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虚構なるもの。~LMEの「意図」への雑記
一応ね
本記事は283 Production LIVE Performance [liminal;marginal;eternal]に関して、個人的な理解のために雑記的にアイディアを書き残したものです。
あなたが当該公演に対して抱いた感情に対して、何らかの刺激を与える可能性があります。
色々あったじゃないですか、色々。
でまあその中でおなじみになった「実在性」という言葉、概念に関していろいろな人の言及があるなあとXwitterをぼんやり眺めていた時に
はた、と思考が止まったんですよね。
「これ、言うほど実在性が重要な話なのか?」と。
というのも、今回のライブってかなり「物語」じゃなかったですか?(語弊)
シャニマス的に言えば「コミュ」と呼んでも差し支えないくらいのストーリー性の濃さ、だったような。
という視点で見返すと、割と腑に落ちるものがあった気がするので色々まとめる感じで振り返ってみよう、の回。
中身の話はあんましないと思います。構造の話。
いやeven;4の無垢でバカ泣きしそうになった話とかもしたいんだけども。
そもそもの話、これはxR(MR)ライブである、ということ。
眼前に立っているのは、キャストさんではなく「アイドルそのもの」であって、その時点で我々は極めてフィクショナルな体験をしている、といえる。
もちろん3Dモデルの作りこみは見た人には間違いなく伝わる出来だったし(靴のカットとかコメティックノートのレザーの質感とか美琴のもふもふとかシルエットの実在感とか挙げだすとマジできりがない)
そこはどうこう言うつもりはマジでなくて、あくまで見ている映像の種別、としての話ね。
「うわっあのキャラクターがそこに立ってる!」というファーストインプレッションとしての異物感。
これをいかになくしていくかがMRエンタメの命題だなあと思っているのだけれど。
その意味での今回の映像演出は素晴らしい出来でした。
MOOVさんを始めとした関係者の皆様に感謝の五体投地……!
2公演目odd;2で描かれる「体調不良による美琴の途中降板」、
これは現実では望まれざる事象であり、言ってしまえば「フィクションの中に留めておくべきこと」になる。
これの描き方がまあいつもの手癖といえばそうな感じのやり方だったので色々あると思います。ずっと追ってれば似たようなこともあったしね。
味を占めるな。味を占めろ。占めるな。
ただ、これを振り返ると美琴の物語に必要な「事件」だったのだなあとも思えて。
この「やらなくてもいいことをわざとやる」に「意志の介在」を感じることが何よりフィクショナルだなって思ったんですよね。
だってやんなくていいじゃんそんなことわざわざさあ!!なあ!!
そしてそこに思い返してほしいのがかっしーの感想会に追突してきた「はづきさんからのメッセージ」。
やり口の是非はいったん置いてこれを実際聞いた人はわかると思うんですが、
一方的な伝達ではなく「プロデューサーと応答している連絡」だったよねこれ。
ここに結構意味があるのではないか、という発想がそもそもこのnoteの発想の元だったりもするのだけど。
自分なら美琴の過労を見逃さない、という意見もさもありなん、自分以外の誰かがいるってことで(ソンの電話?知らない子ですねえ)。
つまりこのメッセージは構図として全4公演を通して「プレイヤーがコミュ(ストーリー)を読んでいる」状態が想定されている、という示唆だったのでは?
そして最終公演であるeven;4、ここにきて現実側の存在である「観客席」を含めたカメラワークが多くなったこと。
ここでフワフワしていたものが固まったというか。
何と何がevenになったのか。
七草にちかと斑鳩ルカの関係性?もちろんそう。しかしそれに加えて、
5人のアイドルの「物語」と観客の「現実」が等しくなる瞬間を企図していたのがここなのでは?
とすればライブタイトルもすんなり落ちてくる。
「物語」という限定的な空間が現実に最接近する【リミナル】ことにより、
我々は現実との「境界線」をむしろ強く意識する【マージナル】ことになり、
それでもそこで見たもの、生まれたもの、得たものが「永遠」に続いてほしい【エターナル】という願い、
が込められた題だった、虚構対現実…いわば…シン・ゴジラか!(誰も言ってないタイトル回収)というのは好意的に見すぎ?見すぎかなあ。
結局実在性はどうだったの?という問いに直接答えてない気もするのでざっくり言うんですけど、
今回のxR公演に関していえば「ストーリーの進行上必要な程度、「演出」で済む程度にしか提示されてなくない?」というのが結論です。
映像としてのリアリティある存在感とはもちろん別の話で、
むしろ我々が経験する「物語」がフィクショナルであったことから実在性が見出されるべきというか、
「アイドルが『プロデューサーさん』と俺たちを呼ばない世界」を物語として詰めた側からプロデューサーとしての我々を炙り出すアプローチ、というべきか。
………
……
…
アレ結局実在性の追求って…ことなんじゃないのか?(横転)
でもなんとなく言いたいことは伝わってほしいというかなんというか~物語の演出上におけるそれというよりはもっと大きなくくりで~公式アカウントの告知とかの演出ってそこまで重要でなくないみたいな~(高速ろくろ回転)
総括的な感想としては「また高山が『毒か薬か』やってるよ」ではありながら、
シャイニーカラーズとしてのxRライブへの所信表明を見せてもらったな、という。
映像としてはリアリティを追求しながらも、表現されるものはイマーシブな物語空間とも呼ぶべきステージ体験。
これがやれるのであれば、続いていく他ユニットのライブ…というか物語たちも楽しみにできる。
個人的にはそう思えるものでした。
まあそれはそれとして高山は殴られた方がいいよ。
割とマジで「全通しなきゃ完結しないストーリー」にする癖5thから直さないまままたやったのはもうやべえぞ高山ァ!という意識はありけり。
だけどまあ難しいよね、ライブでやろうってなったらさ。
同じ中身を水物的なブレを期待して繰り返すだけになったら間違いなくそれは退化だし。
「こういうことができるから」すごいんだ!みたいな評価軸は個人的には苦手。
やった先で(少なくとも自分は)納得できるものを出してくるシャニマスが好き、というバランスなので。