【対談】『一番の恋人』『ブルーマリッジ』刊行記念 君嶋彼方×カツセマサヒコ
20年後くらいに、ここで書かれていることが笑い話になっていたらいいですよね。
構成・文/吉田大助 写真/橋本龍二
27歳の会社員・道沢一番が付き合って二年になる千凪にプロポーズをすると、「好きだけど、愛したことは一度もない」。恋人は、アロマンティック・アセクシャル(恋愛感情も性的欲求も抱くことがない性質)だった──。君嶋彼方の『一番の恋人』(KADOKAWA)は、一番と千凪の間に生じる愛の形を見つめながら、「男らしさ」に象徴されるジェンダー・ステレオタイプを炙り出していく。ほぼ同時期にカツセマサヒコが発表した長編第三作『ブルーマリッジ』(新潮社)は、恋人の翠にプロポーズした26歳の会社員・雨宮守と、妻に離婚届を突きつけられた50代の会社員・土方剛の視点をスイッチしながら、『一番の恋人』に通ずるテーマが描き出されていく。同世代の男性作家二人の想像力が共鳴したのは偶然か、必然だったのか?
男性も生きづらいんじゃないか
という疑問から始まった物語
君嶋:新刊のタイミングで誰かと対談しませんかという話になった時に、カツセさんのお名前を出させていただいたんです。以前、ラジオで僕の著作に触れてくださったことがきっかけなんですが、『ブルーマリッジ』を読んでびっくりしました。『一番の恋人』と関心が重なっていると思うポイントがたくさんあったんです。
カツセ:まったく同じ気持ちです。一番と守君は年齢もほぼ同じだし価値観や考え方に似ている部分があって、もしも二人が会えたら絶対仲良くなれると思いながら読んでいました。どっちも、ずっとクヨクヨしてるじゃないですか。結構珍しいタイプの男性主人公だと思うんです。
君嶋:そうですよね。それに対して、女の人のほうは結構さっぱりしている。
カツセ:そこも重なっていますね(笑)。
君嶋:僕が今回どうしてこういう主人公の話を書いたかというと、一作目の『君の顔では泣けない』という男女の体が入れ替わる話を出した時に、「女性ってやっぱり生きづらいよね」って感想を目にすることが結構多かったんです。もちろんどんな感想を抱くかは読者の方人それぞれなんですが、自分はそこをテーマに書いたつもりはあまりなかったので、意外だなって感じたのと同時に、「男性も生きづらいんじゃないかな?」と。男性の生きづらさを中心に据えた話を書いてみたいなと思ったんです。
カツセ:先にアロマンティック・アセクシャルを書こうと思ったわけではないんですね! 「好きな人がアロマンティック・アセクシャルだった」というテーマが先にあって、そこを書いていく過程で男性の生きづらさといった問題が派生して出てきたんじゃないか……と予想していたので驚きました。
君嶋:じゃないですね。結婚してバリバリ働いて子供をもうけて……という男らしさを求めていた主人公が、そういう生き方から距離を取らざるを得なくなるシチュエーションはと考えた時に、プロポーズした恋人がアロマンティック・アセクシャルだった、という設定に辿り着きました。一番は千凪の存在によって初めて、これまでの生き方に疑問を覚えて苦しんだり、新しい道を見つけようとするんです。ただ、アロマンティック・アセクシャルという性質を装置にはしないよう気を付けました。
カツセ:実は、好きになった人がアロマンティック・アセクシャルだった、という話をいつか書こうと思っていたんです。叶わない恋のひとつの形として考えていたんですが、自分が書きたかったもの以上のことが君嶋さんの作品で表現されていて、これがあればいいや、という気持ちになりました。ヒロインの千凪さんの視点を通して、アロマンティック・アセクシャルの方からは世界ってこんなふうに見えているんじゃないか、と疑似体験できるディテールが本当に緻密なんです。当事者の方に取材などされたんですか?
君嶋:ネットで調べたりなどはしたんですが、当事者の方にお話を伺うとか、参考文献を読んだり見たりすることはあえてやめました。そこで得た情報に引っ張られてしまうかもという懸念があったのと、「アロマンティック・アセクシャルはこういう人」という型に千凪をはめたくなかったんですよね。あくまでも自分が考える千凪像を大事にしたかったんです。
カツセ:千凪がアロマンティック・アセクシャルという概念を知って、自分もそうだと一番に話すシーンがあるじゃないですか。カミングアウトってすごく怖いことだから、僕なら相手はどうやって受け入れてくれるだろうかと葛藤するような書き方をしそうだなと思ったんです。でも一番の目から見た千凪は毅然とした態度で告白している。どうしてそういう書き方をしようと思ったんですか。
君嶋:アロマンティック・アセクシャルだからと言って、そのことであまり悩ませたくないなと思ったんです。そこを悩ませすぎちゃうと、結局恋愛がすべてだよねみたいなことに繋がりかねない。ただ、自分のことを好きでいてくれる一番のことを好きになれないとか、母親に子供を見せてあげられないとか、そういうことでは悩んでいるんです。
カツセ:今すごく腑に落ちたというか、彼女がずっとかっこいい理由が分かりました。自分のアイデンティティに対して悩むよりも、近くにいる他者をどうしたら傷つけないかを先に考える人なんですね。
君嶋:強い女の人が好きなんだなと思います、自分自身が。カツセさんも同じじゃないかなと勝手に思っていたんですけど……。
カツセ:大好きです。って、なんですかこのボーイズトーク(笑)。
加害性をめちゃくちゃ持っていた
中年が、変われるか?
カツセ:僕は『ブルーマリッジ』の構想を、男の生きづらさではなく、生きやすさからスタートさせたんです。この社会では男があまりに生きやすさを享受しすぎている、その中で生じている無自覚な加害性を書こうと思いました。
君嶋:読んでいて、めちゃくちゃ胸が痛かったです。男性の読者で、昔の自分を思い出さない人はいないんじゃないでしょうか。自分は女性のことを誰も傷つけていない、潔白で生きてきたって胸を張れる人は逆に怖い。
カツセ:僕自身、7、8年前からフェミニズムやジェンダーの本を読むようになったりしていく中で、過去の自分の発言があまりにひどかったなとか、女性をモノ扱いするような自分がいたなと反省したことも大きかったです。『一番の恋人』でも、一番が男性同士の飲み会に行くシーンで、ホモソ爆発みたいなひどい会話が出てきますよね。あの中に、昔の自分もいたんですよ。そういった過去とどう向き合いながら未来を歩めばいいかなっていうところから、今回の「世代や価値観が全く違う男二人のお話」を書いてみようと思ったんです。
君嶋:会社で女性社員にパワハラをしている土方はもちろん、一見すると女性への理解がすごくありそうな守も、無自覚な加害性の持ち主なんですよね。
カツセ:どちらかが悪でどちらかが正義、というふうに割り振るつもりはなかったですね。男らしさからどう逃げるかが僕らの主人公たちが抱える共通の問題だと思うんですが、そこでどちらも描かれているのは家父長制の重たさというか、旧来の家族像の歪さで。一番の家には、マジで行きたくないなと思いました(苦笑)。
君嶋:僕も行きたくないです(笑)。一番は、男らしさを強要されているって設定は最初から頭の中にあって、それをやってくるとしたら母親よりは父親の方かな、と。ただ、いかにもザ・昭和のおやじみたいな造形にはしたくなかったんです。
カツセ:そこがすごく不思議でした。一番のお父さんは、自分自身は男らしくなかったという設定ですよね。それなのにこんなにも子供に男らしさを強いるというのが、怖いし悲しい。
君嶋:自分が男らしくないから生きづらかった、と父親は思っているんですよね。息子たちにはそれを味わわせたくないから、という親心ではあるんです。
カツセ:そうか、父親たちが生きてきた時代は今よりもっと男らしさを求められていたと考えると、そうなるのかもしれない。
君嶋:一番の父親と『ブルーマリッジ』の土方は年齢が近いので、その辺りの価値観は似ている部分があると思います。
カツセ:男というものをどう捉えているか、どれぐらい現代の考え方をインストールできているか、という部分では、二人はかなり近いところにいると思います。正直な話をすると、僕が今回書きたかったのは土方なんですよ。さっき君嶋さんが一作目の感想を見て、「女性の生きづらさ」と言われすぎたからこそ「男性の生きづらさ」をテーマにしようと思ったとおっしゃったじゃないですか。僕も一作目で「若者の青春」うんぬんを言われ続けすぎたがゆえの、逆張りです(笑)。出てくる順番も、初稿では逆でした。そうしたら、「50代のおじさんの悲劇のシーンから始まる物語は楽しくない。読者を裏切りすぎている」と編集さんに言われて、順番を入れ替えたんです。
君嶋:僕も「カツセさんは若者の話を書く方」というイメージを持っていたので、今回おじさんの話を書かれていたのは本当に意外でした。
カツセ:お話の全体像が何も固まっていない頃から、それまで家事を一切しなかったおっさんがエプロンを付ける、というシーンだけは浮かんでいたんです(笑)。加害性をめちゃくちゃ持っていた中年が変われるか、というのが大きなテーマにあったんですけど、政治家の失言とか軽率な謝罪を見ていると、「この年代の人たちってもう変われないのかな?」って絶望的な気持ちになるじゃないですか。自分の人生の先があれだと思うと、あまりにしんどすぎるから、いや、人間っていくつになっても変わっていけるぞってところを、希望を込めて書きたかったんです。
男であることに苦しんでいる人を救うのは
男の人であってほしい
カツセ:どちらの作品も、既存の結婚観に対して疑問符を突きつけているというのも共通点ですよね。たぶん、僕らの世代って既存の結婚観にだいぶ飽き飽きしてるというか、現実とズレてるよなと思っている意識が強いじゃないですか。そのうえで、それでも結婚するんだとしたらどんな理由があるのかを極めて個人的に書いたのが『ブルーマリッジ』だったんです。つまり、ただ単純に、結婚を否定するということではない。若者たちの結婚願望が薄くなったとか、結婚しなくてもいいと思っている人が増えていますみたいなニュースをよく聞きますが、統計的にはそうかもしれないですけど、身近で聞く声は全然そうじゃなかったから、目の前の現実を書きたかったんです。
君嶋:おっしゃる通りです。
カツセ:「周りがみんな結婚しちゃって焦ってます」みたいな話をよく聞くし、それと同じくらい「離婚したい」と言っている人の話もよく聞きます。この結婚というブラックボックスは何なんだろうという大きな疑問が湧いてきて、僕なりにそのことについて探るために、結婚する守と離婚する土方という二人の主人公が出てきたのかなと思うんです。
君嶋:本編にも書いたんですが、結婚してないってだけで色眼鏡で見られるというか、それが分かると相手への印象が変わることってどうしてもあると思うんですね。「あの男の人は女性に対していつも失礼だけど、結婚しているからいいところもあるんだろうな」と逆算して考えてみたり。結婚するかしないかという本人たちの葛藤以上に、周りの人たちが結婚に対してどう考えているかを書いてみたいと思っていました。
カツセ:そうした環境にいながら、一番と千凪が出した結論は、「そうだよね」ってすんなり受け入れられるものでした。
君嶋:結論というか結末の部分も、『ブルーマリッジ』と似ているなと思いました。結局、辿り着くのはそこなんだろうな、と。
カツセ:そこ、というのは、あれですよね、あの恥ずかしい台詞の……。
君嶋:愛とかそういうことなんですが、いざこういうふうに話そうとするとものすごく恥ずかしくなっちゃいますよね(笑)。
カツセ:分かります(笑)。僕はその単語が出てくるシーンを、夜中の三時ぐらいに書いたんですよ。たぶん、真夜中に書くラブレターみたいな感覚になっていたんです。あまりに恥ずかしいので改稿の時にしれっと直そうとしたら「そこは直さないでください」と編集者に言われ、そのまま残りました(笑)。
君嶋:真夜中のラブレターぐらいの気持ちで書く方が、響くのかもしれませんよね。と思いつつ、ちょっとそこはあんまり触れないでって気持ちです(笑)。
カツセ:話を変えましょうか(笑)。僕、主人公のお兄ちゃんである勝利が推しなんですよ。この物語のキーパーソンのひとりですよね。
君嶋:一番が自分が男であることに苦しんでいる中で、些細なことでいいから「男で良かった」と思える瞬間があったらいいなと思っていたんです。男であることに苦しんでいる人を救うのは、男の人であってほしい。それで、お兄ちゃんに頑張ってもらいました。
カツセ:そこも全く同じ発想です。僕も、ボロボロになったおじさんを誰が救うのかと考えた時に、そこでケア要員として女性が出てくるのは、今までの物語から抜け出せてないなと思ったんですよ。そこできちんと理由を持って同性の人物が現れて、助けるというよりは「起き上がれおっさん!」みたいな鼓舞の仕方をしていけば、新しい話になっていくのかなと思ったんです。
君嶋:罪を許すとか許されるとかじゃなくて、そういった過去も抱えて生きていこうという姿に、僕も救われる気がしました。読むことができて本当によかったです。
カツセ:こちらこそです。お互いに男の生きづらさとか既成の結婚観の息苦しさを書いているわけですけど、20年後くらいになったら、ここで書かれていることが笑い話になっていたらいいですよね。
君嶋:前時代的な小説だね、みたいな。
カツセ:そうそう。その辺の葛藤はとっくにくぐり抜けているよ、と読者に鼻で笑われるような日が来たらいいなって思います。
プロフィール
君嶋彼方(きみじま かなた)
1989年生まれ。東京都出身。「水平線は回転する」で2021年、第12回小説 野性時代 新人賞を受賞。同作を改題した『君の顔では泣けない』でデビュー。他の著書に『夜がうたた寝してる間に』『一番の恋人』がある。
『一番の恋人』(KADOKAWA)
カツセマサヒコ
Webライターとして活動しながら2020年『明け方の若者たち』で小説家デビュー。2021年、川谷絵音率いるバンドindigo la Endの楽曲を元にした小説『夜行秘密』を書き下ろし。『ブルーマリッジ』が三作目の長編小説。
『ブルーマリッジ』(新潮社)