幸せってなんだ?それぞれの価値観
この記事はnote記事を書いている門田真空が感じた世界であり、誰に対して文句があるわけでも攻撃しているわけでもないことをご理解下さい。
なぜ、幸せってなんだろうって思うのか、人それぞれです。真空さんにとっては呪いのように付きまとうある種の呪縛であると捉えています。
幸せにしたい相手を思う大切な気持ちはありがたい
真空さんの旦那さんは、相手を思う気持ちのとても強い人です。自分に出会った人の幸せを願い行動する心優しい人でもあります。
素敵ですよね。自分の大切な人が笑顔でいてくれたら、それが自分の行動で引き起こされるならなおさらです。
幸せにしてほしい他力本願思考は人任せで自由なし
誰かがくれた恩恵で幸せを感じることもあります。真空さんの場合だと、旦那さんや真空キッズからの心への贈り物みたいなものでしょうか?
でも、自分以外の贈り物って、注意しないと気が付かない落とし穴があります。
それは、自分の希望通りの贈り物かどうかはわからないということです。もちろん、「疲れたから休みたい」「美味しいものが食べたい」「優しい言葉に救われたい」こうやって口にすれば、自分の希望する贈り物は手に入るかもしれません。
幸せにしたいのにできないからって自分を責める必要はある?
受け取り手の感情で全てが決まる贈り物に送り主が責任を感じる必要はあるのでしょうか?「幸せにできなくてごめんね」の相手が関係上、子どもやペットなら、責任は伴います。ですが、それ以外の友人や同僚、パートナーだったらどうでしょうか?
幸せにする義務や責任は発生しますか?
幸せにならなきゃいけない状態は辛いもの
なんでもそうなんですが、「やらなければならない」とか「こうあるべき」という状態はあまり得意ではありません。
幸せのかたちも人それぞれで感じかたも違う以上、相手を思って行った行為や感情について責任を感じたり後悔する必要はないんです。
もちろん相手との関係性がある場合に限ります。ストーカーとかはね、犯罪ですからね。
相手を自分の理想の状態に押し込めて幸せにしようとする行為や感情にさいなまれていませんか?
あなたの大切な人はあなたが元気にしているだけで幸せです
例えば「ゲームばかりして全く家庭をかえりまない」とか「遊び歩いて家に帰らない」とか。それは、するしない以前の問題であって、相手を思う気持ちとはかけはなれています。
ただでさえ忙しい世の中で、相手を思って行動することに誰がとがめるのでしょう?
素晴らしいじゃないですか。幸せにしたくて行動が起こせるなんて、とても素敵なことなんですよ?
要は贈り物をしたあとは贈り物ができたことを喜ぶべし
相手の反応はこの際あまり気にしなくても良いでしょう。的はずれならあとから、さりげなくフォローをしてくれるはずです。
相手を喜ばせようと行動した自分自身をねぎらい、称えてあげて下さい。
「よくやった」「よく頑張ったね」他の誰でもないあなた自身があなたを誉めてあげましょう。
そうしたら、相手の反応がいまいちでも、あなたは幸せになれるはずですよ。
写真はみんなのギャラリーからクローバーのみせあいっこしている画像をピックアップしました。素敵な写真ありがとうございます。
それではまたどこかの記事で会いましょう