『虎鶫』は、異世界子育て漫画
僕は稀に漫画をジャケ買いし、僕がジャケ買いした漫画は例外なくアニメ化している(未アニメ化作品は除く。今後アニメ化される可能性があるため)。これぞ先見の明。さながら、目の前にいる少年の10年後の輝きを見逃さないジャニーさんだ。
漫画界のジャニーさんである僕が今回ジャケ買いしたのは『虎鶫(とらつぐみ)』という漫画。どんな漫画かといえば、こんな感じらしい。
舞台は、核兵器で崩壊した旧日本。異形の生物が跋扈している。死刑囚が免罪を勝ち取るためにサバイバルする中で、マスコット的キャラクター「つぐみ」やその他の仲間と冒険する。
「●●っぽいよね」と一言で切り捨てさせてなるものか!という作者の執念を感じるくらいに、様々なジャンルのサラダボウルになっていて、僕は独創性を感じずにはいられなかった。
異世界に放り投げられた主人公が、状況を分析しながら徐々に適応していき、仲間を増やしていく。僕はこういう過程を見ると『ウォーキングデッド』を思い出してしまうのだが、このテンプレートは嫌いになれない。読者と主人公の知識レベルが揃っていて、同じスピードでその世界を知っていくことで、感情移入しやすいからだ。
『虎鶫』の主人公「レオーネ」は、常識人で、冷静で、計算高く、簡単には人を信用しない。それでいて冷徹なだけではなく、感情のままに誰かを助けようとすることもある。現代人の典型的自己像にピッタリ一致するキャラクターであり、余計に感情移入を誘う。
アホっぽい同僚の「ドゥドゥ」や、子どもっぽさ全開の「つぐみ」に苦労させられている序盤は、一層その常識人っぷりが際立っていて、「わかるぅ」という気分にならざるを得ない。「さたけ」や「たま」といった常識人がパーティに加わった時、どれだけの読者が安堵したことだろうか。
それでも、最も注目すべきキャラクターは、やはりつぐみだろう。
子どもが産まれた途端に子どもが生活の中心になる親たちのように、つぐみがパーティに加わった途端、レオーネ一行の中心はつぐみになる。有無を言わさずに。
間違いなく作者のippatuは、育児経験(それも恐らく女児)がある。でなければ、精神的に幼い人間の二面性をここまでリアルに描けない。
1巻から5巻まで、表紙に描かれているキャラクターはつぐみのみ。これだけフューチャーされているマスコットキャラクターなら「無邪気で優しく健気な女の子」というフィクションじみたステレオタイプ(それこそ『SPY×FAMILY』のアーニャみたいに)に当てはめて描かれそうなものだが、つぐみはそう単純ではない。
つぐみを結婚式のスピーチで紹介するなら「優しくありながら力強く、自由闊達で、考えるよりも行動を大切にし、周りに流されず、こうと決めたら曲げない強い芯を持った女性」といったところだろうか。
要はワガママで、空気が読めず、後先考えずにすぐカッとなる、ザ・子どもだ。しかも、武力を兼ね備えているため、割と簡単に殺生に手を染める。それでいて無邪気さや優しさも兼ね備えている。単なる善でも悪でもない人間らしさの闇鍋で、突いて何が出てくるかはわからない。
つぐみの衝動的な行動の結果、計画が台無しになったり、集中して取り組まなければならない事態にあってどうでもいい話題で気を逸らしたり。言葉巧みにうまく誘導できることもあるけれど、そうならないことの方が多い。
僕はもうすぐ3歳になる息子の姿を重ねずにはいられなかった。愛さずにはいられないが、同時にイライラさせられる存在。みんなで見守るなら良いけれど、つぐみをワンオペで面倒みなければならないなら間違いなく鬱になる。
とは言え、つぐみは少しずつ成長する。周りの状況を鑑み、周りの意見を尊重する大人になっていく。これが行き過ぎれば空気を読むだけのキョロ充になるわけだが、全く空気を読まないのもやはり困りものだ。「万人による闘争なんて嘘だ」という性善説が近年は勢いを増しているものの、あくまで生まれたての人はワガママフェアリーのままで、他人と協調する術は後天的に学ばなければならないという点は、常に考慮しておく必要はある。そういうバランス感覚を教えてくれる。
『ウォーキングデッド』もそうだが、異世界で人が誰かと出会う物語は、人間とは何か?についての作者のイデオロギーが浮き彫りになりがちだ。『虎鶫』は、それを様々な角度から炙り出し、多様な人間臭さを描いてくれる。
そして何より、この世界観やキャラクターたちはアニメ映えしそうだ。たぶん2年後にはアニメ化していると思うし、たぶんそこそこ流行ると思う。
Production I.Gあたりで、よろしく頼みます。