魅力のない人物を描くこと
少し前、西川美和監督の映画作品をいくつか続けて観た。
発端は、上映中の「素晴らしき世界」を夫が観たいと言って、皮切り後まもなくに観に行ったこと。裏社会に生き、長年投獄されていた役所広司扮する三上が出所し、今度こそは堅気として生きようと現実社会でもがく様を描いている。
なぜだか、この映画には心の奥底を強く揺すぶられた。
それで、西川監督の他の作品も観ようということになり、「ディア・ドクター」「ゆれる」「永い言い訳」と3作借りてきて観た。
患者の人生にまで寄り添う愛ある仕事で村民から慕われる笑福亭鶴瓶のドクターもよかったが、西川監督の第2作目である「ゆれる」の完成度と揺さぶりはものすごかった。この作品の前で私は、4作のなかで一番、涙を絞り出すようにして号泣した。
「ゆれる」のは事件現場のつり橋だけでなく、法廷の成り行きも、登場人物たちの心情も人間関係も人生もであり、観ているこっち側の心情までが容赦なくゆらされるのだった。それぞれの登場人物のキャラや心持ちが見事なまでにリアルに描き出され、田舎と都会、親子のしがらみ、兄弟のしがらみなどを鋭くえぐっていて、私も自分の姉妹関係を重ねて観てしまった。
監督自らが小説に書き下ろした『ゆれる』も買って読んでみたが、それぞれの登場人物の目線での語りで構成されていてユニークだった。よくもここまで、登場人物一人一人の心持ちになりきれるものだと感心した。映画の場面に沿った一人一人の心理描写における言葉遣いも、心の動きも、その背景に広がるその人の人生も、本人が語っているとしか思えないほどリアルなもので、それがすべて西川美和という1人の女性が演じ分け、書き分けているということのすごさにおののきながら読み進めた。
「ゆれる」の主役を演じたオダギリジョーが演技を絶賛した本木雅弘主演の「永い言い訳」も楽しみにして観たのだが、この映画にはなぜかあまり入り込めなかった。私も夫も。この映画を観て以来、西川美和監督が私たちの話題にのぼることがぱたっとなくなってしまった。
私たちは映画通というわけではないので、この作品の素晴らしさを見逃しているだけかもしれない。この作品も他の西川映画と同様に高く評価されているのだから。
映画に詳しくない一視聴者が抱いた感想をこれから述べるのだが、観始めてすぐに、
「これはすっごい難易度の高いテーマに挑戦している。なぜなら、この人に魅力がないから。」
と私は感じた。
主人公が、なんというか人間としてクズで、つまらない男なのだ。導入からたっぷりと、そのつまんなさぶりを見せつけてくる。主人公に魅力がないと、共感できないし、感情移入もできないもんだ、と知った。
多くの場合、主人公って少なくてもそんなにヤなやつではなくて、例え悪に手を染めていたりしても、その人の中の正義がちゃんとあって、そこに心を寄せることができるものの気がする。いくら不器用であっても未熟であっても、それなりに一所懸命に生きていて、共感しうるものだ。主人公がここまで魅力がないというのは珍しいのではないか。
オダギリジョーがもっくんの演技を褒めた理由に納得した。この主人公を演じるのは難易度が高いのだ。
書き手の能力があれば、どんなに魅力のない人を描いても素晴らしい作品にすることができるのではないか、と思った。いかに書くかの手腕なんじゃないか、と。
ある人物をつきつめていくと、どこにも全く魅力のない人はいない。
魅力のない人というのは、要するに、自分自身と繋がれていない人のことなんだと思う。
自分の本質と繋がれずに、幾重にもひねくれなければ生きてこられなかった人。自分のピュアで傷つきやすいところをどうにか守ろうとしている人でもあるかもしれない。
不器用で一所懸命な人は、逆に魅力をむき出しにしているイメージだが、こういうひねくれてしまった人は一見したたかで冷徹で、その人の持つピュアな人間性は分厚い箱のなかに閉じ込められ、光が外に漏れなくされてしまっているのだ。
私も多少、複雑な人間であることを自覚する人なので、奥さんが亡くなっても涙の1つも出なかった主人公には共感するし、その苦悩がわかる。
それでも、ひねくれて魅力の光を隠している人に対する共感というのは、気持ちよくないし、どこか乾ている。湿度と熱量のない共感。「うん、それわかるよ」という感じ。だから、揺さぶられないのだ。
基本的には、冷徹にしたたかに生きなければならない人への共感を、多くの人は映画に求めない。例えそれが、自分自身の中にある欠片だと感じたとしても。
ただ、作品を通してその主人公が変わっていき、僅かな一歩でも踏み出しているのを描くのだとしたら、それは観るに値するのではないか。
確かに、映画の終盤になるにつれ、もっくんの表情がどんどん良くなっていくことに目を見張った。髪の毛がむさ苦しくなっていくのに反比例して、どんどん顔が美しくなっていった。子どもたちとのふれあいが、失くしていたものを取り戻させていく、という表現ではあったと思う。ひねくれている人は、一筋縄では変わらないけれど。確実に、生きる方向性みたいなものは変わっているのを感じた。
この映画を観て泣きはしなかったけれど、何かを学びとれる映画ではあったと思う。
ちなみに、「素晴らしき世界」の主人公三上は不器用で魅力丸出しなタイプ、一方「ゆれる」のお兄さんはかなり複雑な人間だと感じた。香川照之が見事に演じきっている。
西川映画の登場人物たちは、それぞれに輝くキャラクターの持ち主だなと思う。
時間が経ってからまた観たい作品だ。
私がノンフィクションで描こうとしている人物も、かなり複雑で難易度の高い人だと感じているため、西川映画をこのような見方をしてしまったのだと思う。
ちなみに、「素晴らしき世界」を観たことが、私にノンフィクションを書くことを決心させた。