まじめか。
義理人情お笑いの町、大阪。
僕が住んでいる愛おしい町だ。
この町では、まじめな奴は生きていけない。
ここでいうまじめは、ちゃんとしているとか、きちんとしているとか、仕事を一生懸命頑張るとか、そういう意味ではない。
飲みの席で、
「やっぱり人生、感謝やで。他人に感謝して生きなあかんで。」
という発言に対して
「でもそれって人によりますよね。」
とマジレスしてくる奴のことだ。
大阪では絶対にマジレスしてはいけない。それは社会的な死を意味する。
だがここで、あえて、死のリスクを冒してこの発言にマジレスしよう。
感謝するかどうかは相手によるなんて、頭が固すぎてどうしようもない。これはつまり、感謝したくなるようなことをしてくれた相手には感謝するけど、そうじゃない相手には感謝できないということだ。
ビビる。そんな考え方で人生楽しいのか?これで「人生楽しくないんすよね~。」とかほざいてたら「自分のせいや。」とツッコミを入れてしまいそうだ。
感謝できないやつに感謝するから笑えるんじゃないか。わからない人のために詳しく言うと、感謝できるはずもない相手に感謝しようとすると、無理やり感謝ポイントを捏造するしかない。その捏造が面白いんじゃないか。
僕たちが生まれてくる前、赤ちゃんの国では10人ずつ部屋に集められる。そして神さまが言う。
「ここに1700cmあります。これはみなさんの10人分の身長です。みんなで仲良くわければ、みなさん全員が170cm、日本人男子の平均身長の人生を平凡に生きることができます。もし少しおいしい人生を歩みたいのなら、身長は多めに取ったほうがいいでしょう。その代わり、あなたが取った分の身長は、誰かが取るはずだった身長です。意味はわかりますね?さぁ、それでは話し合って、自分の身長を決めてください。」
今の僕たちの身長はこの話し合いの結果だ。だから、170センチ以上のヤツは欲を出したやつだ。身長欲しいな~という目をしていたに違いない。180センチ以上のヤツはペテン師だ。言葉巧みに身長を奪ったに違いない。190センチ以上のヤツはサイコパスだ。目的のためには手段を選ばなかったに違いない。そして身長170センチ以下の人は優しい人だ。身長が欲しそうにしているお友達に
「かずくん、僕の身長あげるよ」
と、自ら譲ったのだ。そしてかずくんは
「だめだよ。ふたりで仲良く170センチになろうよ」
と言えばいいものを、あろうことか
「ホント?あとで返してって言っても返さないからね!」
と、人間とは思えない返事をした情けないクズ野郎だ。なんという浅ましさだろうか。人間としての器が違う。
このストーリーを頭に入れておくだけで、170センチ以下の人には足を向けて眠れないほど感謝できるようになる。
そして、こういったことが理解できるようになれば、身長だけではなく、今の人生で味わっているすべてのことは誰かのおかげだということが理解できるようになる。
高身長でイケメンで女性にモテまくっているヤツは、自分が神だと勘違いしているだろうが、それは絶対に違う。その身長もその顔も、いただきものだ。天からではない。誰かからのいただきものだ。
と、はじめはウケ狙いで書き始めたはずなのにまじめな雰囲気になってしまった。このままではやばい。大阪の秘密結社に消されてしまう。
ホントに言いたかったのは、ありえない捏造をしろ、マジレスするなということだ。
最後に頭をやわらかくするための問題を出すからぜひ考えてみてほしい。次のようなオジさんが言いそうなボケに対してなんと返すかだ。
自分:ちょっとトイレ行ってきます。
課長:おっ!ちょうどよかった。俺の分もしてきて。
自分:???
ちなみに僕が会社で課長の返しをしたときの同僚の回答は
「できるわけないじゃないですか。」
と見事にマジレスだった。彼はお関東の出身だ。
ちなみに、「できるわけないやろ!」と語気を強めてツッコミっぽくすればいいと思った人がいるかもしれないが、できればツッコミ以外の返しを考えてほしい。
というのは、ツッコミは実は大して面白くないのだ。まさに上に書いた通り、言っていることは「できるわけないじゃないですか。」という平凡なマジレスと同じだ。
以前何かで、ツッコミをマスターしたいというニーズのほうがボケをマスターしたいというニーズよりも高いという記事を読んだことがある。おそらく関東で取ったアンケートだろう。
唯一、たとえツッコミだけはボケの要素が入るため面白さを感じるが、それ以外の一般的なツッコミは、小声で言えばマジレスだ。
そんなもの身に着けてどうしようというのか。
うわぁ、またまじめな記事を書いてしまった。
明日はウソみたいな記事を書きたい。