セルフしつもん読書2『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹
「生きている限り個性は誰にでもある。それが表から見えやすい人と、見えにくい人がいるだけだよ」『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(エリからつくるへの言葉)
本日のしつもん
色彩を持たないことに、どんなメリット(デメリット)があると思いますか?
村上春樹の作品の中で、この作品のタイトルは良く覚えています。めちゃくちゃに長いタイトルブームが、村上春樹きっかけだったのか、それとも秋元康発だったかは定かではないけれど、2015年はこの流れに乗った作品が何作かありました。
例によって、「そりゃぁ、村上春樹でも読んでおかなくちゃね」などと浅はかなことを考えた私は、発作的にブックオフに向かい、数ある作品の中から、これを選んだのでした。そして、最初の何ページかを読んで、昨日まで本棚に飾っていました。
「色彩を持たない」つくる君は、序盤は心情的にグレー。灰田という大学の友人が登場することによって、彼の姿と二重に見え、さらに仄暗さが長引きます。ところが、後半で、彼は一気にカラフルに。それは、彼以外の高校時代の友人から見た彼の描写によって輪郭がはっきりとするからでしょうか。沙羅のバックアップによって、始まった巡礼で自分を取り戻したからでしょうか。
赤・青・黄を等しく混ぜたら、黒に、あるいは光にもなってしまうことが、どこかに描かれていたのではないかと錯覚してしまうほど。主人公つくるにとっては、巡礼の年で、重い過去に向き合った年。どこかミステリーで、ホラーを感じつつ、人間の情念が醸し出すカラーを感じる作品。
ああ、村上春樹。あなたって女性でした?と思うくらい、女性側から見た性的描写と心情が繊細で完璧なもの。読者も恥じらってしまうほど。ハルキニストではないけれど、村上春樹には決して誰も「悔しい」とは言わないでしょう。「緻密」なんて言うにも、その言葉自体がチープすぎる。
独創力とは思慮深い模倣以外のなにものでもない。(現実主義者ヴォルテールの言葉・作中灰田の言葉より)
思慮深い模倣……それは、自然な敬意とも言えるかもしれません。
ちょうどいいところにステッカーと値打ちラベルが貼られているような文章を書いてこなかったか? もしも、そう問われたら、私はきっと黙秘を続けることでしょう。
いえ、今回は、あくまでもしつもん読書で、読了したよ!というレポートです。
まさに人生の新しい段階に足を踏み入れようとする時、過去と向き合う「巡礼」って、必要なのかもしれません。つくる君の背後に潜む過去の友人たちからの突然の断絶。抱えた「それ」に感づく沙羅は、「その状態で抱かれた時に感じる違和感」を覚えるのです。(あーわかるなー)
「それ」があると、どこかスッキリしない!と、つくる君を巡礼に送りだす大人の女性(ほんとにこんな人がいたらびっくりするが)。
ともかく、読者の私は、見事にハマり、ラストには輪郭がはっきりしていくつくる君カラーに染まってしまったわけです。
それぞれが見た真実と、事実と、現実と。その軌跡を辿って、今に還ってくる。「それ」を乗り越えるって大変なこと。
完璧な調和などないのが、実のところ、調和なのかも。
しつもん読書会
認定ファシリテーター 香月にいな
では、最後にわたしなりの答えを
A. いろんなひとの魅力が見えるひとになる。(いろんなひとの、いろんな面が見えてしまう。)