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老害と呼ばれないための説教ハック

最近「ソフト老害」が話題になりましたね。
20代の頃は50歳なんてもう年寄りだと思っていましたが、いざその年齢に近づいてみると実感としては単なる20代の延長です。

自分が20代の頃には50代なんて「アウトオブ眼中」だったのに、自分がアラフィフになったら20代に対して「俺たちタメ線張ってるよね(同世代だよね)」とか感じてしまう始末。

だから若者からアウトオブ眼中されるのはイヤで、まして「老害」だなんて絶対思われたくない。
そんな切実な思いから、老害にならないための方法をまじめに考えてみました。

まず「老害」という言葉をざっくり因数分解してみると、次の要素が思い浮かびます。
・年齢マウント
・感情的
・プライドが高い
・自分が正しいという思い込み
・話が長い
・説教話・昔話・自慢話

どれも高齢者に見られる迷惑な傾向なので自分もつけないといけないなーと思う一方、「説教」だけは一括りにダメって訳でもないじゃないんじゃないかなと感じました。

一般に言われる「説教」とは、堅苦しい教訓や忠告をあざけった表現だと思います。
でも、会社の先輩から注意されたりアドバイスやフィードバックをもらうことを「説教」と表現することもありますよね。
つまりそれは受け取った側の一方的な呼び方であって、第三者から見て「適切な」助言や指導だったら別にいいんじゃないの?と思うのです。

たぶん同じアドバイスでも、同世代からのものは受け入れやすく、年の離れた上の世代からだとどこか強制力のようなものを感じるんじゃないでしょうか。

話し手にとっては「アドバイス」でも、受け取る側にすれば押し付けがましい「説教」になってしまう。
僕たちプレ老人世代はこのことを意識しておいたほうがいいと思います。

遠い過去を思い起こせば、僕も10代20代の頃はいろんな人からよく説教されました。
典型的なのは
『お前を見ていると若い頃の自分を思い出す。今ではあの頃こうしておけばよかったと後悔している。だからお前はこうしておいたほうがいい。』
みたいな内容が多くて、当時の僕はやっぱりそういう言葉を「説教」ととらえて疎ましく思っていましたが、今思えばみんな優しかったんだなぁとしみじみ思うのです。

この記事はおもに僕らプレ老人世代向けに書いているので、こんなことを書くと若い人からは
「そういう言葉がそもそも老害臭い」
「他人の人生に口を出すな」
「余計なお世話だほっとけ」
とか言われそうですね。
そう感じるのは自由だし、僕も思いっきりそう思っていたし反発もしていました。

老害という言葉は、若い世代から上の世代を評価するものです。
これまでは上の世代が一方的に若者を「若僧・ガキ・鼻たれ」と蔑んできましたが、最近になって逆方向の評価がされるようになりました。
『年長者はエラいのだから若者はとにかく高齢者を敬え』みたいな価値観が社会から淘汰されてきたのだと思います。

さて、アドバイスを受け取った側がそれを疎ましく感じるかを話し手がコントロールすることはできないので、せめて伝える側としてはきちんと相手に配慮したアドバイスの仕方、つまり説教を「ハック」しておくことが大事です。

といってもその方法はごく当たり前のことばかりなのですが
・聞き手に回る
・多様な価値観を受け入れる
・納得感
・押し付けない
・相手の時間を奪わない
のように、年齢を重ねるごとに忘れてしまいがちなことをしっかり意識し続けることが大切です。

例えば
「仕事なんて辛くてつまらないのが当たり前だ。3年続けてみればやりがいや面白さが見えてくるから続けてみろ」
といういかにも説教臭い言葉でも、
「仕事は最初はキツくてつまんないかもだけど、3年もやればスキルもついてきて案外楽しくなるかもよ」
と言い換えれば、ちゃんと聞いてもらえるような気がします。
しらんけど。

老害という言葉を過度に恐れず、必要なときに適切な形でエールを送れる年寄りになりたいですね。
ではまた。

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