現される理想郷のようなものである。現代において生じる様々な問題は資本主義が貫徹されないせいで生じているのであり、いつの日か到来する真の資本主義社会においては、あらゆる問題は解決されていく・・・というわけだ。

この意味での資本主義は「主義」と言っていいだろう。誰もロビー活動や縁故採用、中央銀行による株の買い支えといった(真の)資本主義の精神を妨げる行為によって利潤を追求しないように利己心を抑えてマナーを守りながら、しっかりと資本主義が推奨する利己的行為だけを追求する状況は、まず間違いなく自然のままに訪れることはない。なんらかの社会的ショックと強大な権力をもってして社会に浸透させる必要のある「主義」である。

ただし、繰り返すがこれは遠い未来において実現されうる理想郷のようなもので、現代に存在する(とされる)資本主義とは別物である。

では、いま存在する(とされる)資本主義とはなにか? それは資本主義批判者にとっての「資本主義」であり、利潤の最大化という原理によって突き動かされる社会システムを指す傾向にある。

とはいえ、無限の利潤追求を目指しているプレーヤーがどれほどいるのかは疑問である。ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットよりも金持ちになるために経済活動を行っている人が、果たしてどれだけいるだろうか? たいていの資本家たちは、暖かい小島で日がな一日釣りをしたり、歌を歌ったり、昼寝をしたりするために利潤を追求しているわけだ。それは資本家たちを唆す株主や銀行も同様であろう。株主を構成している一人ひとりの人間も、銀行に勤める一人ひとりの人間も、ただ穏やかな生活のために利潤を追求せざるを得ない。そしてもちろん、資本を増殖させるべく日夜労働に勤しむ労働者たちも同様であろう。彼らは自分や家族が暖かいベッドで眠り、たまの休日に旅行に出かける生活を維持するためだけに、資本家の命令に従って原子力発電所を建てたり、産業廃棄物を垂れ流したり、第三世界の児童労働を見て見ぬフリをしたりするのである。ドンペリを次々に空けて、ロレックスをコレクションし、ランボルギーニを乗り回したいという欲望を未だ抱き続ける友人があなたのまわりに一人でもいるだろうか? せいぜいマネーの虎に出てくるような勘違いした小金持ちくらいであり、人口の1%にも満たないはずだ。

つまり、この社会を動かしているのは、資本主義という名の貪欲な悪魔ではない。不安に怯える小動物の群れである

問題はこの不安の方である。不安を取り除いたときに、資本主義なるシステムがもたらしている(とされる)害悪は存在し得るだろうか? 暖かい小島でなに不自由ない生活を満喫している人々が、児童労働を強いたり、誰にハラスメントをはたらいたり、産業廃棄物を垂れ流したりするだろうか? 仮にそんな奴が一人か二人現れたところで、それを同じく暖かい小島で暮らす回りの人びとが黙って見ているだろうか? 

逆に考えてみよう。あなたが資本家だったとして、そんな人たちに対してどうすればパワハラができるだろうか? どうすれば無理な納期を押し付けることができるだろうか? 無意味なパワーポイント資料の作成を命じることができるだろうか? 不可能である。

なら、この不安さえ消し去ればいい(不安が消えるということは権力が消えるということである。不安を利用しない権力は存在しない)。そのとき資本が増殖しようが、増殖しまいが、誰が気にするというのか? 実業家たちが力説するように、エシカルに利潤を追求することは可能ではある。簡単ではないが、ぜったいに不可能というわけでもあるまい。だから、もしかしたら不安が消え去った社会においても、利潤は増殖し、GDPは伸び続けるかもしれない。だが、どっちでも構わないのである。利潤が増殖しなくとも、銀行も株主も困らないのだから。

人類がいつまでたっても資本主義に勝利できないのは当然である。なぜなら資本主義は存在しないのだから。勝利すべきは不安であり、不安によって駆動される労働である。撲滅すべきは労働である。僕たちは敵を見失ってはならない。


いいなと思ったら応援しよう!

久保一真【まとも書房代表/哲学者】
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!