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くもんの英語をはずした理由

先日のアメリカ大統領選で、
トランプ勝利が確実になった瞬間から
トランプ政権を望まない人達(主に富裕層)が、
こぞって海外への移住コンサルタント会社に
コンタクトを取っている
らしい。
その数通常の20倍ほど。

人気の移住先は、
カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど。
お金があまりない人々には、
英語が通用する南欧が人気だそう。

そんなネットニュースを見て。
「ふ~ん、やっぱ英語圏だと人生の選択肢が広がるなぁ」
息子のくもんで何の教科をやらせるか迷っていたわたしは、
選択肢に英語も考え出した。

ところで
英語で外国人と話せます?
わたしは話せません。
人生で5分も話していないと思う。

日本人の英語話せない問題は、
私が子供の頃からあった。
最近は小学3年生から英語の授業があるらしい。
きっと国も力をいれているのだろう。

わたし、ずっと思ってるのだけど
日本人が英語話せないのは、
発音でも、文法でも、語順でも、島国だからでもなく、


単純に「話すことが無い」のが原因なんだと思う。


平たく言うと、海外の人と比べて重要な事を何にも考えていないのだ。
言い方がちょっと極端なので、訂正すると

世界の人が関心の高い
「政治」や「経済」や「環境」や「差別」や「戦争」やそういった
自分達の世界を構成している「根幹的な事」に興味が無いので、
いざ海外の人とガチンコの会話をしようとしても、
そもそも知識もなく会話が成立しないのが原因では?
と思っているのだ。


そして実は国もそれは気づいているけど、
国民が賢くなったり、政治に興味を持たれては困るから、
あえて英語教育は、文法や発音などの技術ばかりに注目させているのでは?
と勘ぐってしまうのだ。


わたしが大好きな宇多田ヒカル氏が、長期休養に入った時か、休養が終わった時か忘れたが、インタビューでこんな事を言っていた気がする。

「海外の友達と会話していると当たり前に「政治」や「経済」の話になり、自分の意見を求められる。別にそれは特別な会話でもなんでもなく、
日常的にありふれた会話のなかに、そういった話があるのだ。
それに対して知識が無く自分の意見を言えない自分に焦った。」

的な事を(わたしが勝手に脳内で再生した音を書いているだけです)
言っていた。そう、まさにコレである。

偉そうにいってるわたしも、もちろんそういった知識が豊富かと問われればそうではない。

だけど時々
「20代のわたし、やばかったな~」と思う時は多々あるのだ。
世界は雑誌とテレビと、半径5mぐらいの事しか関心のない
はっきりいって「頭の弱い女子」そのものであった。

当時はインターネットと言うものがメジャーではなく、
情報源はもっぱら「雑誌」

特に私は雑誌に載っている、
おしゃれな部屋や、おしゃれな着こなしに憧れた。
雑誌の中の世界に現実世界を近づける事「圧倒的正義」だった。

商品紹介ページに載っている、
化粧水やら口紅やらは世の中の女性がみんな買ってるものだと思ってたし、
ももの間に隙間を作るために紹介された足のマッサージ
夜せっせとやってみるくらいの女子だった。

まるで夢の中に住んでいるような感じ。


あの無駄な時間を今の私に与えられたら、超有用活用できる自信がある。
(まあでも一概に無駄とも言い切れないけど)

とにかく、わたしがせっせと
「自分磨き」という魔法のワード踊らされている間に、
世界の若者は、自分たちと世界を題材にあれやこれやを考えているのだ。
もうそれは30代になっても40代になっても
埋まらないほどの溝の様に思える。

だから、英語教育って
世の中の事に自分の意見を持つことの重要性
子供のころから認識させる事からスタートしないと、
海外の人と会話するのって難しいんだろうなと思い、
息子のくもんの教科から、英語をはずそうとおもった次第だ。

というのは建前で、
ほんとは料金が高いので2科目が無理だから
英語ははずしただけ。

あ~長い建前だったなぁ。










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