家事なんてバカでもできる

子どもの頃、母がぼくに家の手伝いをさせるときの決め台詞は、『家事なんてバカでもできる』でした。
バカでもできる家事を専らにしているのだから主婦はばかだ、と言いたいのではもちろんなく、家事なんて簡単なのだから、難しくてできないと言って逃げるのは男の子でも許されない、と言い聞かせたかったのです。
ぼくがいろんな経緯があって主夫をしていられるのは、小学生の頃から、雑巾の絞り方に始まり、さまざまな家の手伝いをさせていた母の躾も大きいと思っています。


母は女性運動に関わっていたことがあるわけでもなく、普通のOLで父とは職場結婚、長男であるぼくが臨月の時に勤務先の銀行をやめ、専業主婦になりました。
ぼくが小学校高学年の頃に、勤めていた銀行から新規にオープンする支店でパートとして働く話があり、その時からぼくが大学を卒業する頃までは働いていたのではないかと思います。会社としては、銀行業務の素人ではなく10年以上の勤務経験のあるOGをパートとして安く雇えるわけですから、労働者としては買い叩かれているということを母は重々承知でした。それでも家計の足しにはなるし、会社も金こそ出しませんが、安い賃金で即戦力になるかつてのOGたちを丁重に遇するくらいの器量は、まだ当時の上司にはあったようです。偉そうにされるのならパートには行かなかったと思います。けれど、自分たちより何倍も高い給料を取る娘くらいの正規行員から、仕事を教わるべくずいぶん頼られていた様子だったので、やりがいはあったのではないかと思います。

母にやらされた手伝いですが、掃除は今でも好きではないですね。片付けも苦手で、弟が几帳面なのになんであんたは…とよく言われました。
ただ料理は面白かった。母は食いしん坊の料理好きで、電子レンジは昭和が終わる頃にやっと買ったくらいですが、オーブンはこだわりがあり、電気ではなくガスオーブンレンジを70年代に狭い社宅の台所に鎮座させて、いろんなお菓子を焼いてくれました。母の作ってくれたパウンドケーキは絶品で、今でもこれを凌ぐものに出会ったことはありません。アップルパイ(折りパイではなく練りパイ)もよく作ってくれました。

大学卒業後も家にいることになってしまった20代の終わり頃からは、母はリウマチがひどくなって買い物や家事がしんどくなることもしばしばでした。男性は買い物嫌いの人も多いですが、ぼくは食料品の買い出しも全く苦にならない男に育ってしまったので、外で働けず家にいるものの、買い物にでて母の料理の助けをすることで、自分の居場所を見つけていたようなところもありました。

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