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百人一首第1~100番をカバーしていきます。

 

〇〇一
秋の田のかりほのいほのとまをあらみ我が衣手は露にぬれつつ 【天智天皇】

秋のうた。
天皇が農民の苦労や寂しさに想いを巡らし詠んだ。
天智天皇は即位する前、皇子の時代(中大兄皇子なかのおおえのおうじ)に、大化の改新を推進した。これにより豪族中心の政治から天皇中心の政治に移り変わっていった。
中央集権化を進めた天皇が、農民を想い詠んだうたである。よみ人知らずのうたが形を変え天智天皇作と言われるようになったとする説もある。

 ・秋の田を夜通し見張る番人の袖のほつれからしずくが落ちる

 

〇〇二

春過ぎて夏来にけらし白妙しろたえの衣ほすてふ天の香具山 【持統天皇】

夏のうた。
清々しい夏の訪れを、背景に香具山の緑、山のふもとの家々で干している真っ白の着物、という景色で感じているうた。
大海人皇子おおあまのみこ(のちの天武天皇)に嫁ぎ、政治について助言した。天武天皇が亡くなったあと、皇位継承者に考えていた息子・草壁皇子くさかべのみこも亡くなってしまった。なので自ら即位し、孫(のちの文武天皇)が即位するまで政務を執った。
持統天皇は天武天皇の政策を引き継ぎ、藤原京の造営を行った。香具山は、畝傍山うねびやま耳成山みみなしやまと合わせて大和三山を呼ばれ、この三山に囲まれた場所に藤原京は置かれた。持統天皇はどのような思いで香具山を眺めたのだろうか?

・山肌にも干してある衣にもシミなど見つけられない、あぁ夏だ

 

〇〇三
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む 【柿本人麻呂】

恋のうた。
「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」までが「長々し」を導き出す序詞じょことば
うたの意味としては下の句をとらえるだけでよく、「長い秋の夜をひとりで寝なければならないのだろうか」となる。

・垂れた尾をすなのうえでひきずるみたいに眠りにつけない秋の真夜中

 

〇〇四
田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士のたかねに雪は降りつつ 【山辺赤人】

冬のうた。
田子の浦は駿河湾西沿岸を指す。海岸に出たときの富士山を仰ぎ見た感動をうたにしている。
作者は『万葉集』の時代の代表的な歌人で、柿本人麻呂(〇〇三番)と並び「歌聖」と崇められている。

・白妙の富士のたかねが純白のヴェール越しに見つめるものは

 

〇〇五
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき 【猿丸太夫】

秋のうた。
“秋-紅葉-鹿”という代表的な取り合わせを詠み込んだもの。
「猿丸太夫」という名は、人につける名としては不自然で本名ではないと言われている。聖徳太子の孫・弓削王ゆげのおおきみとする説、天武天皇の子・弓削皇子ゆげのみことする説、道鏡説、二荒山ふたあらやま神社の神職小野氏の祖である小野猿丸とする説など諸説ある。代表的な美意識を代表するための存在のようである。

・足元で紅葉がさけぶ 雄鹿が孤独でさけぶ 秋はふるえやまない

 

〇〇六
かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける 【中納言家持】

冬のうた。
霜がおりた宮中の階段を、冴え冴えと白く光る天の川に、かけられる橋に見立てて詠んだ。七夕の夜、織姫と彦星が会うために天の川に橋を渡す役目をするのが「かささぎ」である。

・かささぎが連ねた羽の黒におりる霜の白きを眺め更かす夜

 

〇〇七
あまの原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも 【阿倍仲麿】

旅のうた。
作者は留学生として唐に渡り朝廷に登用される。三十五年経ちようやく帰国がゆるされ、その祝宴で故郷を想いながら海上の月を見て詠んだ。
しかし乗っていた船は難破してしまい唐に戻ることになり、一生日本に帰ることはできなかった。

・大空の月からすればこの涙波の飛沫の一粒ですらない

 

〇〇八
わがいほは都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり 【喜撰法師】

 百人一首の部立ぶだてでは、ぞうに属する。恋や四季、旅、離別に属さないものをまとめて雑とされていて、全部で十九首ある。
作者は生没年不詳、詳しい伝記も不明。『古今集』の序で評された平安時代前期を代表する六人の歌人を六歌仙と呼び、喜撰きせん法師もその一人なのだが、現在まで伝わるうたの数がほんのわずかである。

・山奥のこころしずかな生活はアイツ堕ちたと言えるものらしい

 

〇〇九
花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに 【小野小町】  

春のうた。
「花」とは桜のこと。
「ふる」は“降る”と“経る”、「ながめ」は“眺め”と“長雨”の掛詞かけことば
咲き誇っていた桜の花が色あせて散るのと同じように、わたしの美しさも衰えてしまったなぁ、という内容。
作者・小野小町は絶世の美女だったと言われている。美しさでもてはやされ、美しさに自信を持っていた人物が、老いて美しさに翳りが見えてくるのは相当恐ろしかったのではないかと思われる。

・さくらからさくらの色をわたしからわたしの色を奪っていく雨


〇一〇
これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂あふさかの関 【蝉丸】 

ぞうに属すうた。
「行く」「帰る」「別る」「知る」の四つの語を連ねている。「も」を繰り返し、「これやこの」「行くも帰るも」「知るも知らぬも」と対句的表現を使うことによって、全体のリズムを良くしている。

・瞳には瞳と瞳にうつしあうひとびとがうつる逢坂の関

 

〇一一
わたの原八十島やそしまかけてこぎ出でぬと人にはつげよあまの釣舟 【参議篁】

旅のうた。
作者は遣唐副使に任ぜられるも、乗船の際に受けた理不尽な仕打ちに抗議し乗船を拒否した。それが上皇の怒りにふれ、隠岐に流罪となった。その旅立ちの際に詠まれた。
作者は納得できないことはせず、思ったことをはっきりと言ってしまう人物だった。大海へ小舟で出ていくときは孤独感にあふれ、都に残してきた家族や友人たちのことを思い起こしていたのだろう。

・堂々と海原の波へ乗り出したと知っていてくれ知っていてくれ

 

〇一二
天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ 【僧正遍昭】 

ぞうに属すうた。
俗名・良岑宗貞よしみねのむねさだ。作者が出家する前のこと、新嘗祭のあとに行われる五節ごせちの舞で、作者はその舞姫たちに見とれてしまった。その舞姫たちを天女に見立てて、もっと見ていたいから天への帰り道を閉ざしてくれ、と風にお願いするという内容。

・天へ伸びる階段をもう踏んでいる乙女の背中に伸ばしてしまう手

 

〇一三
筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる 【陽成院】 

恋のうた。
陽成ようぜい天皇は十歳で即位し十七歳で退位させられた。奇行乱行が多いとされているが、それは天皇という位から下ろすために大げさに流された噂という可能性もある。
陽成天皇ののちには光孝こうこう天皇が即位した。疎ましい存在であったはずの光孝天皇の皇女がこのうたの恋の相手。筑波山から流れる水は流れるうちに嵩を増し、やがて深い淵となるように、わたしの恋心もつのっているよ、という内容。

・湧き水のようにうまれた恋心とうめいなまま大河になった

 

〇一四
みちのくのしのぶもぢずり誰故に乱れそめにし我ならなくに 【河原左大臣】 

恋のうた。
「みちのくのしのぶもぢずり」は「乱れ」を導く序詞。これは福島県信夫しのぶ地方の乱れ模様に染めた布のこと。石の上に布をかぶせ、草木の汁を擦りつけて染めていく。
心が乱れている様子を、とても具体的な視覚的イメージを使って表現している。

・きみの指がわたしにつけた乱れ模様胸から消えていません、いまも

 

〇一五
君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ 【光孝天皇】 

春のうた。
光孝天皇は五十五歳で即位した。藤原基経もとつねの画策によって即位したため実権を握ることはできなかった。温和で聡明な性格だったと言われている。
このうたは「若菜」を添えて人におくられた。「若菜」とは春の七草のことで、ほのかに想いやる気持ちにあふれているうたである。

・きみのため春の野で若菜を摘んでたらわたしの袖が雪を受けとめました

 

〇一六
立別れいなばの山の峰にふるまつとし聞かば今帰り来む 【中納言行平】

離別のうた。
作者が三十八歳で因幡国いなばのくにに赴任する旅立ちのときに、家族をはじめとする都の人々に向かって詠んだうた。
実際には任期が決まっているので勝手に帰ってきたりはできないが、当時の旅は困難を伴うものだったので多少大げさになってしまうものである。

・松の葉のようにほそい「待つ」の声を聞いたら全てを裏切ってでも帰って来ます

 

〇一七
ちはやぶる神代も聞かず龍田川から紅に水くくるとは 【在原業平朝臣】 

秋のうた。
在原業平ありわらのなりひらは、藤原高子ふじわらのたかいこと恋愛関係にあった。しかし高子は帝の后となることが決まっていてゆるされぬ恋だった。思いあまった業平は高子を連れて逃げ出すが、見つかり連れ戻されてしまう。このうたは、その数年後后となった高子の屏風絵をお題にして詠んだもの。
「ちはやぶる」は「神」の言葉を導き出す枕詞。「ちはやぶる」は“千早振る”や“千磐破”とも表記され、荒々しい・勢いのあるといった意味を持つ。「くくる」とはくくり染め(しぼり染め)のこと。ここでは、龍田川に紅葉が豊かに散り流れて、水面が紅のしぼり染めにされているとは、という風に使われている。

・ちはやぶる神代にもあったはずがない唐紅の龍田川など

 

〇一八
住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ 【藤原敏行朝臣】 

恋のうた。
岸に打ち寄せる波のように、夢の中に出られる道でさえ人目を避けてしまう、という内容。
人目を気にして逢いに行けない男性目線なのか、人目を気にして逢いに来ない男性をなじる女性目線なのか解釈が分かれる。

・岸による波は必ずかえっていく あなたは夢の中にさえやってこない

 

〇一九
難波潟なにわがた短き葦のふしの間も逢はでこの世をすぐしてよとや 【伊勢】

恋のうた。

・一瞬なのに会えないなんてアンタわたしに一人で生きろって言うんだ

 

〇二〇
わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ 【元良親王】 

恋のうた。
「みをつくし」とは“澪標みおつくし”と“身を尽くし”の掛詞。「澪標」とは、船の通路として打たれている杭のこと。「身を尽くし」とは、身を捨ててもよいというくらいの一途な気持ちのこと。
作者・元良親王もとよししんのうは陽成天皇(〇一三番)の第一皇子で、あとを継ぐべき立場にあったが、そのあとに光孝天皇(〇一五番)が即位したため、表舞台から下ろされた。
このうたの恋の相手は、光孝天皇の次に即位した宇多うだ天皇の寵愛した女性で、「身を尽くす」ほどの一途な想いは、政敵の恋人に向けられているのである。

・澪標波に打たれる 肉体が砕けてしまおうとあなたに逢いたい

 

〇二一
今来むといひしばかりに長月のありあけの月を待ち出でつるかな 【素性法師】 

恋のうた。
作者は男性であるが、男性の訪れを待つ女性の気持ちについて詠んだ。
「ありあけの月」は出るのが遅く、明け方まで空に残っている月のこと。
あなたはすぐに行くよ、と言ってくれたからその言葉を信じていたのに、明け方の月が出る頃まで待ち明かしてしまったのですよ、という内容。

・あなたから出てくる言葉が軽くなる 明け方の月のあやふやな白さ

 

〇二二
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ 【文屋康秀】

 秋のうた。

・草も木も倒しへし折り壊し尽くすだから山風を“あらし”と言うのか

 

〇二三
月見れば千々にものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど 【大江千里】 

秋のうた。
白楽天の詩を翻案してつくられた。もとの漢詩では「秋の夜は私ひとりのためだけに長いようだ」となっているのを、日本の風土になじませるため「わたしだけの秋ではないのに」とつくり変えている。

・月の光その胸がわたしを抱きとめる秋はわたしのものではないのに

 

〇二四
このたびは幣もとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに 【菅家】

旅のうた。
作者は菅原道真。宇多上皇のお供をして旅をしたときに詠んだ。
ぬさ」とは神に捧げるもの。この場合は旅の安全を祈るために捧げるものである。その旅の際に幣を忘れてしまい、ピンチを切り抜けるために詠んだうた。

・このすばらしい紅葉の錦を差し置いてお捧げできるものがないのです

 

〇二五
名にしおはば逢坂山のさねかづら人にしられでくるよしもがな 【三条右大臣】 

恋のうた。
うたの主な意味は下の句の、人に知られないでなんとかして逢いにくる方法があったらなぁ、というもの。
上の句は「くる」を導く序詞。「さねかづら」はつる性の植物で、手繰る光景をイメージさせるもの。

・さねかづらのつる絡み合うそのなかにぼくたちだけの宇宙があるんだ

 

〇二六
小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ 【貞信公】

 ぞうに属すうた。
天皇のおでかけを「行幸」上皇・法皇のおでかけを「御幸」と記し、どちらも「みゆき」と読む。宇多法皇が小倉山のふもとを流れる大堰川おおいがわを訪れた際に紅葉に感動し、子の醍醐天皇にも見せたいと言ったのを聞いた作者が醍醐天皇に行幸を勧めるために詠んだうた。
作者・藤原忠平ただひらにとっても醍醐天皇は親戚にあたり、肉親的な感情のつながりが背景にある。

・散るという美しさはあるだとしても生きる姿を見せていてほしい、もみぢよ

 

〇二七
みかの原わきて流るるいづみ川いつ見きとてか恋しかるらむ 【中納言兼輔】 

恋のうた。
むかしは女性は人前にめったに姿をあらわさなかったので、男性は垣間見かいまみ(覗き見)や噂話で情報を集め想像を膨らませ、恋文やうたをおくり求愛するのが当たり前のことだった。

 ・顔も声も髪の匂いも知らないのに恋心湧き出し止まらないのだ

 

〇二八
山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば 【源宗于朝臣】 

冬のうた。
「かれぬ」は“離れ”と“枯れ”の掛詞。「人目」が”離れぬ“(遠ざかる)、「草」が”枯れぬ“、とそれぞれうけている。

 ・山里に積もった雪はまっさらで足跡なんかついたりしない

 

〇二九
心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花 【凡河内躬恒】 

秋のうた。
晩秋の朝庭に出てみると、初霜がおりてまっしろになっていた。その美しさに感動して詠んだうた。もちろん庭一面に霜がおりたとしても、白菊と霜の区別がつかなくなるということはないので、頭の中で描いた美の世界である。

 ・霜なのか白菊なのかこの光に触れてもいいのか消えないだろうか

 

〇三〇
ありあけのつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし 【壬生忠岑】

恋のうた。
男性が女性のもとに行ったら冷たくあしらわれ追い返されてしまった。そのとき空にはありあけの月が出ていた。それらがまとまり忘れられない記憶となって、明け方ほどつらい時間はないとなっている。
「暁」とは夜が明けようとする時間帯の、まだ空が暗い頃のこと。もう少し明るくなり太陽が顔を出す頃になると「曙」「朝ぼらけ」となる。

 ・ありあけの月も冷たくかがやいて夜明けよりつらい時間なんかない

  

〇三一 
朝ぼらけありあけの月と見るまでに吉野の里に降れる白雪 【坂上是則】 

冬のうた。 

・夜が明け役目を終えた月が散るみたいに見えた降りしきる雪

 

〇三二
山川やまがわに風のかけたるしがらみは流れもあへぬもみぢなりけり 【春道列樹】

秋のうた。
「しがらみ」とは水の流れを弱めるために、川に杭を打って竹や柴をからませたもののこと。

 ・山川にかけられたしがらみは風がもみぢを散らしてつくった額縁

 

〇三三
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ 【紀友則】

 春のうた。

 ・にんげんもかぜもひかりも寝ぼけてる春の日にぱらぱらと散る桜

 

〇三四
誰をかも知る人にせむ高砂たかさごの松も昔の友ならなくに 【藤原興風】

ぞうに属すうた。
「知る人」は心の許せる友のこと。「高砂の松」は長寿のシンボル。
長生きをしたことで古くからの友はみな亡くなってしまい、感じたさびしさを詠んだ。

 ・老いぼれとけなしてみても高砂の松は返さない砂浜は白い

 

〇三五
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 【紀貫之】 

春のうた。
作者が昔なじみの宿を久しぶりにたずねたとき、宿の主人から「宿はちゃんとあるのに、久しぶりですね」と皮肉を言われた。それに返したうた。
ここでの「花」は梅のこと。

 ・途切れていくものは人のなかにしかない 今も昔も梅は香り立つ

 

〇三六
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ 【清原深養父】

夏のうた。
「宵」とは日没からしばらくした時間帯のことで、夏だと午後七時~九時頃。夜とはざっくり分けると、宵→夜→夜明けと経過する。このうたでは「まだ宵だと思っていたのに夜が明けてしまった」と言っている。

 ・夏の夜はあっというまに明けてしまう月は宿を無事とれただろうか

 

〇三七
白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける 【文屋朝康】

 秋のうた。

 ・秋の野の露に風が吹きしきり糸が切れ散らばる真珠のようだ

 

〇三八
忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命も惜しくもあるかな 【右近】 

 恋のうた。
このうたの恋の相手は藤原敦忠あつただ(〇四三番)。「忘らるる」は忘れられてしまう。「身」は自分のこと。「誓ひてし」は誓ってしまった。「人の命」はあなたの命。
あなたは「ずっと一緒にいる」と神に誓ったのに心変わりしてしまったから、くだるであろう天罰を心配している、という内容。

 ・消えていくわたしのより裁かれるあなたの命が心配なのです

 

〇三九
浅茅生あさじうの小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき 【参議等】

恋のうた。
「浅茅生の小野の篠原」までが「忍ぶれど」の序詞。
「浅茅生の」は「小野」の枕詞で、丈の低い茅がまばらに生えている野原のこと。「小野」も野原のことで、「篠原」も細く低い篠竹の生えている野原のこと。
鬱蒼と茂っていて忍び隠れることのできる自然の光景を、忍ぶ気持ちのあらわれとして用いている。

 ・心臓に埋めたはずの恋心喉を昇って出てしまいそう

 

〇四〇
忍ぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで 【平兼盛】

恋のうた。
隠していた恋が表情や動作でバレてしまった、という内容。
このうたと壬生忠見みぶのただみのうた(〇四一番)は、村上天皇の内裏歌合だいりうたあわせで競った。あまりにも拮抗していたためぎりぎりのところまで結果が出なかった。

 ・「恋してる?」と言われてしまった紅椿の花は無言のままでも開く

 

〇四一
恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか 【壬生忠見】

 恋のうた。
思い始めたばかりの恋なのに、もう他人に発覚してしまった、という内容。平兼盛たいらのかねもり(〇四〇番)の方と比べると、つらい恋の行方が想像される。
平兼盛との歌合うたあわせの決着は、村上天皇が「忍ぶれど」とつぶやいたことで兼盛の勝ちとなった。負けた忠見は悲嘆にくれ、ものが食べられない病気になり死んでしまったという逸話も残っている。

 ・「恋してるらしいよ」の噂立ってしまい地面に落ちる椿の頭

 

〇四二
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは 【清原元輔】

 恋のうた。
このうたは男性が心変わりした女性をなじるもの。
このうたは初句切れで、「契りきな」は“約束しましたよね”といきなりはじまる。これ以降に約束の内容を続ける。
「かたみに」は“互いに”、「袖をしぼりつつ」は“涙を流しながら”。
「末の松山」は宮城県多賀城市の海岸沿いの名所で、どんなに高い波でも越えることはできないと言われていた。ここでは末の松山を波が越えることなどありえないように、わたしが心変わりすることはありえない、ということ。
二人で涙を流しながら、あなたは「わたしが心変わりすることなどありえない」と約束しましたよね?という内容。

 ・約束は?涙の海で松のようにゆらがなかったあの約束は?

 

〇四三
逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔は物を思はざりけり 【権中納言敦忠】

恋のうた。
「逢ひ見ての」とは一夜をともに過ごすこと。「物を思ふ」とは思い悩むこと。
一夜をともに過ごしたあとの気持ちと比べたら、以前のわたしは恋に思い悩んでいなかったようなものでした、という内容。
このうたは後朝きぬぎぬのうたというもの。一夜をともにして別れたあとに、男性が女性におくるもの。逢っていたときの気持ちを反芻し、また逢いたいという想いを込める。

 ・全霊を注ぎ切ったと思っていたら深い泉を新しく見つけた

 

〇四四
逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし 【中納言朝忠】

恋のうた。
もし深い関係にならなかったとしたら、あなたのこともわたしのことも恨まないでいられたのに、という内容。つまり、何度か逢っているうちに相手の態度が冷たくなり、訪れても逢ってくれなくなったことを嘆いているのである。

 ・火だるまでのたうちまわってもため池にはやっぱりやっぱりとびこめない

 

〇四五
あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな 【謙徳公】

恋のうた。
わたしのことを「かわいそうだ」と言ってくれる人がいるとは思えない。わたしはきっとむなしく死んでしまうのだろう、という内容。

 ・まだ痛む?と言われる想像ができなくて吸い込まれるように透明になる

 

〇四六
由良のとを渡る舟人かぢを絶えゆくへも知らぬ恋の道かな 【曽禰好忠】

恋のうた。
うたの意味の中心は下の句の、どうなってしまうかわからない恋の行方だなぁ、というもの。
上の句は序詞で、由良の瀬戸を渡っていく舟乗りがかじをうしなってしまった光景で、「ゆくへも知らぬ」を呼び込んでいる。
作者は官位が低く偏屈な性格で奇行も多かったため、社会的には孤立しがちな存在だった。しかし、うたの世界では新奇な題材や古語を用いて斬新なうたを詠むなど革新的であった。また『百人一首』の形式である「百首歌」を創始したといわれている。

 ・髪の毛がゆれるたびに急カーブこの恋はどこに行こうというのか

 

〇四七
八重むぐら茂れる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり 【恵慶法師】

 秋のうた。
ここの「宿」は河原左大臣・源融みなもとのとおる(〇一四番)の邸宅のこと。このうたが詠まれたときは、源融の時代から百年経過しており、当時のような豪華さはなくなってしまっていた。

 ・ぬけがらの家に秋はつる草を茂らせ別荘にして住みついた

 

〇四八
風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふころかな 【源重之】

 恋のうた。
風が激しく、岩に打ち当たる波のように、わたしだけが思い乱れて、恋のために悩んでいるのです、という内容。
『百人一首』の中で水のもつイメージで恋をあらわすうたは「住の江」「難波潟」「末の松山」「由良のと」のように、歌枕をもちいたものが多い。これは当時の都の人たちは海を本当に見たことがある人は少なく、歌枕をよりどころにして表現する方が詠みやすかったからといわれている。しかし、このうたの作者・源重之みなもとのしげゆきは地位が低く地方回りが多かったため、実際に海を見たことがあり、歌枕をもちいずに詠むことができたのだと思われる。

 ・岩のごとく冷たいあなたに当たって砕け心は飛沫になってしまった

 

〇四九
みかきもり衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ 【大中臣能宣朝臣】

恋のうた。
恋情が夜には激しく燃え昼にはうつうつと鎮まる様子を、宮中の門を守る兵士が焚くかがり火にたとえている。
『百人一首』のなかで「火」をもちいているのはこのうただけ。

 ・夜に燃え激情はのこらず消えさって晴れわたる昼には闇しか見えない

 

〇五〇
君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな 【藤原義孝】

 恋のうた。
逢瀬おうせを果たす前は、あなたに逢うためなら命など惜しくない、と思っていた。しかし今、実際に逢ったあとになってみると、惜しくなかった命が長くあってほしいと思うようになったのです、という内容。
作者・藤原義孝ふじわらのよしたかは幼い子どもを残し、二十一歳で天然痘にかかって亡くなった。

 ・きみのためにいつでも死ねる【初逢瀬】きみのために長く生きたい

 

〇五一
かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを 【藤原実方朝臣】

恋のうた。
「いぶき」は“いふ”と“伊吹(山)”の掛詞で、初句・二句の「かくとだにえやはいふ」が想いを伝えられないでいる、ということ。「さしも草」はヨモギのことで、お灸の原料になるもの。伊吹山がこれの名産地。
「さしも知らじな燃ゆる思ひを」はどれほどのものか知らないのでしょうね、この燃える想いが、となる。「さしも草」の“さしも”が、四句「さしも」を呼び込む役目をしている。
このうたは作者が女性にはじめておくったもの。この技巧のオンパレードさを見ると、とても強い想いを寄せていたということが感じられる。

 ・じりじりと燃える想いに喉の管は内側から焼き切れてしまいそう

 

〇五二
明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな 【藤原道信朝臣】

 恋のうた。
当時の通い婚という風習では、夜になると男性が女性のもとに訪れて、夜明けに帰っていく。そして帰ってから文をおくり、その文にはうたを添える。それを後朝きぬぎぬのうたという。
このうたは後朝の歌。おくられた日は雪が降っていた。離れたくないのに別れなければならず、夜がぼーっと明けながら雪が舞っている空を眺めている。作者・道信みちのぶは二十三歳で亡くなっている。若い恋心を技巧なくストレートに詠んでいる。

 ・朝が来るそして夜が来る分かってるでも恨めしいこの朝ぼらけが

 

〇五三
嘆きつつひとりる夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る 【右大将道綱母】

 恋のうた。
作者の夫は藤原兼家ふじわらのかねいえ
子どもを産んで間もないころ、兼家が三日続けて来ないことがあった。調べさせると他の女性のもとに通っていることが分かり、数日経ち兼家がやってきたときに作者・道綱母みちつなのははは門を閉ざし帰してしまう。そのあとに彼女が夫におくったのがこのうた。
作者は他にも『蜻蛉かげろう日記』を書いている。このなかにも夫を待つ寂しさや恨み節が残されている。

 ・分かんない?ひとりで眠るときの部屋は氷になるってこと 分かんないよね。

 

〇五四
忘れじの行く末まではかたければ今日を限りの命ともがな 【儀同三司母】

 恋のうた。
作者は学者の家系として名高い家に産まれ、夫は摂政・関白もつとめた藤原道隆ふじわらのみちたかで、子どもたちもそれなりの地位につき、特に娘の定子は一条天皇の皇后となった。
このうたは道隆と出会って間もないころのうた。あなたは「忘れないよ」と言ってくれますが、それが難しいのは分かっています。だから今日を最後に死んでしまいたいのです、という内容。死んでしまいたいくらい、今が恋の最高潮にあるということ。
栄華を極めた一家だったが道隆の死後、政争に敗れ急速に衰退してしまう。息子二人は左遷されてしまい、儀同三司母ぎどうさんしのははは出立の車にすがりついて同行を願ったが許されず、その後病気になって亡くなってしまう。

 ・時間には塗り潰せないものはないだから消されるまえに消えたい

 

〇五五
滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ 【大納言公任】

 ぞうに属すうた。

 ・滝の水落ちて流れて去ってゆく名を残すのは人の世のため

 

〇五六
あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな 【和泉式部】

恋のうた。
病床に臥しているとき、恋人へおくられた。

 ・だめなのですわたしはもう。魂にあなたの熱を埋め込ませて下さい

 

〇五七
めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな 【紫式部】

 ぞうに属すうた。
幼友だちと再会したときのうた。
再会したが満足に話すことができず別れてしまった友を、夜中には沈んでしまい、姿を見たのにゆっくりと味わうことのできなかった月と重ね合わせて詠んでいる。

 ・まだ空は暗いというのに隠れてしまう月と競って行ってしまった

 

〇五八
有馬山猪名いなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする 【大弐三位】

恋のうた。
訪れが減ってきた男に「あなたの心変わりが心配だ」と言われ、それに返事する形で詠んだもの。
「有馬山猪名の笹原風吹けば」までが「そよ」の序詞。「そよ」には笹の葉が立てる音と『それですよ』の意味が掛かっている。
「あなたの心変わりが心配だ」と言われ、「それですよ、私が言いたいのは。あなたの方こそ心変わりしたんじゃないですか?わたしがあなたのことを忘れることなど決してありません」と返している。

 ・風に吹かれる笹原の笹 ひらひらなびくわたしの黒髪

 

〇五九
やすらはで寝なましものをさ夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな 【赤染衛門】

 恋のうた。
「やすらはで」は“ためらわないで”、「寝なましものを」が“寝てしまったらよかったのに”。「かたぶくまでの月を見しかな」は月が西に傾くほどの時間になってしまった、つまり夜明けになってしまった、ということである。
男性との約束を信じて、寝ないで待ち続けた妹の代わりに詠んでおくったうた。

 ・「きっともうそこまできている(※くりかえし)」 西へ傾く月を見上げた

 

〇六〇
大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立 【小式部内侍】

ぞうに属すうた。
小式部内侍の母親は和泉式部(〇五六番)。
和泉式部が京にいないとき小式部が歌合うたあわせに参加することになった。すると藤原定頼ふじわらのさだより(〇六四番)が「代作は頼みましたか?お母様のいる丹後へ使者は出しましたか?」とからかってきた。それに対して詠んだうた。即興で技巧を凝らし、からかってきた定頼をやり込め、うたで自立宣言をした。

 ・わたしのうたはわたしの海の波のうねりでつながっているけれど違う海

 

〇六一
いにしへの奈良の都の八重桜今日九重ににほひぬるかな 【伊勢大輔】

 春のうた。
伊勢大輔いせのたいふは一条天皇の中宮・彰子に仕えた女房。
出仕して間もないころ、古都・奈良から京都の宮中に八重桜が届いた。桜を受け取って帝にお渡しする役目は紫式部に決まっていたのだが、突然彼女に譲られた。さらに藤原道長に「桜を受け取るついでに和歌も詠みなさい」と言われ、緊張しながら即興で詠んだのがこのうた。
「今日」は“今日”と“京”を掛けていて、「いにしえ」と「今日」、「奈良」と「京」を対照的に表現している。「八重」と「九重」で数字を連ねている。

 ・花びらに人にさらに宮殿も重なり合って輝きをつくる

 

〇六二
夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ 【清少納言】

 ぞうに属すうた。
清少納言は教養の高い女性であったが、その才覚をひけらかすタイプでもあった。
ある夜、藤原行成ふじわらのゆきなりと語り合っていたのに、途中で帰られてしまった。そこから二人の手紙のやりとりがはじまる。
行成「昨日はごめん、鶏が鳴いたから朝だと思って帰ったんだ。ホントは名残惜しかったんだよ」
言い訳の手紙をおくる。
清少「どうだか!鶏っていうのは、鶏の鳴き声でだまして函谷関かんこくかんを開けさせたっていう、あれでしょ!」
鶏鳴狗盗けいめいくとうの語の由来にもなった、中国の故事を出して皮肉を返す。
行成「違います!関所は関所でも、函谷関ではなく逢坂の関です!」
“逢坂の関”とは男女が二人で会って関係を持つ、ということを暗示させるためによく使われた歌枕。
これに返したものがこのうた。
「鶏の鳴き声」から「函谷関」、そしてさらに「逢坂の関」と連想ゲームのようにやり取りしている。

 ・鳴き真似は所詮鳴き真似逢坂の関は決してだまされません

 

〇六三
今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな 【左京大夫道雅】

恋のうた。
このうたの恋の相手は三条天皇の皇女・当子とうし内親王で、伊勢の斎宮さいぐうだった女性。伊勢の斎宮とは、伊勢神宮に天皇の名代として奉仕する女性のことで、恋愛厳禁だった。
ところが道雅みちまさと当子内親王の仲が露見してしまい、二人は逢うことができなくなってしまった。そんなときに詠んだうたで、せめてあなたへの想いを断ち切るということを直接伝えたい、という内容。

・皮も身も骨も血液もいらないから“あきらめます”と直接言いたい

 

〇六四
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらわれわたる瀬々の網代木あじろぎ 【権中納言定頼】

冬のうた。
冬の明け方の情景。
「網代木」とは漁のために川に打ちこんである杭のこと。三句「たえだえに」は二句をうけ四句にかかり、川霧が晴れることと網代木があらわれることの両方の動きについてあらわしている。

 ・夜の闇ぼんやりと明け川の霧うすらいできて網代木の列

 

〇六五
恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ 【相模】

 恋のうた。
作者は相模守・大江公資おおえのきんすけと結婚したため「相模」と呼ばれるようになったが、結婚生活は破綻してしまう。その後奔放な恋愛をしていく。
このうたは作者が五十歳ぐらいのときに詠んだもの。歌合うたあわせの「恋」の題で詠まれたものだが、経験に基づいた実感も潜んでいるような気がする。

 ・尽くしても尽くしても朽ちていく名が弄ばれて名があなたに呼ばれなくて

 

〇六六
もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし 【前大僧正行尊】

ぞうに属すうた。
作者は十歳のときに父親を亡くし、十二歳で出家した。また修験道の行者としても知られている。
作者が修行のために山に入ったとき思いがけず山桜にめぐり会った。孤独な修行の最中に出会った美しく咲く桜に心魅かれ、うたを詠んだ。

 ・山奥にやってきてひとり山奥に立っていてひとりここは山奥

 

〇六七
春の夜の夢ばかりなる手枕たまくらにかひなく立たむ名こそ惜しけれ 【周防内侍】

 ぞうに属すうた。
月の明るい晩、女房たちがおしゃべりをしていた。作者・周防内侍すおうのないしは眠くなって「枕が欲しいわ」とつぶやくと、こっそり聞きつけた藤原忠家が「これを枕に」と腕を御簾みすの下から差し入れた。これに返して詠んだうた。
「手枕」とは腕を枕にすることで、男女がともに寝ることを意味する。男の軽い誘いをやんわり軽くいなしている。

 ・つかのまの夢でつまらない噂を春に住みつかせたくないのです

 

〇六八
心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな 【三条院】

 ぞうに属すうた。
三条天皇が即位した頃は藤原道長の力が強まっていた。三条天皇は眼の病を患っていて、それを理由に道長から退位を迫られていた。道長の圧迫に負け、道長の孫に譲位することになった。
このうたは退位を決意されたときに月が明るかったのをご覧になって詠まれた。

 ・り潰され擂り潰されても生きれたら恋しく思い出すつぶれた月だ

 

〇六九
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり 【能因法師】

秋のうた。
「三室の山」「龍田の川」は両方とも“紅葉”をイメージさせる歌枕うたまくら
作者は和歌の道を選び、二十代半ばで出家した。とくに歌枕に強い情熱があり、旅に出て各地の歌枕を採集してまわり、歌学書『能因歌枕』を著した。

 ・散らす、散らす、三室の山のもみぢ葉を 織りなす、織りなす、龍田の川の水面みなもを錦に

 

〇七〇
さびしさに宿を立ち出でてながむればいづこも同じ秋の夕暮れ 【良暹法師】

 秋のうた。
「秋-夕暮れ-さびしさ」を結び付けたうたは、今でこそありきたりに感じられるが、当時としては新しかった。

 ・じっとしていられず外に出てみると叫びのような秋の夕暮れ

 

〇七一
夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろやに秋風ぞ吹く 【大納言経信】

 秋のうた。
「夕されば」は夕方になると。「さる」は去るではなく、近づく、来るの意味。
「門田の稲葉」は家の前の田んぼの稲葉、「芦のまろや」は芦でかやぶいた粗末な小屋。

 ・夕されば稲の葉が鳴り木の枠のまだある障子がぱたぱたふるえる

 

〇七二
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ 【祐子内親王家紀伊】

恋のうた。
「あだ」は、徒・空、と書き、実がない・かりそめ、という意味。「あだ波」とは、いたずらに寄せては返す波のことで、この波を浮気っぽい人にたとえている。
浮気っぽいあなたの言葉には騙されませんよ。袖が涙で濡れることになってはいけませんから、という内容。
このうたは艶書合えんしょあわせで詠まれた。これは男性が恋歌をおくり女性が返歌するという形式の歌合うたあわせ。二十九歳の藤原俊忠からおくられたうたに対して返したもの。そのときの作者は七十歳ぐらいであったという。

 ・あだ波はよるだけよったら去っていく濡らした袖など振り返らずに

 

〇七三
高砂の尾のの桜咲きにけり外山とやまの霞立たずもあらなむ 【前中納言匡房】

 春のうた。
「高砂の尾の上」とは高い山の峰のことで、「外山」とは人里に近い山のこと。遠景と近景を並べて置き、さらに「咲きにけり」と三句切れにすることで、その対照をより鮮明にしている。

 ・さくらさくら峰にずらりと咲くさくら 霞よ立つな席から立つな

 

〇七四
憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを 【源俊頼朝臣】

恋のうた。
奈良県の初瀬山に長谷寺という恋の願いに効くと評判の寺がある。そこで祈ったのに、その祈りが通じず相手が冷たくなっていってしまった、という内容。

 ・吹き下ろす風が激しさを増すように冷たくなれなんて祈ってないよ

 

〇七五
契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり 【藤原基俊】

ぞうに属すうた。
作者は息子の僧・光覚こうかくを、出世コースに乗ることになる維摩会ゆいまえの講師にしてほしいと、時の権力者・藤原忠通ただみちに頼んでいた。忠通からは任せなさいという返事をもらえていたのに、結局選ばれなかった。そのことへの恨み言を詠んだうた。
「させもが露」とは、さしも草(よもぎ)の上にのった露のことで、ありがたい恩恵という意味。ここでは忠通が約束してくれたということ。

 ・よもぎの葉に露が乗っていました輝いた露がただもう消えていますが

 

〇七六
わたの原こぎ出でて見ればひさかたの雲居くもいにまがふ沖つ白波 【法性寺入道前関白太政大臣】

ぞうに属すうた。
「わたの原」は大海原、「ひさかたの」は天体に関係するものにかかる枕詞で、ここでは「雲居」にかかる。「雲居」とは雲のある所のことだが、このうたでは雲そのものをさす。
大海原に漕ぎ出して眺めてみると、大空の雲と見間違えてしまうような沖の白波だなぁ、という内容。
作者・藤原忠通ふじわらのただみちは二十五歳で関白になって以来、摂政・関白・太政大臣を何度も務めたエリート政治家。
このうたは忠通が三十八歳のときのもの。崇徳すとく天皇(〇七七番)が位にあった頃に詠ませたもの。この二十年後の保元の乱では崇徳天皇と対立することになる。

 ・雲の上、いや波の上 海原に漕ぎ出してきた、いや流されてきた

 

〇七七
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ 【崇徳院】

恋のうた。
川の流れが岩にぶつかって分かれてもまた合流するように、わたしたちも別れがあったとしてもまた逢えるのですよ、という内容。
水の流れと恋のありようを重ねている。
崇徳天皇は五歳で即位するものの実権は父・鳥羽上皇が握っていた。そのため鳥羽上皇が寵愛する妃とのあいだの子・近衛天皇を即位させるため、二十三歳で譲位させられた。しかしそうして即位した近衛天皇が若くして崩御してしまい皇位継承問題が発生。崇徳天皇は保元の乱を起こし敗北、讃岐に流される。

 ・ほとばしるぼくらの恋は裂かれてもひとつに戻れるものだと思う

 

〇七八
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守 【源兼昌】

 冬のうた。
冬の夜更けの海岸に千鳥の鳴く声が響きわたる。その声に眠りを妨げられ目を覚ます須磨の関守。千鳥のは家族や友人などを慕って鳴くものとされていて、家族から離れて須磨で番人をしている関守の孤独感が一層増していくのだろう。

 ・やぶかれるねむりを千鳥の鳴く声に眺める淡路島を半身起こして

 

〇七九
秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月の影のさやけさ 【左京大夫顕輔】

 秋のうた。
「月の影」は月の光、「さやけさ」は明るく澄みきっているということ。

 ・秋風にたなびく雲の切れ間から月の光がとろりと落ちる

 

〇八〇
長からむ心も知らず黒髪の乱れてけさは物をこそ思へ 【待賢門院堀河】

恋のうた。
男女が一夜を明かした翌日、女性が詠んだうた。
「長からむ心」とは、これからもあなたのことを忘れないと言った男の心。その心が本当に続くかどうか分からないと女性は思っている。
当時の女性は男性を待つことしか出来ない立場で、忘れないなんて言われたところでその男心があてにならないことくらいよく分かっていた。それでも心を乱して思い悩んでしまう、という内容。

 ・かなしいのかうつくしいのかわからない台風が過ぎさった朝みたいに

 

〇八一
ほととぎす鳴きつる方をながむればただありあけの月ぞ残れる 【後徳大寺左大臣】

夏のうた。
「ほととぎす」は夏の訪れを告げる鳥とされ、その年の最初の一声を耳にするために夜明けまで待つこともあったほどありがたられた。
このうたでは、ほととぎすが鳴いた方を眺めてみてもすでに姿はなく、ただ明け方の月が残っているだけだなぁ、と惜しむ気持ちをうたにしている。

 ・ほととぎすが応えてくれたと振り向けばありあけの月が浮かぶ、ぽつんと

 

〇八二
思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり 【道因法師】

恋のうた。
恋がうまいくいかなくて思い悩んでいても命は持ちこたえているのに、つらさに耐えきれないのは涙の方なのだなぁ、という内容。生きながらえる物体としての「命」と、耐えきれない心の象徴としての「涙」と対比させている。
作者はうたの道への執着が並外れていた。八十歳頃に出家したのちも、「私に秀歌を詠ませてください」と毎月祈願したといわれている。

 ・失恋に耐えた命の穴ぼこから耐えきれなかった涙が流れる

 

〇八三
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 【皇太后宮大夫俊成】

ぞうに属すうた。
このうたは作者・藤原俊成ふじわらのとしなりが二十七歳のときに詠まれた。俊成は藤原氏に産まれるも、最盛期の道長から数えて四代目になり、若い頃はあまり官位に恵まれなかった。また当時は平安時代末期であり、武士が力をつけはじめ貴族の地位は安泰ではなくなっていた。転変する時代を生きた歌人の、悟りの気持ちがうたにあらわれている。

 ・視線とか噂から逃げる道はない山奥にもない鹿のひと鳴き

 

〇八四
ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき 【藤原清輔朝臣】

 ぞうに属すうた。
生きながらえたとしたら今頃のことを懐かしく思い出すだろう。つらくてならなかった過去のことが今は恋しく思われるのだから、という内容。
作者・藤原清輔ふじわらのきよすけは父親との仲が悪く、うたの才能をなかなか認めてもらえなかったり、父親が非協力的でなかなか出世することができなかった。このうたは何歳ごろに詠まれたものかは分かっていないが、逆境を乗り越えるためにうたわれたという感じがする。なお、作者はその後努力を怠らず歌人として活躍した。

 ・生き延びたら今日を笑いに変えられるあんな過去でも笑いになるなら

 

〇八五
夜もすがら物思ふころは明けやらでねやのひまさへつれなかりけり 【俊恵法師】

恋のうた。
作者は男性だが、男性の訪れを待つ女性の気持ちをうたにした。
一晩中あなたを待って思い悩んでいると、夜がなかなか明けきらないで、寝室の板戸の隙間さえ薄情に思われてしまうのですよ、という内容。
男性の訪れを待つ女性だが、頻繁に訪れる関係ではないようで、どうせやって来ないのだからせめて早く夜が明けて欲しいと思っている。それでも一人でいる夜は長く感じられ、行き過ぎた思い悩みは寝室の戸の隙間さえ薄情に感じさせてしまう。男性が詠んだとは思えないほど実感がこもったうたである。

 ・朝日までやって来ないのは寝室の板戸のこの隙間のせいだ

 

〇八六
嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな 【西行法師】

恋のうた。
「月やは物を思はする」の「やは」は反語であり、述べていることとは反対の意図を込めている。「かこち顔」は動詞“かこつ”からきており意味は、かこつける、他のもののせいにして嘆くこと。
嘆けと言って月がわたしに物思いさせるのだろうか。いやそうではないのに、月にかこつけてこぼれ落ちてくるわたしの涙だなぁ、という内容。
月は人を物思いにふけらせ涙を流させるものと考えられていた。本当の理由は恋の悩みなのに、月のせいにしてしまうという気持ちをうたにしている。

 ・月にしか存在しない引力でひっぱりあげられた私の涙

 

〇八七
村雨の露もまだひぬまきの葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ 【寂蓮法師】

秋のうた。
「村雨」とは秋のにわか雨のこと。「ひぬ」は“ぬ”。「まき」とは漢字にすると“真木”となり、良材となる杉や檜の総称。
にわか雨が降ってきて、そのしずくがまだ乾かないでいる真木の葉に、霧が立ちのぼってくる秋の夕暮れだなぁ、という内容。
水墨画のようなモノトーンの風景を描いたうたである。

 ・雨粒を叩きつけられた真木の葉が霧に潜った秋の夕暮れ

 

〇八八
難波江の芦のかりねのひとよゆゑみをつくしてや恋ひわたるべき 【皇嘉門院別当】

恋のうた。
作者は女性。旅の宿でのたった一夜の契りを忘れられない気持ちをうたっている。
「かりね」は“刈り根(芦の切り株)”と“仮寝(旅宿での一夜)”、「ひとよ」は“一節(芦の節と節のあいだ)”と“一夜”、「みをつくし」は“澪標”と“身を尽くし”の掛詞かけことば
「恋ひわたる」は恋い続けるの意味で、「かりねのひとよ」が“恋い続ける”ものになってしまう、つまり、旅の宿での行きずりの関係のはずが、生涯恋い続ける相手になってしまったという気持ちをうたにしている。

 ・捧げたのは身体だけのはずだった 芦の刈り根は枯れて茶色い

 

〇八九
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする 【式子内親王】

恋のうた。
作者は後白河天皇の皇女で、賀茂斎院かものさいいんをつとめたため恋愛や結婚の自由がなかった。
また病気がちで、時代は乱世で父は幽閉、兄は戦死、甥は幼くして亡くなるなど、この世の無常を数多く経験した人物だった。

 ・喉元が裂けてしまいそう私の恋だれもしあわせにしないというのに

 

〇九〇
見せばやな雄島おじまのあまの袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず 【殷富門院大輔】

恋のうた。
「見せばやな」はお見せしたいものです、「雄島」は宮城・松島にある歌枕、「あま」は“海人”と書き漁師のこと。
お見せしたいものです。雄島の漁師の袖がどれほど濡れても色は変わらなかったというのに、あなたのために流した涙で濡れた袖は、血の涙によって色が変わってしまいました、という内容。
このうたは百年以上前に詠まれた源重之みなもとのしげゆきのうたを踏まえて詠まれている。
「松島や雄島の磯にあさりせしあまの袖こそかくはぬれしか」
重之のうたは、雄島の漁師の袖と同じくらい、わたしの袖は涙で濡れているのですよ、という内容。これに返す形で、どれだけ濡れてもわたしの袖のように血で色は変わっていないでしょ、つれない男性を恨む女性の気持ちを詠んでいる。

 ・見てよコレ見える?見えてる?この袖が流し尽くした後の涙で染めた袖が

 

〇九一
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む 【後京極摂政前太政大臣】

秋のうた。
「きりぎりす」はコオロギのこと。「さむしろ」は藁などで編んでつくった粗末な敷物のことである“むしろ”に“さむし(寒し)”を掛けている。「衣かたしき」は自分の片袖を敷いて寝ることで、平安時代は男女が一緒に寝る場合、お互いの袖を敷いて寝ていたので、「かたしき(片敷き)」はひとりで寂しく寝ることを意味した。
作者・藤原良経ふじわらのよしつねはこのうたをつくる直前に妻を亡くしたといわれている。たんなる秋の寂しさのうたではなく、亡き妻を恋い慕い哀悼する気持ちが込められているうたなのかもしれない。

 ・目を閉じても闇が闇になるだけ こおろぎは霜夜を語り明かすのだろうか

 

〇九二
わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわく間もなし 【二条院讃岐】

恋のうた。
わたしの袖は、潮が引いたときにも水面にあらわれない沖の石のように、誰にも知られず恋の涙で乾く暇がないほどなのです、という内容。
人目につかないところで忍ぶ恋をしていることを、海中深くに沈んでいる石にたとえるのはとても上手で斬新であったため、作者は「沖の石の讃岐」というあだ名までつけられた。

 ・袖が石に ひざしを知らない沖の石に 水の底でうずくまる石に

 

〇九三
世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも 【鎌倉右大臣】

旅のうた。
「世の中は常にもがもな」は世の中が永遠に変わらないでいてほしい、ということ。「あまの小舟の綱手かなしも」の「かなし」は“愛し”で、漁師が小さな舟の引き綱を引いている姿がいとおしく感じられるなぁ、という内容。
作者・源実朝みなもとのさねともは鎌倉幕府第三代将軍。時代の変革期に生き、権力をめぐって争う人々を目の当たりにしていた実朝は、無常の世を身に沁みて知っていた。だからこそうたのなかでは「永遠に変わらないでほしい」と願わずにはいられなかった、というような感じがする。

 ・変わらないでくれ 波は逆巻く 変わらないでくれ 波は逆巻く

 

〇九四
み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣打つなり 【参議雅経】

秋のうた。
吉野の山から秋風が吹いてくる。夜が更けてこの古い里は寒さが増して、衣を打つ音が聞こえてくる、という内容。
「ふるさと」は故郷の意味ではなく、かつて都や高貴な人の離宮があった土地のこと。吉野はかつて天皇の離宮があり栄えた場所。「衣打つ」とはきぬたを打つとも言い、衣になる布を木や石の台の上に乗せ木槌で打って、布をやわらかくしたりつやを出したりするもの。秋の夜なべ仕事として行われた。
冷え込みが厳しくなっていくかつての都で、とんとんと砧を打つ音が響きわたっている、というなんともいえない侘しさを表現したうた。

 ・そぞろざむ古都に秋風吹きわたって衣を打つ音響きわたって

 

〇九五
おほけなくうき世の民におほふかなわが立つそまに墨染めの袖 【前大僧正慈円】

ぞうに属すうた。
「杣」は比叡山をさす。「墨染めの袖」は僧衣のことで、三句「おほふ」は僧衣で覆う、つまり仏道修行によって人々を救おうとすること、と意味している。
分不相応ではあるが、つらい俗世を生きる人々のために祈り、救いたいものだ。わたしが住みはじめた比叡山で仏道修行に励むことによって、という内容。

 ・空の黒が濁って濁ってやまぬからから墨染めの袖精一杯ひろげる

 

〇九六
花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり 【入道前太政大臣】

ぞうに属すうた。
「ふりゆく」は“降りゆく”と“古りゆく”の掛詞かけことば
桜の花を嵐が散らしている庭で、ふりゆくものは雪ではなく、老いていく私自身なのだ、という内容。
花の散りざまと老いの悲哀を二重写しにしてうたにしている。

 ・強風にはがされおちて庭にたまる私だったなにかがじっと見ている

 

〇九七
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩もしおの身もこがれつつ 【権中納言定家】

恋のうた。
「夕なぎ」は夕方の無風の状態。「藻塩」を「焼く」とは製塩法の一種で、海藻に海水をかけて焼き、水に溶かした後に煮詰めて塩を精製すること。
二句から四句「まつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の」までが「こがれ」の序詞じょことば。来ない恋人を待つときの身を焦がすほどの気持ちを、夕凪の浜の蒸し暑さや藻塩を焼く煙やにおいで表現している。

 ・浜は陽に海藻は火に焼かれつつ待っているわたしの身は焦がれつつ

 

〇九八
風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける 【従二位家隆】

夏のうた。
「風そよぐ」とは風がそよそよと音をたてて吹くことで、秋のきざしを感じるもの。「みそぎ」とは夏の終わりの六月三十日に行われる、海や川で身体を清めその年前半に身体についた穢れをはらう行事(夏越なごしのはらえとも言う)。
風の音に秋の到来を知り安堵感を抱き、さらに夏を惜しむ気持ちが加わる。夏から秋への移り変わり、変化そのものに情緒を感じているのである。

 ・風がほどいた夏のはしっこをつかむ川に流すまでの間だけ

 

〇九九
人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は 【後鳥羽院】

ぞうに属すうた。
「をし」はいとおしい、「恨めし」はうらんで憎らしく思う、「あぢきなく」はつまらない・おもしろくない。三つの形容詞をたたみかけるようにはじまるのは印象的である。
人をいとおしく思ったり、人を憎らしく思ったり、この世をつまらないと思うせいであれこれと思い悩むわたしの身といったら、という内容。
作者・後鳥羽天皇は四歳で即位する。しかし平家追討中のことであり、先代がまだ退位しておらず天皇の在位期間が二年間重複するという異常事態であった。さらに三種の神器を平家に持って行かれたため、神器なしで即位した。そのことを何かとケチをつけられた。その後十九歳で譲位し、院政を敷き二十三年間権力を握った。
このうたは承久の乱を起こす九年前、三十三歳のときに詠まれた。政治の激動の最中、ひとりの人間の中にある相反した感情がうたに込められている。

 ・あのときに愛したひとを憎んでいて冷たい渦から抜け出せずにいる

 

一〇〇
ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり 【順徳院】

ぞうに属すうた。
「ももしきや」は宮中・皇居のこと。「しのぶ」は“しのぶ草”と“偲ぶ”を掛けている。
宮中の古い軒端の下に生えているしのぶ草を見ると、やはり忍びつくせない昔のことであるよ、という内容。
「昔」とは栄えていた頃のこと。栄えていた頃はしのぶ草など生えてこれなかった。しかし今は生えてきている、と忸怩じくじたる思いでいる。
作者・順徳天皇は父・後鳥羽天皇(〇九九番)とともに承久の乱で敗者となる。このうたは承久の乱の五年前、二十歳のときに詠まれたもの。昔を羨み、もう戻ることはないのではないか、と感じながら、再興への想いを静かに燃やしてもいる。そんな心情が込められているのではないだろうか。

 ・昔なら生えてこれなかったしのぶ草がいまはそよ風とたわむれている

 

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百人一首第1~100番でした。
一首でも読んでいただけたらうれしいです。


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