相手が見せてくれる、自分が選択しなかった生き方
自分がしない行動や選択をする人。
自分にできないことを、易々とできてしまう人。
目の前にこういう人が現れたとしたら、次のような感覚や感情を抱くことがあるかもしれません。
羨望、興味、嫉妬、嫌悪…
自分の中にないものが、相手にはあるから惹き付けられたり。
自分の中に実はあるけど、あまりに無自覚で。それを目の前で見せられるものだから、なぜか心が動かされる。
自分の中に芽生える、こうした心の機微に意識を向けることが、わたしはとても好きなんです。
また、自分だけではなく、他の誰かが、そういう思いに駆られている時にも。
その揺らぎが起きた波に、そっと一緒に乗ってみて、ただただ静かに漂ってみたくなります。
↓この内容は音声配信でもお聴きいただけます(6分ほどです)↓
https://stand.fm/episodes/611a69b1dd09240006617cd0
先日、ある友人から、こんな言葉をもらいました。
いつも、自分の行動、決断に迷いがなくて羨ましい。
自分のやりたいことに真っ直ぐで、そのために手放すべきものは潔く手放して。
もちろんたくさん苦労もあっただろうけど、わたしには前向きな苦労にしか思えないよ、と。
彼女から見るわたしは、そんな風に映っているようです。
ただ、彼女が伝えてくれた通りで。
苦労…と言うか、失敗や格好悪い思いもたくさんしてきてて。
自分の意思だけではどうしようもなく、選ばなければならなかった選択もありました。
その時点では、とてもじゃないけど「前向き」とは、捉えられなかったようにも思います。
そして彼女は、それが自分にはできない生き方だった、と
少し自分に厳しいコメントをしていました。
でもね。
わたしにとっての、彼女も全く同じです。
わたしが歩むことができなかった人生を歩み、その中で得ている素晴らしいものがたくさんあるんですよね。
彼女は、学生時代からの友人なのですが。
わたしたちの周りの誰よりも早く結婚し、子供を産みました。
周囲に状況をわかちあえる同士がいない中、必死になって子育てをしていました。
泣いたこともたくさんあったそうです。
それだけじゃなく、彼女は一家の大黒柱でもありました。
旦那さんが主夫となり、彼女は家計を支える側に回りました。
国内、海外とあちこち飛び回り、がむしゃらに働き、どんどん出世の階段を昇り、家族を支え、チームメンバーを助けていました。
一体、どれくらいの「超」をつけたら良いのか?と思うほど、わたしにとって彼女は、この上なくカッコいいスーパーミラクルワーキングマザーです。
彼女はもしかして気付いていないかもしれないけど。
その時々で、彼女もちゃんと選択と決断をして、揺るがない行動をとってきていたと思います。
何より彼女がずっと変わらないのが、利他的な精神です。
いつも相手のことを思い、相手を優先し、選択をしている。
彼女の行動や選択の起点が「相手(のために、という発想)」にあるために、もしかしたら彼女は、自分の意思とは関係なく選択をしてきた、と思ってしまっているのかもしれません。
ですが、その利他的発想に基づく彼女の選択や行動を、わたしは、心から尊敬しているし、それこそ彼女ならではの生き方の特徴だと思うのです。
どちらが正しい、良い生き方だ、ということではなくて。
お互いに違う生き方、人生を歩んできていて。
相手は、自分に、自分とはまた別の生き様を見せてくれている。
純粋にそれだけです。
それでも、お互いの人生に、こうして接点があることが、わたしはとても嬉しいです。
皆さんの周りにも、同じように。
自分と近しいものを持っている人。
反対に、自分にないものを持っている人。
共感することの多い生き方をしている人。
自分では選ぶことができなかった人生を送っている人。
様々いるのではないでしょうか?
色々な人が、色々なものを見せてくれるって、本当に素敵で、不思議で、面白い。
つくづく、そんなことを思いました。