NTT社長の入社式挨拶への批判に思う、ジェンダー平等主義者の矛盾

またぞろ、綺麗事をいうジェンダー連中が騒いでいてうんざりする。

NTTの入社式の発言が問題になっている。NTT社長が以下のように新入社員に挨拶をしたそうな。

発言は以下。

私たちは女性と男性は違うと考えています。人間という意味ではもちろん一緒ですけれども、能力や特性の得意な分野が違うと思います

この発言を受けて、ジェンダーを標榜する方々がお怒りのようだ。

ジェンダー問題に詳しい東京工業大准教授の治部れんげ氏は以下のように言っている。
「ジェンダーバイアスにとらわれた発言で残念」
「男女それぞれに何かの特性があると決めつけることは、それと異なる人々の行動や希望を制約しかねない」

男女それぞれになにかの特性があると決めつけることは駄目らしい。
あほくさい。
もし、そんなことを言うのなら、直ちに、スポーツの男子女子の区分も廃止するべきだろう。
これはどう考えたって、「男女に特性があることを決めつけ」て、「それと異なる人々の行動を制約」してるではないか。
男性より遥かに能力が劣る女性アスリートがオリンピックに出れて、能力が上のはずの男性アスリートは家で指くわえて彼女らの活躍をテレビで見ているしかない、なんてことはもう当たり前のことである。しかし、これは明らかに男女の特性の決めつけによって生じている差別である。
なぜ、それをおかしいと言わないのか?

こんなことはいくらでもある
例えばトイレの清掃員だ。女性の清掃員は男子トイレにも平気で入ってくるが、逆に男の清掃員の場合が女子トイレに入ることはない。
こうなる理由は、女性の方はトイレで異性に入られると不快感を感じるが、男の方は平気というのが理由だろう。しかし、だからといってすべての男女がそうというわけではない。結局、男女の特性を決めつけているのである。

こういうことを言うとだいたいこんな反論があるだろう。
例えばスポーツの男女分けに関しては
「男女で、体力面に違いがあることはデータではっきりしているのだから、スポーツで区分するのは当然」
という理屈だ。

しかし、これもおかしな話である。
もし、データで能力差があることが明確であれば区分してもよいというのなら、際限がなくなるのだ。
もし「女性の方が○○の能力が低い」「男性の方が○○に不向きである」
というデータがあったら、どうするのか?

データがあるから、区分していいことになり、よって、男女の性別だけで例えば配属先を決めてもよいことになる。
そして、実際に男女には体力面以外でも性差があることを示すデータはいくらでもある。

もっとも、私はジェンダー平等自体は悪いことではないと思っている。
ただ、もしそれを本気で主張するのなら、スポーツだろうが、トイレの清掃員だろうが、全て等しく平等にする覚悟を持てと思う。
しかし、こういうジェンダー連中が、スポーツの男女区分廃止を訴えていることなど聞いたことはない。
要は彼らのジェンダー平等など、薄っぺらな、ただの綺麗事なのである。

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