スタースマイル
「お世話になりました」
十五年間勤めた会社の最後は、普段通り仕事を終えたという、小さな達成感と大きな疲労感に包まれたものだった。
これからすることがある。それは分かっている。しかし、今の自分には向かっていける程の気力はなかった。
新卒から15年間勤めた物流会社。就職氷河期だった当時に自分を拾ってくれた。それだけでなく、若いうちから様々な仕事を任せてくれた。
就職活動をするまで興味を持つことのなかった物流業界だが入ってみると楽しかった。モノをつくる人とモノを売る人、その間をつなげる仕事。社会を支えている仕事。普通に生きていては見ることのできない裏側を見ることができた。
そんな経験ができた会社だが、このまま勤めていった三十年後が見えてしまった。その答え合わせに自分の人生を使いたくない。
もちろん会社には感謝している。しかし、本気になれるものが欲しかった。
プペルバスを知ったのはそんな時だった。
昔から好きだったキングコングの西野亮廣さん。
Youtubeにあがっている動画など追える情報は追いつくして、さらに興味があったのでオンラインサロンに入った。
そこには毎日記事が投稿されている。その内容は世間でやっているエンタメの裏側で、どんなことを考えているのかを知ることができる。私は夢中になって、およそ二年分の記事を三日で読んだ。
その中でプペルバスが出てきた。
『えんとつ町のプペル』西野さんの描いた絵本。
黄色い町明かりに照らされて、雑然と敷き詰められた建物が浮かび上がる。町のそこかしこからえんとつが伸びて、モクモクと黒い煙を吐き出している。そんな煙に覆われた空を少年とゴミ人間が見上げている。どれだけ叩かれても挑戦する二人を描いた絵本。
絵本と言っても、絵描き歌で描けるような絵ではない。背景まで細かく描き込まれた絵画のような絵である。
そんな絵だからこそ、絵本の絵だけの個展が成立する。絵本の絵をパネルにして、そのパネルを光らせる“光る絵本展”。
その個展を全国に届けるバスがプペルバスだ。
バスの車内のイスをすべて取り払って絵本パネルを飾っている。バスで移動して、行った場所で個展を開催する。こうすることで、病気などの理由で個展に来られない子どもたちに個展を届ける。
子どもたちを笑顔にするためのプペルバス。それに強く共感した。
バスでできることはトラックでもできるはず……
気づいたらプペルバスの主催者の方にダイレクトメッセージを送っていた。
返事が来ない。
送ってから三日が経っていたが、返事は来ていなかった。
考えてみればそうか。やろうとしていることはほとんど同じだから競合になってしまう。そんなものは受け入れられないよな……
ピロン♪
聞きなれているはずの通知音にとても驚いてしまった。
返事が来た……
おそるおそるメッセージを開く。
「はじめまして。お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。アプリの都合上、通知が来るのが遅れていました。お話は分かりました。プペルトラックが実現すれば子どもたちの笑顔がもっと増えるとおもうので、ぜひやっていただきたいです」
緊張が緩み、膝の力が抜ける。
「よかったぁ」
たっぷりと息が混ざった言葉がもれる。
これで一歩前進だ。次は……
「………というわけで、全国に個展を届けるプペルトラックをさせていただきたいです。また、トラックなので実際に荷物を積んで、運ぶこともできます。自然災害が起きたときには救援物資を被災地に届けて、そこで個展をすれば、身体も心もケアすることができると思います」
私は緊張で声が震えるのを抑えながら、画面の中の男性に向かって話した。
「いいじゃん!やろう!」
その男性は少年のように目を輝かせながら答えた。
この男性が西野さんである。
私は西野さんのコンサルを受けられるニシノコンサルを20万円で購入して、プペルトラックについて話した。
昨日、別の人のニシノコンサルを見させてもらったときは厳しいことを言われていて、自分もこうなるのではないかと思い、とても怖かった。なので、許可をもらえて心の底からホッとした。
すると、同席していた西野さんの女性スタッフが口を開いた。
「西野さんの持ってる絵本パネルを貸してあげたら?」
…………!?
「使ってない絵本パネルが倉庫にあったはずだからそれを貸したらどう?置いとくだけじゃもったいないし」
「たしかに!そうしよう!」
開いた口が塞がらない……。
後から話を聞いたら本当に口を開けて驚いていたらしい。ことわざというのはよくできている……。
しかし、絵本パネルを貸してもらえるというのはとてもすごい話だ。
元々、絵本パネルは購入する予定だった。それのサイズは30×30センチ。でも、貸してもらえるものは60×60センチの大きいサイズのもの。
こんなにありがたい話はない。
会社はつくった。あとは資金集め。クラウドファンディングで資金を集める。集まればスタートできる。
脳裏に自分の子どもたちの顔が浮かぶ。
私には小学五年生の双子と二年生の娘がいる。その双子は小さい体で産まれてきて、産まれてすぐに新生児集中治療室に入った。
不気味な程白い部屋。物々しい機械が並んでいる。それらは産まれたばかりの赤子を入れた透明なケースを取り囲んでいる。
その中で寝ている我が子は、点滴のために片腕を固定され、口からは呼吸器の管が伸びている。
全て子どもを助けるためにあるのは分かっている。しかしいくら頭で理解しても、心のどこかにこびりついた不安はぬぐえなかった。
大丈夫……きっと大丈夫……。日本の病院はちゃんとしてるから…。でも、万が一ということがあったら……。
まだ小さいのに、なんでこんな大変な思いをしなきゃいけないんだ……。
病院には、私の子どもたちみたいに辛い思いをしている子がたくさんいる。そんな子どもたちにこそ、笑顔と感動を届けたい。
仕事を辞めて収入もなくなった。この先大丈夫だろうか……。
そんなとき、いつも思い出すことがある。
『えんとつ町のプペル』を読んでいる子どもたち。
「パパがプペルのトラックをつくったらどう?」
「カッコイイ!!」
そう言う子どもたちの目には、星のような混じりけのない光が宿っている。
みんなにこの笑顔を届ける。