破壊と再生、あるいはSHHisGRADへの感情
いつもの
この記事にはSHHis実装から2022/11/30にまでに実装されたGRADまでのSHHis・七草にちか・緋田美琴関連コミュの展開・ネタバレを含んでいます云々。
この感想は個人のものであり、あなたにとってあなたの感想が尊重されてしかるべきです。逆もしかり。
全てのコミュを網羅できているわけでもなく、記事作成にあたって読み返し等はしておりますが何分記憶の混濁・未所持(限定)カード等もございますので、ここがこう、ということがあればぜひツイッターにリプライ等いただけたら幸いです。
ビックリします。
まだGRAD読んでないよーという方は、ぜひ読んだ上で感想バトルしようぜ~一番ポエム詠んだやつの勝ちなア~!?
※筆者は特殊な訓練を経てSHHisに関してはかなりポジティブ解釈をする癖がついていますので、肌が合わないなーと思ったらただちに服用をやめ、差し入れのカツサンドでも食べて一服してください※
「コンコルド」の錯誤
緋田美琴の個人コミュは、本人の人格もあり穏やかでゆったりした雰囲気であることがほとんどである一方で、「時間の経過」というものに対しては非常に冷たい筆致で描かれることが多いなあと。
これは本人が抱える問題として、14歳からの10年間をアイドルへ、ステージへ、夢へと向けて消費してしまって、
もう「後戻りが出来ない」=「成果を得なければならない」といういわゆる「コンコルド効果」あるいは「サンクコスト効果」と呼ばれる心理的影響下にあることを暗喩したいという意志以外の何物でもないと思っている。…
もちろん意味としては比喩的な側面が強く、本当に美琴が克服するべきはそこにはない、のだろうけれど、これは美琴の「危うさ」の演出であり、
そのスタート地点に何があったのか、というのはおそらく重要なファクターになると思われていたため、『モノラル・ダイアローグス』の結末において一時帰省を選択した時は自分も膝を打ったものだったし、先行きに光明を見出した
――はずだった。
ところで、「コンコルド」って言葉は調和とか協調を指すらしいよ。
Re;Birth/reverse.
突然の帰省、10年の空白。
美琴を待ち受けていたのは、久しぶりに地元に帰って優しく「原点回帰」などではなかった。
そんな甘っちょろい展開を許してくれる最近焼き肉が重くなってきた高山Pではなかったのだ。
弾き手を失い調律もされず歪な音を立てるピアノ、いつの間にかなくなっている「自分の部屋」。
そこに誰の悪意もない。ただ当然の帰結として時間が経って、物事が移り変わっただけ。
感情のない「時間」という冷たい現実に、都会の喧騒と鍛錬の日常の中で忘れようとしていたそれに、おそらく美琴は打ちのめされていたし、故郷でまた打ちのめされたのだと思う。
表現する術を知らなかっただけで。
シナリオが進む中で美琴の声が今にも泣きそうな少女のそれにどんどん聴こえてくるの山根さんの演技の妙。
誰だよパワーアップフラグ立ってるから美琴は大丈夫だろって言ってたやつは
俺か
逃げるように戻ってきた場所。
全てがある喧騒、弾き手を待ち調律された楽器も、弾き手を想って調律を施す人間もいる。
美琴は自覚する。
自分が「生きる」場所は、「死んで」も辿り着きたい景色への道の中にあるということを。
これはWINGの死んでもアイドルになりたいとPに宣言したあの日からの「逆転」であり、「再誕」である、というのは大げさだろうか。
いや正直初読の時は、これで一体何がどうなったんだ…?という困惑も確かにあったんだよね。です、が。ゆっくり消化ができてきたきがする。
根底にあるものは変わらない。自分の中で退路がなくなっただけ。後ろに生きる場所がないなら、前に生きていくしかない。
個人的にずっと考えていた「緋田美琴が緋田美琴のままでより健やかに変わるためにはどうすればいい?」に対する答えとしてすごくスルッとハマった気がしたんですよね。
死と生の転換。自らが足をつける地面のことを認識する。
「プロデューサー依存が強まっただけでは」「何も解決していないように見える」?
そうかもしれない。
だけどその過程で、自分を生かすもの、生きていくために必要なもの、自分を支えてくれるものへの視座を手に入れた美琴。
まあ…実家に帰ったけど結論として「あそこじゃ生きられない…」になったことはご両親には伝えない方がいいと思うけど…もう24だから大人だし…ね…
以前なら空港でお土産買ったんだで済ませたであろう(この程度の軽い人付き合いならできる、ということが美琴を読み解く際のノイズになるのすごく意地の悪い設定だと思ってる)ものを
自分で作ってみて、失敗させる、という往年の不器用系ヒロインムーブを唐突にさせたのも、
『モノラル・ダイアローグス』で明示された「他者に興味を持たない」緋田美琴の問題点へのアンサーであると思う。
自傷の殻の中に
誰しも、予防線を張り、自分で自分を卑下して心の均衡を保つ。
それは現実と戦う一つの術であり、決して弱さではないと思う。
でも、それが行き過ぎてしまったら?
主人公であるところのプロデューサーはアイドルの意志を尊重するスタンスがある以上、そこに引き籠られると介入の手立てを失い、傍に立つ、見守ることしか選択できなくなってしまう。それが感謝祭~『モノラル』までの、
七草にちかのプロデュースについてまわる歯がゆさであったように思う。
GRADへの出場も、他のアイドルたちのそれと異なり、自分を苛む不安、恐怖からの逃避としてすがる手立てであり、にちか自身に選択されるという展開へとつながっている。
そして自暴自棄に自分を削りながら走り続ける七草にちかに対して、Pは一度腹をくくる。
確かに前述のスタンスを崩せない、パーソナルな領域に踏み込むことを許してくれない以上は正直これしかない選択だと思うし、
実際わたし自身も「幻覚まで見えてるのはやべえよ」「病院行って(行ってる)♡」「もうどうすればいいのかわからない…」という感情が渦巻いていた。
途中までは。
芸能事務所のプロデューサーみたいだあ…
実際ここはプロデューサーの成長というか、「アイドルプロデューサー」としての観点からにちかが直面している壁を測ろうとする「アイドルマスター」展開で、何もできなかった『モノラル』のフラストレーションの打破だと思うの。
状況的には一縷の光が射し込むだけだけどリアル時間で溜めに溜めたカタルシス。
やっぱり突破口はアイドル活動の中にある、というのが(シナリオ構成上)綺麗だな、と思った。
にちかが何に追い詰められ、何に怯え、何から逃げようとしているのか。
そこからにちかの手を掴むために、何が必要か。
すべきことが明確になった以上、プロデュース概念が服を着て歩いている男の判断は早い。
丈に合わない靴を履いて、痛みに焼かれながら踊り続ける少女を止めること。
そのためなら、敗北を捧げても厭わない。
にちかはアイドルになった今なお、むしろ今でこそ過剰に失敗、敗北を恐れる。
それは失敗したら二度と這い上がれないだろう、というドライな視線で自分と周囲を値踏みしているからに他ならない。
一度敗北すれば終わりだ、という強迫観念はWINGも良くなかったと思うんだよねえ…はづきさんの保護者としての心配も痛切なんだけど、それが逆に呪いになってしまったというか。
だからこそ、必要なのはすぐ傍に「支え続けるものがいる」ことの証明、というのはWINGの回収としてすごく納得のいく流れ。
敗北=ゲームセットだったあの時とは違うんだぞ、というのを改めて確認させる作業というか。
お笑いくん信じとったで!(ツッコミ待ちエセ関西弁)
傷だらけのシンデレラへ
そして、靴というモチーフが出てきた以上は、わかりやすく手酷い失敗で担当アイドルと喧嘩別れした挙句家を探していた男こと天井努が擦られるというわけ。
勿論、プロデューサーと七草にちかはかつて天井努が犯した失敗を詳細には知らないし、知ろうとする必要もない(作劇上の必要性も含めて)。
だからこそ、我々メタ視点を持つものだけが、この一瞬だけ重なって、異なる未来に向かって離れていくであろう構図の美しさを堪能できる、という寸法。
贅沢だよね。
正直、二人のGRAD後の感想は「安堵した」でした。
これはこれで調教されきってる気がする。
似て非なる、
GRAD2編はSHHisWING~感謝祭・『モノラル』までをこのテーマでまとめにきたな、という印象。
全く違う理由で「自分には練習しかない」という結論に至り、結末においてSHHis二人が揃って「自分を支えているもの」にようやく目を向けることができる、という構造は意識されたものだろうし、
それは『モノラル・ダイアローグス』で提示された疑問「なぜSHHisはこの二人でなければならなかったのか」への手掛かりになるものだと思うし、
だからこそ11月30日に各種定額制音楽ストリーミングサービスで配信を開始したアイドルマスターシャイニーカラーズの楽曲群の1曲であるところの『Fashionable』の重さがわかるというか、楽曲まで含めて丁寧なシナリオライティングが企図されているんだな、という感想。
(細かいところで言えば幻覚でカミサマ見てこないで…ってなってるのルカちゃんだよねまるっきり)
時期とか間隔も当然もあるだろうけどそりゃお披露目の後じゃないとGRAD実装したくないよね…わかるよ…
或る幻想の生と死
個人コミュであるところの2人分のGRADで共通して「アイドルとしての生と死」という視点が使われてるのは明らかに次のイベントのフックなんだろうな、という印象。
冒頭でにちかが「あの人は今」的な番組を見ながら溢した「それって死んでるじゃん」という感想。
これは上で触れた部分であるところのにちかと美琴、あるいはルカの似てる部分、なのかなと。
夢を諦めてしまった、アイドルとして輝きを失ってしまった、華やかな舞台から去り、人々の記憶から消え失せてしまうことを「死」になぞらえる。
全てをなげうち夢に邁進し、叶える姿こそが美しく、賞賛されるべきものなのか?
それに対して「そうなの」?と投げかけるというのが次のSHHisイベントの核心部分、そしてSHHisの命題になるのかな、と。
改めて考えると、残りの札がLPとSTEPしかないから次のシナリオイベントが決戦…でしょうね…
関連配信
わたしのやーつ
https://youtu.be/wb6wctBcZLI
記事配信前にちょっとツイッターの感想覗いてしまった追記
「落ちてきてくれ」
キャラクターではなくプレイヤーの手に勝敗を委ねたメタ構造であるという事実が聡明なプレイヤーの皆さんに指摘されていて僕はそこで初めて気付きました(配信時もそれどこじゃなかった)
だって(SHHisの)敗北関連コミュさらうのしんど味100億パーセントなんだもん…(でもどっかでやる)
勝って当然、あるいは全部確認するのが当然、という惰性思考になっているといろんな視点が頭から毛髪と共に抜け落ちるという示唆をいただきました。
ツイッター集合知に感謝…