朧月恋花 第3章 薔薇⑧
(初稿 ※掲載分と文言等が異なる場合があります。あらかじめご了承ください)
↑前回までの『朧月恋花』
朧月恋花 第3章 薔薇⑧
忘年会の帰り道では、吉川さんだった和也さんを、初めて「和也」と呼んだのは、土曜の映画の帰り道だった。
映画館を出たあとは、時間も食欲も、程良く全ての感覚が麻痺してくる。希はその波長に合わせて、踏み出した。
「コレってデートなんですかね?」
「まぁ、そう……なるかな」
「じゃ、和也って呼ぼっと」
チョコレートの甘い香りが漂ってくるショッピングモールで、付かず離れずの距離を言葉で埋めながら歩き続ける。
「あら、和也さん?」
振り返らずともその声の主が分かった。あの時すれ違った、ハイブランドビビッドレディ成宮だ。「こんにちは」と、吉川は返事をした。希は後ろから会釈を重ねる。
神様のギフトは時に残酷だ。
よりによってこの場所は、元彼のコウに咄嗟に手を離され、別れの序章の現場だった。
「またいつか、ご一緒してね、和也さん」
「あ、そうですねー。またー」
勝ち誇った笑みとブランド香水の匂いを散らしながら、希をかわした成宮は、出口に向かってヒールを鳴らした。
ああ、まただ。過去と今が重なる。大きく開いた自動ドアから足元に吹き抜ける冷たい風も、この気まずい空気をさらってはくれなかった。
「あ……あの人、思い込みが激しくてプライドが高いんだ。ああ返しとくと、一番、平和なんだ」
「その基準って、自分本位ですよね?」
飛び出た嫉妬は、棘となって跳ね返り、希自身にも鋭く突き刺さった。上手く処理することができない感情のひとつだった。
話を上手く合わせるのは、吉川の優しさだろうが、それに当てはめると、希だって同じ答えを求めたことになる。でも、今は、今でしかない。神様だってそう何度も待ってはくれない。この鉢合わせが神様の試練でも、意地悪でもなく、ご褒美なのだとしたら、素直になるチャンスは、今しかない。希はなんとか声を絞り出した。
「ごめんなさい。今の言い方は、良くなかったです。フォローしてくれたのに……」
「いや、ごめん。このままちょっと、散歩しない?」
吉川は、落ち着きを無くして硬くなっていた希の手を取り、自分のコートのポケットに突っ込むと、その中でやわらかく手を繋いだ。
混ざっても混ざってもグレー。
吉川が着ていたコートは、希のニットワンピースのグレーと同じ色をしていた。たったこれだけで、目の前に映るグレーが温かい。どんな色より愛おしくなる。ポケットの中で温められている事象は、いっそのこと、恋なんて呼んでしまわないほうがいい。棘の存在も、抜き方も、全て忘れてしまうくらいの、やわらかな呼応で、グレーに上書きして今を塗り替えていく。
このままちょっと、幸せがいい。
(次回は最終回です)
【あとがき】
いつもお読みくださり、誠にありがとうございます。
急なご報告になりますが、『朧月恋花』は来月号(3月1日掲載分)をもって連載終了となりました。
3年間描き続けてまいりました『朧月恋花』の世界。第1章 無花果・第2章 紅梅、そして、最終回を迎える第3章薔薇。こうして約3年間続けて来られた連載は、みなさまの応援の賜物です。ありがとうございます。
和歌山の地元情報紙ツーカイネットスクラムに掲載させていただいてから、たくさんの皆様にお読みいただくことができました。ふと出会った方に、「作品はどちらで読めますか?」と聞かれた時は、「毎月発行のツーカイネットスクラムさんで」とお答えすることが多く、「あ、読んでます!」と、思いがけず読者様に直接のご感想を頂戴することもあり、とても嬉しかったです。
最終回となる来月号の『朧月恋花』も、ぜひお楽しみくださいませ。
2022年2月1日 香月にいな