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おかんにんふくろ味


「おかんの味」いえば、肉じゃがやハンバーグといったドラマの食卓に並ぶような定番メニューが思い浮かぶかもしれないし、時代の流れで、もしかしたら、ラーメンやハンバーガーと答えるひとや、五穀米の混ぜご飯と言う方もいるかもしれない。


   わたしの育ってきたハイエナ家族とも呼ぶべき、ファミリー内の、「おかんの味」は、やはり一風変わっている。

   1980年代、すでに過疎が進んでいた故郷。
小学校に入学した時は、12人のひと学年、ひと学級では、毎月、誕生日会があり、小学校を卒業するまでずっと、それはクラスの定例会だった。
今のように、菌や食中毒について、さほど気にすることもなく、厳しくもなかった。公立とはいえ、お菓子を作って持ち寄れるクラス会の時間が、毎月の楽しみだった。


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  わたしがいつも母にねだったのは、1年生の頃から好評だったカフェオレゼリー。あの時は、UCCのロング缶コーヒーが流行っていて、大人も子どもも大好きだった。今思えば、あれを再現した味だった。クリープと砂糖をたっぷりと使い、子どもに合わせてこしらえてくれたそれは、今でも、おかんの味のひとつ。


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   それからパートに出だした母は、どんどん料理から離れ、不器用にも、そのチカラを最大に出し働いて帰ってくるしまうタイプの彼女は、疲れきっていて、台所に立つ時間が少なくなっていった。
別棟に引っ越してからというもの、精神的に解放されたのか、それは次第に顕著になり、おふくろの味の定番イメージのような肉じゃがなどは、食卓に上がらず、代わりにスーパーのお惣菜が並ぶようになった。



  今では信じられないが、公務員だった父が、土曜日の午後に初めて作ってくれたのがミートスパゲティだった。 茹でた麺に缶詰を開け、それをかけただけのそれは、お世辞にも美味しいとはいえなかった。


   そこから、味に凝りだした父は、研究を重ね、スパゲティからは足を洗い、今ではスペアリブの煮込みも担当する。


   父と母の台所での役割が変わり始めたその頃から今も変わらず、彼女の意思をわずかなりとも尊重している父。 



   キッチンの隙間時間をぬってそこに立つ父の背中は、なかなか面白いものがある。


   しかし、何かにつけて細かく、『隣の母はよく肉火を通す母だ』タイプのハイエナ女王が、黙っているわけもない。こうして、そのテリトリーは、未だに彼女の監視下にある。


   そんな彼女でも、長男のためにご飯を作るのを生きがいにしている母である。母は、いつまでも、母なのだ。


   家族とは一段とズレてしまった味覚の中で、奇跡的にヒットしたおかんメニューもある。ただほうれん草をフライパンで炒めて、上にチーズをかけて偶然に焦がしてしまったチーズ野菜。

  失敗から生まれた、シンプルなメニューほど、おかんの味として定着している。


「毒親」という言葉はあまり好きではない。
ましてや自分の親に使いたいとも思わないが、その言葉の節を感じることもしばしば。


  そうした毒も、つぎの世代に渡ることで少しずつ抜け、『ほどよく効いてるスパイス』くらいになればいいのかもしれない。


@writer.kadukinina57577



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