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九州大学の学祭に呼ばれ福岡旅行(前編)【出版社をつくろう】

楽しい旅をした。2日間の福岡旅行である。いろんな出会いと発見があった。まずはきっかけをくれた九州大学文藝部の皆さんに感謝をささげたい。

色んなことがあったのできっと長くなる。たぶんダラダラと時系列純に語ることになるが、まぁ気長に楽しんでいってほしい。



■雲をつかむようなお誘い

10月の中頃。九州大学文藝部の部長から直々に、学祭で開催する「アンチワーク討論会」にお誘いいただいた。九州大学文藝部では以前『14歳からのアンチワーク哲学』の読書会を開催してくれたらしく、そのノリのまま、僕を呼ぶことになったのだと思う(しらんけど)。

僕は二つ返事でYESと言った。せっかく呼んでいただいたのだから、断る手はない。

とはいえ、そのあとから「アンチワーク討論会ってなにするんやろ?」という至極まっとうな疑問が浮かぶ。やんわり質問してみるも、いまいち的を得ない。まぁ、もともと彼は雲をつかむような男であるし、そうテキパキと物事をこなすタイプではない。きっとまだなにも決まっていないのだろうと僕は思った。とはいえ、さすがに当日までにいろいろと企画して、僕がなにをすべきなのかも教えてくれるだろう、と楽観視していた。

しかしそれから数週間。待てど暮らせど続報はない。教えてくれたのは場所と時間だけである。

ついに当日、僕は自分がなにをしに行くのかもわからないまま、山陽新幹線に乗り込んだ。雲をつかもうにも、雲一つない秋晴れであった。


■学研都市とはなにか?(哲学)

新大阪から3時間ほどかけて博多に到着。

だがまだまだ道のりは遠い。

九州大学の最寄り駅は「九大学研都市駅ということになっている・・・・・・・・・・・。博多駅から電車で西へ1時間弱ほど向かった場所にある駅だ。

ところで、みなさんは「学研都市」と言われるとどんな街並みをイメージするだろうか?

僕はだいたいこんな感じである。

学研都市の理想(参照)。広大なキャンパスと若い大学生たちが行き交う活気あふれる街並みをイメージするのが普通だろう。

しかし現実はちがった。

学研都市の現実(参照)。

学研都市駅に到着して真っ先に視界に飛び込んでくるのはイオンである。駅から降り立っても大学はおろか、書店の一つもない。ただただそこにあるのはイオンである。

どうやら九州大学はそこからバスに揺られて20分ほど。距離にして4.3キロの場所にあるらしい。

それはもう学研都市とは言わんやろ!」とツッコまずにはいられない壮大なボケを、地域単位でかましてくるユーモアあふれる街であった。

時間はちょうど正午。僕はもともと学研都市と銘打たれた駅前には必ずあるであろう学生向けの定食屋やラーメン屋で昼食を取るつもりだった。ところが駅前にあったのはサイゼリアマクドナルドである。

「さすがに大学のまわりには学生向けの食事処があるだろう」とふんで、僕は膨らんだ期待と、凹んだ空腹を抱えて、バスに乗り込むことにした。

ところが、バスから見える光景は、僕の期待を見事に裏切ってくれた。視界に飛び込んできたのは、都会ほど華やかでも便利でもなく、かといって古きよき商店街があるわけでもなく、大自然でもない、観光客が最もワクワクできないであろう街であった。

大学のキャンパスが見えてきても、それは変わらなかった。なにもない。僕は昼食をとることを諦めた。

あとから聞いた話では、九州大学が土地の競売かなにかに負けて遠方に追いやられたらしい。詳しい事情は知らんが全国にあれだけ巨大なショッピングモールを建ててきたイオングループである。九州大学など相手にならなかったのだろう。そして大学回りの都市開発もさほど進んでいないらしい。学生が住むマンションは点在してるものの、スーパーもなければ、ドラッグストアもない。居酒屋や定食屋、ラーメン屋もほとんどない。学祭後の打ち上げで学生たちは「とはいえ、ちょっとずつお店も増え始めているみたいで、もう少し待てばかなり活気が出てくるんじゃないですかね」と言っていた。彼に「でも、活気が出てくるころには君たちは卒業してるんじゃない?」と聞いてみた。返ってきたのは、なんとも言えない苦笑だった。


■爆破したいのは茶番でした

さて、ここまで街に対する苦情ばかりを展開してきたわけだが、学生たちに罪はない。むしろ、彼らは精一杯、そこで自分たちのキャンパスライフを楽しみ、学園祭を楽しんでいた。

しかし、その健気な努力は、ふたたび障害に突き当たっていた。学園祭は、警察と警備員に全面的に包囲されていた。

荷物検査と、金属探知のために列に並ぶ入場者たち。

なにやら大学に爆破予告があったらしく、厳重な警備体制がとられていることになっているらしい・・・・・・・・・・・

30分ほど列に並んだ僕に待ち構えていたのは、荷物チェックとは名ばかりの茶番であった。僕は鞄の中に包み紙でくるまれた大量の本をもっていた。これらの中身をチェックされるとなると、ひと仕事になるだろうなぁと考えながら、列にならんでいたのだが、警備員は僕の鞄を開けて、一番上で中身を覆い隠していたジャケットをチラッと持ち上げただけで「はい、オッケー」とだけ言って鞄を閉じた。荷物チェックは1秒にも満たなかったと思う。

その後、全身を金属探知機で調べられたが、空港のように鞄は金属探知機を通さない。その気になれば爆弾だろうが拳銃だろうがなんでも持ち込めたであろう。

きっと誰もがこう感じたはずだ。


やるならちゃんとやれ。茶番ならやるな。


よくよく見ると会場を取り囲む警察官はパトカーのなかで無駄話をして笑っている様子だった。内容は聞こえなかったが、きっとピンサロの話とかしていたのだと思う。要は誰も本気で爆発が起きるなんて思っていないのだ。ただ、「どうせ爆発なんて起きないやろww」という一言が誰も言えないために、この壮大な茶番が繰り広げられているのである。爆破したいのは、大学ではなく、茶番でした。

人が不愉快さを感じるのはこういうシチュエーションである。どうせ人の時間を使うのなら、せめて有益に使って欲しい。ブルシットジョブがクソなのも、まさしくこれと同じであろう。


■討論会という名の独演会

さて、なんとか茶番を潜り抜けて、文藝部のブースにたどり着く。時間は13時すぎ。文藝部の面々と部長が迎えてくれた。

「で、けっきょく今日ってなにすればいいの?」と聞いてみたら「なにも決まってない」と返事があった。なるほど。まぁ、ぶっつけ本番は嫌いではない。

討論会がはじまる15時まで時間があったので、僕は学園祭の雰囲気を楽しもうとぶらつくことにした。ダンス。カフェ。屋台。バンド。カラオケ。展示。あれこれと楽しんでいる学生たちに紛れたはいいものの、どうにも場違いな場所に来ているという感覚は拭いきれず、あまり楽しめない。狩猟研究部が出しているイノシシ肉の串だけ食べた。彼らはわなを仕掛けて自分たちで捕まえ、自分たちで解体しているらしい。

「おいしいですか?」と聞かれたが、固くておいしくはなかった。が、さすがに僕も大人なので礼節を込めてこう答えた。「思ってたよりはおいしくなかった」と。すると、彼らは「衛生管理のために一回下茹でしているので‥」と言った。ただでさえ猪は固いので、その結果、固くなってしまったらしい。なるほど、それは仕方がない。

14時40分頃に文藝部の元に戻ろうと階段を登っていたら、ビラを抱えた部長とすれ違った。ビラを配っている最中らしいので、手伝うことにした。「もうちょっと早く配った方がよかったんじゃない?」と聞くと「そうですね」と言った。

どうも彼はあれこれ忙しかったらしい。ごみ捨て場の当番をやったり、地理学研究会のブースも掛け持ちしていたり、運営側とのやり取りだったり。準備がおぼつかないのも仕方がない。

僕も一緒になって15分ほどビラを配ってから、時間ギリギリで会場に戻った。

さて、討論会のはじまりである。

結論から言えば、討論会はほとんど僕の講義形式になってしまった。はじめはあれこれと会場の人に質問してみて、対話をしていたのだけれど、なんやかんやと「そもそも労働ってなんでしょう?」みたいなことを話しているうちに、アンチワーク哲学についての説明をしなければならなくなり、気づけば僕が一人で黒板に板書をしながら90分近くもしゃべっていた

個人的には反省しかない。自分の理屈を展開するために、質問の回答を強引に捻じ曲げたような印象もあったし、同じような話を延々と繰り返したような気もするし、論理展開や根拠に違和感を覚えさせるような説明もしてしまった。なにより討論があまりできなかったし、テーマからもどんどん離れてしまった。もう少しイメトレしておけばよかった。せっかく呼んでくれたのだし、楽しい学祭のなかで他を差し置いて僕に時間を使ってくれるならもっと面白おかしい話ができればよかった。つぎにもしこんな機会があったら、もう少しグレードアップした話をしたいと思った(話した内容はいつも書いてるようなアンチワークな話なので、割愛)。

とはいえ、みなさん最後まで聴いてくれて、かつ終わったあとにも質問をしてくれるなど、温かい雰囲気に包み込んでくれた。感謝カンゲキ雨嵐である。

不完全燃焼感はあったものの、達成感はあった。時間は17時ごろ。学祭は19時までだったので黄昏に向かっていく切なさを帯び始めた学祭をもう少し楽しんだ。ひと仕事を終えたあとは場違い感も少しだけ薄れていて、学生気分を少しだけ満喫できた。

学祭が終われば文藝部で打ち上げをするという話だったので、19時前に文藝部に戻った。打ち上げは部長の住んでいるマンションでやることになった。


■ゆるふわ打ち上げ

打ち上げは文藝部全員が参加するのかと思いきや、ぱらぱらと数人が離脱していく。「打ち上げ、もちろん行くっしょ!」みたいなノリではなく、「行きたい人が行けばいいじゃん」というノリであった。文藝部らしくウェイ感がない。

部長のマンションには、ちょっとした商業施設エリアのなかにあった。とはいっても、文藝部員にとってはあまりにもつまらないスカスカの書店と、どう見ても学生向けではないダイニングバー(ほぼ教授陣しか使っていないらしく、学祭の夜とは思えないほどガラガラであった)と、同じくどう見ても学生向けではない家具屋くらいしかなく、どうにも不便らしい。とはいえ、マンションのなかには住居者が自由に使えるフリースペースのような場所があった。結構広い。そこにコンビニで買ったお菓子や冷凍食品、お酒などを持ち込んで打ち上げをはじめた。都市計画はあきらかに失敗だが、こうした共有スペースがあるのはいいと思った。だが、後から気づいたのだけれど飲酒禁止らしかった。酒の飲めないフリースペースなど、ヌキ抜きのピンサロみたいなものであろう(無職詩人のモノマネがまだ抜けていないようだ)。

それにしても文藝部の部員たちはなんとも緩い雰囲気だった。無意味に騒ぎ立てることもなく、上下関係を感じさせるようなこともなく、年上の僕を過度に祀り上げたり遠のけたりするでもなく、ゆるゆると飯を食った。

都市計画に関する不満や、就活に対する想い、文藝部の組織づくり、友達関係・・・いろんな話を聞いた。酔っていたのであまり自覚はないが、年長のおっさんらしく自分語りもしっかりお届けした気がする。90分も自分語りしたくせに、まだ足りないのかよ。

それにしても打ち上げは楽しかった。討論会では出てこなかったような本音も出てきて、充実した時間であった。付き合ってくれた学生たちには感謝しかないのである。

なんやかんやと時間は22時をすぎて、ホテルに向かうことにした。博多の近くの東横インである。そういえばその日の僕はまだイノシシ肉と、学祭終わり際でたたき売りされていたチャーハンと、コンビニで買ったポテトチップスくらいしか食っていない。福岡ならではの食事をまったくしていなかった。しかも、ホテルは東横イン。寝る前にやったことと言えば、陽キャ哲学のライブ配信の鑑賞。せっかくだし明日は観光っぽいことをしたいと思いながら眠りについた。


続く。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!