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深い海で「真珠」と出会う

入院生活はある日、突然に

その強烈な痛みは、予告もなく、ある日突然襲ってきた。
いや、正直に言えば、これまでもときどき予兆のようなものはあった。
しかし、少し我慢すれば治っていたので、きっと大丈夫だと都合よく解釈していた……だけだった。

27歳のとき、婦人科系の病気で約一か月間の入院を余儀なくされた。

当時、電気メーカーのOLとして働いていた私は、所属する人事課の上司に電話をかけ、入院することになった事情を恐縮しながら説明した。
上司をはじめ、職場の皆さんは、「大丈夫? こっちは心配しなくていいよ」「安心して治療に専念して、また復帰しておいでね」と温かい言葉や励ましのメッセージをくださった。

ありがたい。私は恵まれているな……。
職場の皆さんの柔らかな笑顔を思い浮かべながら、ちょっぴり涙ぐむ。新卒採用の就活時、もともと海外と関わる仕事を志望していたのに、面接官の実直な対応に心を打たれ「この電気メーカーで私も働きたい!」と運命の出会いを感じた、自慢の職場なのだ。

私の入院生活は、体は自由に動かなくても頭は元気なので、まるで人生の充電期間を与えられたような感覚だった。

それまでの私は、OLとして規則正しく勤め、恋愛し、結婚し、家庭を築いて……という物語を紡いでいくものだと漠然と思っていた。
しかし、入院という予期せぬ事態が起こったことで、図らずも自分の役割や今後のキャリアを見つめ直す機会を得たのである。

「仕事は大丈夫」「安心してね」と言ってくださる職場の皆さんには、本当にもう、感謝の言葉しかない。

けれどもその一方で、生意気にも「今の仕事は、自分じゃなくても代わりの人が、翌日からすぐにでもできちゃうんだ」「自分だからできる仕事ってなんだろう」という考えがムクムクと湧いてきたのである。

今考えると、まだまだ青かったな~と突っ込みたくなるけれど、入院中という、社会からポツンと取り残されたような状況下で、私は自分自身に誓ったのだ。

自分が心から楽しめること、自分だからこそ生み出せる仕事をしたい、と。

大好きな会社を辞めた理由

一か月の入院期間を通して病気はすっかり完治し、無事に退院の日を迎えた。

職場に復帰した私は、もう以前までの私ではなかった。
平日はこれまで通りに仕事をこなし、週に3日、夜間に開講するグラフィック・デザインの学校に通い始めたのだ。

なぜグラフィック・デザインを選んだのか? 
それは入院中、これからのキャリアについて考えたとき、人事課の仕事の中で、特に社内報の制作にやりがいを感じていたことに気づいたからだ。

社内報は、人事課の社員が持ち回りで作っていたが、じつは配られると同時にゴミ箱に入れられることも多く、その状況を常々残念に感じていた。

人は、他者との関わりの中で変化し、成長していく。社内報は、全国に点在する支社のさまざまな部署で、どんな人がどんなふうに働いているのかを伝えるもっとも有益なツールのはずなのに、どうしたら社員の皆さんに興味をもってもらえるのだろう、と。

そこで私は、自分が社内報の担当になった際、新たな記事のアイデアを出したり、社員へのインタビュー企画を考えたり、紙面デザインやレイアウトなども工夫して、徹底的に改革を行った。

すると、多くの社員から「前よりも楽しくなった」「もっと読みたい」などの嬉しい反響があり、クリエイティブの可能性をもっと追求してみたくなったのだ。

本格的にグラフィック・デザインを学んだことで、社内報のレベルは確実に向上した。

すると、社内報だけでなく、もっとさまざまなクリエイティブを手がけてみたいという気持ちが自然に芽生えた。新しい世界に飛び立つときが訪れたのだ。


大好きな会社を退職するのは後ろ髪を引かれる思いだったが、グラフィック・デザイナーとして新たなステージに向かう決意をした私を、職場の皆さんは、病気のときと同じように、「大丈夫だよ」「応援しているよ」と温かい言葉で送り出してくださった。

キャリアの8割は偶然によって決まる

「コカ・コーラのボトルの素材と“ハッピーをあげよう”というテーマで、あなたはどう表現しますか?」

デザイン系企業からの出向として、コカ・コーラ社で新設されたソーシャルエンゲージメントのクリエイティブプロジェクトチームの一員に選ばれたときのこと。

事前に、グラフィック・デザイナーとしての力量を試されるテストがあるとは聞いていた。

しかし、その道のプロたちがずらりと20人も並んでいる前で、私のPCと巨大スクリーンをつなぎ、デザインの過程や作業の一挙一動を見られつつ即興で作るなんて、聞いてないんですけどーーー!!

……叫びたくなる気持ちをぐっとこらえ、冷汗が流れ落ちるようなシチュエーションの中、Photoshopとillustratorを駆使して、ボトルからプシューッと飛び出したコーラのしぶきで「幸」という文字を描くデザインを制作した。緊張度はすでにMAXに達している。

おそるおそる周りを見渡すと、うんうんと笑顔で頷いている皆さんの姿があった。
どうやら「このチームで一緒にやっていける人だ」と認めてもらえたらしい。

この日から、プロジェクト終了までの約8か月間、コカ・コーラ社のチームメンバーとして活動した。

心理学者のクランボルツは「個人のキャリアの8割は偶然によって決まる」というキャリア理論を提唱している。

出向という偶然からスタートしたコカ・コーラ社でのプロジェクト参加経験は、私に鮮烈な刺激をもたらし、さらなる目標を与えてくれた。

良いクリエイティブを生み出すこと――つまり、クライアントの魅力を最大限に引き出し、ブランドの価値を高めることができるかどうかは、「そこで働く人」そのものにかかっている。

彼らが、自分の強みを大いに発揮し、誇りを持つことができたら、よりクオリティの高いクリエイティブの創出に繋がっていく。
また、どんなに高いスキルや知識を持ったメンバーが集まっても、互いに認め合い、調和することができなければ、良いクリエイティブは生み出せない。

私も一人のデザイナーとして貢献するのでなく、「そこで働く人」一人一人の生き方や働き方を支援する立場で、組織がより活性化するように背中を押したい。

コカ・コーラ社での経験は、デザイナーから人事へのポジションチェンジや、現在につながるキャリアコンサルタントへの第一歩を踏み出す、大きなきっかけとなった。

欠けているなら、埋めていこう

出向先のコカ・コーラ社からデザイン系ベンチャー企業に戻ると、出向前は10名くらいだった社員数が、30名程に増えていた。

人が増えれば、課題や不満も増える。
私は社長に人事の重要性を訴え、社内初となる人事ポジションへ異動した。

さらに、自分の軸をより確かなものにするため、週末に学校に通って勉強し、キャリアコンサルタントの国家資格を取得した。

「なぜ、そんなに学び続けられるの?」と聞かれることがよくある。

私はこれまで、自分に満足できたことが一度もない。
つねにどこか自信がないし、つねにどこか納得していない。

自分の知識や経験値について、これでいいと満足してしまったら、そこまでだと思っている。

今の自分に必要だと感じることを、つねに学び続けてアップデートし、リミットをどんどん外していくことが、私にとってもっとも豊かな生き方なのだ。

たとえ何歳になろうとも、「これで満足」と思えることは一生ないだろう。


当初は、組織やチームを良くするために始めた資格の勉強だったが、学んでいるうちに、自分自身のキャリアについても深く掘り下げ、向き合うことができた。

資格取得後は、人事コンサル系の会社やコーチング・研修を行う会社、人や組織のサーベイ会社などを経験し、2024年1月に個人事業主として独立した。

いつも見守ってくれる上司や、ともに高め合えるチームメンバーはもういない。

きっと、これからも迷ったり悩んだりするだろう。

でも、欠けているなら埋めていけばいい。その情熱が人生のモチベーションになるはずだ。

海の底から一緒に「真珠(PEARL)」を見つけたい

2024年から独立した私は、「人事コンサルタント」「キャリアコンサルタント」「コーチ」として、仕事や生き方などに悩みを抱える方やキャリア相談などのToCサービス、人や組織に関する課題を抱える企業様に向けた人事コンサルティングなどのToBサービスを行っている。

個人事業主としての屋号は「PEARL career consultant」と名付けた。

もっとも大切にしているのは、クライアントの抱える本質的な課題や、大切にしている価値観などを、一緒に探求し、気づいていただける支援をすることだ。

対話を重ね、深くご自身の内側を見つめてもらうのは、一緒に深い海の中をダイビングしている感覚に近い。

深く深く潜った先に、手にできるもの(先に書いた、本質的な課題や、大切にしている価値観など)が、真にその人が出会うべくして出会えた大切なもの=「真珠(PEARL)」なのだ。

……とカッコよく語ってみたが、自分自身を探求するのは、とても怖い行為だし、そんなに簡単な作業ではない。

クライアントさんのセッションをしていると、無意識に見て見ぬふりをしていたり、感情にフタをしていたりする場面が多々ある。

中国に、こんなことわざがある。

「鳥には空気が見えない。魚には水が見えない。そして、人間には自分が見えない。」

人は自分のことをわかっているようで、わかっていないことばかりだ。

だからこそ、自分が見えなくなっている部分を映し出してくれる鏡のような存在が必要なのではないだろうか。

自分で自分がわからないから、私たちは悩み、葛藤し、ときに辛い思いをする。

それこそが人間らしさでもあり、決して悪いことではない。

けれども、見えなくなっていた自分自身を探求し「これが自分なんだ」とマルっと受け入れ、認めることや好きになることができると、人は驚くほど変われる。

何より私自身がそれをできるようになったことで、生きるのが格段に楽になった。

情報があふれ、さまざまな選択肢が広がる現代は、一見豊かで幸せなようだが、それゆえに迷うことも多い。

だからこそ、納得できる生き方や価値観を見つけることができれば、どんな社会であっても、自分の力で力強く、しなやかに羽ばたいていけるはずだ。


今日も私は、クライアントと一緒に深い海を潜っている。

一人ひとりの「真珠(PEARL)」は、凛としたシャープな輝きを放っていたり、ふわっと優しい光に包まれていたり、どれ一つとして同じものはない。



こちらの文章は、noteを通して知り合った方のご依頼で、WEB Magazineに掲載いただいた内容です。お声がけくださった、ALOHADESIGNの木ノ下さんにはこの場をお借りして、心から感謝申し上げます。

WEB Magazineには、魅力あふれる皆さんの記事が満載です▼


でも、お引き受けしたものの、自分の話を落とし込むのって、想像していたよりも難易度高めで。筆は一向に進まず…ありがたいことに、尊敬するライターの小川こころ先生にお力を借していただき、なんとか形になりました。
先生にも心から感謝です!


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