旅立って見る景色 ~自分のチームを創る~
●越境すると決めて
「八ヶ岳辺りは、面白い人が集まるんじゃない?」
そんな言葉を頼りに、ネット検索で行き先をあたる。
ただ旅をしたいんじゃない。
新たな環境、新たな人に出会って"実験"をしたいんだ。
ただ気分転換をしたいんじゃない。
何に心躍り、何が譲れないのか。
まっさらな中で、もう一度自分と出会い直す機会をみつけたいんだ。
そして始まった新たなご縁。
●1年かけて、長野へ通う
4月から、月1回ペースで長野に通うことにした。
新しい人に会うことは、私にとって大きな刺激になる。
やっぱり、そうなんだ。
誰に強制されるでもなく、自由意思で集った人々と1年をかけて取り組む。
【私は、どんな社会を実現化したいか?どんな世界を創りたいか?】
これが、みんなに共通するテーマ。
自分が実現したい社会や世界についてプレゼンし、その実験を一緒に取り組む仲間を募る。
プレゼンはしてもしなくてもOK。
だけれど、せっかく長野まで通うと決めた以上、やってみると腹をくくる。
一つ一つが自分の選択であることを意識することは、「私はどんな経験をしたいのか? どんな未来を自分に見せたいのか?」と問うことにつながる。
プレゼンして手を挙げてくれる人がいなかったらどうしよう。
怖がりが顔を出したことは、言うまでもない。
いくら頭がそういうものだと分かっていても、心が怖がるプロセスは避けて通れない。
その通過儀礼を踏んで、前に進んでみる。
●初めまして、自分のチーム
プレゼンでパワーを出し切り、やり切った感を味わったのもつかの間。
仲間入りした4人を目の前に、次なるプレッシャーが押し寄せる。
そう、言い出しっぺ=リーダーとしての役割が始まった。
バックグラウンドも年齢も住まいもバラバラな5人チーム、どれもこれも手探りである。
会社という、一定の前提やルールがある中で創り上げる人間関係とは違う。
それだけは、頭の中にいつもひっかけてあった。
【リーダー】
この言葉を聞いて、イメージするものは人それぞれと思う。
私が一つ決めていたのは、安心してその人らしくココにいられる場所を創ること。
特にお互いのこと、価値観、その由来となっている経験などを知らない時期なら、なおさら大切にしたかった。
けれど、それを願う張本人である私が、一番不安になって孤独を感じてしまっていた。
効率よく進めなくては。みんなで議論できるようにしなければ。成果物を発表用にまとめなくては。
そういった責任を背負い込み(※その感覚が本当は薄いのが問題)、プレッシャーを大きくし、メンバーとの心理的距離が空いていくのを感じた。
こういった状況を冷静に観察している自分。
ただ、心はいつものパターンを取りたがる。孤独なほうへもっていこうとする。
何かを変えたいと思っているなら、これまでやってこなかったパターン・選択肢を取るしかない。
それが、怖いことであっても。
●影の向こうにあるもの
新しい経験は、本当に気づきが多い。
外の世界を見ながら、内側では何を感じているかを常にとらえ、それはどこから来ているのか?原因や介入が必要な自分の影の部分を探っている。
影の部分を覗き込んだうえで、もう無くてもいいやと思えるものは、手放すことを決める。
良くも悪くも何の文脈もない関係性で、ただ自分という存在を発信するところからチームを創る経験。
そこでリーダーをすることは、新たな自分と出会う機会になった。
というか、宣言通りそういう機会にした!
●出来事に問われる
最後に、仲間が卒業すること。
これも、リーダーとして貴重な学び。
頼りにしていたメンバーが、チームを離れることは、やはり辛い。
心が細く小さくなっていくのを、必死でなだめているもう一人の自分を感じる。
そして、「やっぱり自分は独りぼっちなんだ」という傷が、怒りの角を現わそうとしていた。
内側をぐるぐると動き回る感情を見つめる、冷静な俯瞰の目。
その視点のおかげで、今回は怒りではなく、新たな解釈を導くことができた。
コミュニティを卒業すること、自分も散々やってきた。
それは、コミュニティが嫌になったからではない。
もうここで出来ることや学ぶことがなくなった、他の場所で新たな可能性を探ってみたい。
そういった能動的な願望を伴うが故の、卒業がほとんどだった。
自分を振り返ることで、メンバー卒業の意味を元気づける方向に持っていくことができたのだ。
これは、私自身の傷を乗り越える経験だった訳だ。
【この状況が、この出来事が、今の私に何を問うているのか?今の私にどんな解釈ができるのか?」
これを実践する、いい機会になったことは間違いない。
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