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どん底でも幸せを感じられたなら、もうそこはどん底じゃない
とても唐突なのですが。わたしは「宇宙」に想いを馳せることが好きでして。
時々、調子が悪いなぁ、と感じたり、少し気持ちをリセットしたい時など。
眠る前に、宇宙に関するYouTube動画などを見るんです。
そうすると、自分が今、抱えているものって、なんてちっぽけなんだろう、って思たり。
この宇宙の中の地球という惑星に、今、このタイミングに存在している自分って、めちゃくちゃ奇跡なんだよなぁ、って思えたりして。
あ、なんだか大丈夫かも。
って、思えて眠りにつくことができるんです。
・・・・・
それでも、やっぱりドヨヨンとした状態からなかなか抜け出せないこともあります。
ドヨヨン状態の時って、つまりは、その状態と自分が一体化してしまっていることだと思うのですね。
だから、そこから一歩抜け出すために、「宇宙」くらいの視座からその状態を見つめてみること(客観視できる状態を作ること)が、有効なのだろうと思うのですが。
でもね。
別に、宇宙の高さまで行かずとも、悩みと自分が一体化している状態から抜け出せることもあるよね、という話を書きたいと思います。
今、一人で抱えきれなくなってしまったものを、信頼できる人に話して、聞いてもらったんです。年齢も、性別も、状況も全く異なる、それぞれの人たちに。
それぞれの人たちは、わたしに意識を向けて話を聞いてくれたんですね。
考えやアイデアを押し付けてくることもしないで、ただわたしのことや背負いきれなくなってるもの、ひっくるめて、ただただ受け止めてくれてる感じでした。
そして、その人たちの共通点も見つけました。
それは「一度きりの人生を楽しむ」ことに正直な人たち。
受け止めてくれる姿勢も温かいし。
発しているエネルギーも心地よい。
そして、ふと。
こういう人たちと出会えている自分って、めちゃくちゃ幸せ者だし、奇跡そのものだなと。
当たり前のようで気づかない、そのありがたさに気づくことができました。
そこに気づけた時点で、わたしと、背負い込んでいるものを、切り離して捉えることができて、「どん底」と思っていたこの地点は、もう底ではないな、と上を見上げることができます。
当たり前にある幸せって、日頃は気付けなかったりしますよね。
いくら、どん底だ!って思っていたとしても、ちゃんと手にしているもの、大切なもの、救ってくれるもの。誰にでもきっとあるはずですよね。
誰かのことを、色々と背負い込んでるものひっくるめて受け止める。
当たり前の存在であるけど、寄りかかってもらえたり、ふと顔を上げるきっかけになれるような。
誰かにとっての、そんな人で、わたしもありたいなぁ。