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文章をかくこと

小学生の頃、作文の授業が大好きだった。読書も文章を書くことも大好きで、手紙を書くことも好きだった。小学2年生の終わり、初めてのクラス替えを翌月に控え同じクラス全員一人ひとりに手紙を書いた。小学高学年になり、物語を作ることに夢中になり宇宙から来た子と友達になる物語を書いて、学校の文集に載せてもらった。

中学生の頃、その当時通っていた塾では受験に向けて暗記力勝負…のような教育を受けていたので、勉強が苦痛でならなかった。そんな中、暗記しなくてもよい国語の授業、特に読解の授業が好きだった。小学生の頃に流行っていた交換日記も、中学生になってもしばらく続けていたし、その頃の夢は新聞記者や編集者など文章を操る職業に就くことだった。

高校生になり、中学時代のうっ憤を晴らすかのように毎日好きなことをして過ごした。バンドブーム真っただ中、私も漏れなくずぶずぶにのめりこんだ。小中とブラスバンドで打楽器を担当していた私は、他の子より少しだけリズムが身体に刻み込まれていて、少しだけ音楽を知っていたから、クラスの目立っていた女の子からドラムとして声をかけられた。目立ちたがり屋の私は本当はフロントでギターを弾きたかったのだけど、その座はすでに中心の女の子で決まっていた。バンドや音楽については、やまほど書きたいことがあるので、また別の機会に書くことにしよう。

そう、高校時代でもやはり文章を書くことは好きだし、得意だと思っていた。国語の点数は理数に比べて格段に良かったし、読書も変わらず好きだった。

短大(当時通っていた高校では女子の大半が短大に進学していた)は、国文科。本当は英文科を狙っていたのだけど、別に英語の成績が良いわけでもなく、海外ドラマにはまっていた私は単に海外での生活に憧れていただけ…
というわけで、いくつか英文科に合格していたにもかかわらず、記念受験で受けた一番偏差値の高かった短大の国文科へ進む。
私は本当に節操がないというか、、、ブランドに弱いのだ。

短大を卒業し某有名食品メーカーに就職したものの、特にこだわりなくバイト感覚で入社したあまちゃんの私は、社会人という思いきり縛られた生活に嫌気がさし5回目のボーナスをもらってさっさと退職。氷河期にせっかく就職した有名企業をとっととやめてしまい、周りからはいろいろ言われたりもしたけど。
このころから私は文章を書くことをやめたな。始めてはやめるを繰り返していた日記もリスタートさせることもなかった。

次に何をしたいかがわからないまま、友人たちの流行に乗って1年間ワーキングホリデーに行くことにした。旅の後半の2か月、私はひとりでカナダ横断バス旅に出かけ、毎日日記をつけていた。その日あったこと、出会った人、見た景色、そして感じたこと…今までで一番素直に率直に文章を書いていた気がする。ひとりで私のことを一人も知らない町を旅して過ごす2か月なんて…もう二度とないだろうな。そのころの私が一番好きだ。

帰国後、職場を転々としながら今の会社に落ち着いている。仕事では短い文章を考えることもあるけれど、ありきたりな定型文しか書けないし、自分の意見は必要ない。

だから今現在の私の文章はわかりずらい。まわりくどい。しつこい。

本当は文章が書きたい。自由に文章が書きたいのに。