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何度でもうまれかわる

年齢を重ねるにつれ、偏屈になる人と、逆にぜんぜんこだわりがなくなる人がいる。若いときは人を見かけで判断するしかないから、ロックスターに憧れている人はロックスターのような格好をするし、自分はケンカが強いのだと思わせたい人は相手を威嚇できるような格好をする。ところが35歳くらいになると、本当にロックスターであればとっくにロックスターになっていてもおかしくない年齢なので、ロックスターでもないのにロックスターみたいな格好をしている人はちょっとおかしいのかなという気がしてくる。ケンカが強い人もやはり格闘家とかそういう道に入っていてもよさそうなのに、普通のサラリーマンをしながら相手を威嚇するような格好をしている大人を見ると、ちょっと滑稽な感じがする。逆に、本当にロックスターなのであれば、わざわざ自分はロックスターですよとわかるような格好をする必要もない。なぜならそんなことをしなくても、ロックスターである事実は揺らぎようがないからだ。つまり、大人になるにつれ人を見た目で判断するのではなく、それまでの経歴で判断されるようになるので、格好やこだわりといった細かい制約を自分に課すことで、個性を表現する必要性は薄まってくる。もちろんその役割にふさわしい格好はあるものの、別にさかなクンがスーツ姿で歩いていたとしても、魚が好きな人だということはみんな知っている。だから若いうちに何かを成し遂げた人ほど、小さいこだわりがなくなる傾向があるように感じる。わたしは別に何かを成し遂げたわけではないけど、25年もプログラマーを続けられたことはある程度誇らしく思っているし、自分がロックスターでないこともよくわかっている。

だけどここでちょっとした疑問がある。若いころのわたしも、今のわたしも生物学上も戸籍上も同じ人間であることは間違いない。だけどそんなに価値観も考え方も変わってしまったら、これは本当に同じ人間なのだろうかという疑問である。少し強引に結論をいうと、わたしはそうだと思う。なぜなら、人というのはその思想と行為によって人をその人たらしめているのであって、異なる動機に従って異なる行動をするなら、それは同一の人ではないとみなすことができる。だから結婚して彼は別人のようになってしまったというのであれば、彼は本当に別の人になってしまったのだと思う。ただ、もしかしたら明日になると元の彼に戻っている可能性はある。では何がその両者を結びつけているかというと、それは名前であり、記憶だったりする。

2016年のサマーソニックで、ヘッドライナーだったレディオヘッドはアンコールで「Creep」を歌った。イントロが流れた瞬間どよめくような歓声が沸いた。「Creep」はレディオヘッドがブレイクするきっかけになった93年のヒット曲だが、彼らはのちにこれをゴミのような曲といい捨てて、長い間演奏することはなかった。有名な曲だし思い入れもあるので、わたしを含め観客はもちろん「Creep」を期待していた。だけど本人たちはすっかり飽きてしまっているらしく、この曲がライブで演奏されることはそれまでほとんどなかった。だけどこの日はなぜか「Creep」を歌った。そういう契約だったのかもしれないし、なんとなく一周回ってこの曲が好きになったからかもしれない。それでたまたま歌っただけで、この日は伝説のフェスみたいにいわれることになった。もちろんわたしは満足したのだけど、本人たちにとってはこれはこれで、たぶんしんどいことではないかなと思ったりもする。

かつてどんなに情熱を持って作り上げた商品であったとしても、そのころと同じように顧客の要望にこたえるのが難しい状況がある。とっくに興味の対象が変わってしまっている場合もあるし、本人の能力が劣化している場合もあるだろう。まったく忘れてしまっていることもある。顧客から以前のとんこつラーメンのほうが旨かったといわれたとしても、店主がとんこつラーメンに飽きて鶏白湯しか作らなかったら顧客の要望にこたえることはできない。もちろん、自分がかつてやっていたことではあるし、そのころ何を考えていたかおぼろげにでも記憶はあるはずだから、頑張ればある程度は顧客の期待に近いものを提供することは可能かもしれない。ところがこれが企業になると、そもそも自分が気に入っていた製品を情熱をこめて作っていた人などとっくにいなくなっていることは普通にある。人がすっかり入れ替わっていたとしても、売れる商品であればまた別の人が、同じブランドという名の下に、これがあなたが欲しがっているものですよといって、同じものを期待する顧客に提供することができる。純粋に顧客にハンバーガーを食べてもらいたいと思ってマクドナルドの商品を売る人も、世界を変えたいと思ってiPhoneを売る人ももういないけれど、名前や記憶と同じようにブランドとして、なんと呼んだらいいかわからないがかつての精神のようなものが残り続ける。そしてそのブランドが以前のものと同じであるという保証はどこにもない。ブランドの正体とは、基本的には先人の生み出した製品やサービスの焼き増しを後世に残したり、大量生産するための手法であるが、ブランドが保たれるのは、それを受け継いでいこうとする強いモチベーションが売り手と買い手双方に存在する場合に限られる。

なのでなるべく他人やブランドに対して、以前と変わらないことを期待をしないほうがいいし、変わってもそういうものだと思ったほうがいい。もし時間がたっても変わらず期待に応えてくれるものがあるとしたら、それは相当な苦労を伴うものであるので、こちらも大事にするべきだろう。