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静寂に動じない勇気があれば必ず笑いを勝ち取れる

言いたいことはまさにタイトル通りだ。
だが、期待しすぎないでほしい。

ある民族が踊ると必ず雨が降る。
なぜか?
雨が降るまで踊りをやめないからだ。

という根も葉もない話が、なぜか胡散臭い自己啓発セミナーで使われている。この記事のタイトルはちょっとこれに近い。

静寂を恐れなければ笑いを勝ち取れるとはつまり、すべってもすべっても笑わせるために突き進めということだ。

ハロー効果を聞いたことがあるだろうか。
ひとつが秀でているだけで、総合点まで高いと誤認してしまうという人間のバグだ。

笑いも同じで、一度笑いを取ってしまえば、あとは笑ってもらいやすくなる。……ん?ちょっとハロー効果は例えとして違ったか。まあいいや。誰も読んでないし。

え?読んでる?

マジか。すげーな。こんな記事を読む時間があるなんて、あんたさては金持ちだな。有料にしときゃよかったな。

まぁとにかく、笑いというのは、一度取ってしまえば次はさらに取りやすい。だから、最初の一発をなんとしてでも取りに行くのが正攻法だ。

だが、ここで多くの人が失敗する。

正確には失敗するのではなく、そこまでして笑いを取りにいかない。

どのジャンルでもあるあるだと思うが、失敗が怖くてチャレンジしないのだ。

すべったらどうしよう。

そんな感情に行く手を阻まれてしまう。1日1打席しか立とうとせず、しかもその1打席でホームランを打つことを目指してしまうのだ。

僕なんて1日50回くらい打席に立って、49回デッドボールだ。骨折しながら1塁に歩を進めている。あとの1回は敬遠だ。笑いを取ろうとしたら偉い人に制止されてしまう。空気を読めと。

すべりたくないという気持ちが強い人は、致命的に笑いに向いていない。なぜなら、すべるのはある意味面白いのにそれをつかむ感性がないし、すべってから笑いを取るのは、何もないところから笑いを取るよりもはるかに簡単だからだ。

ある意味初心者用の笑いを取りやすいルートなのだ。それを避けるなんて、一体どうやって笑わせるつもりなのか。

王道のやり方を1つ紹介しよう。

まず、馬鹿でもわかるボケをかます。わかりやすいボケがいい。おもしろくなくていいから、わかりやすいボケだ。間違っても、もしかしたら真面目に言ってるのかもしれないと思われるような、際どいラインを攻めてはいけない。誰どう聞いてもボケてると思われるようなベタなやつがいい。

そうすると、高い確率ですべる。場がシーンと静まり返る。その時がチャンスだ。

自分の実力ではなく、他人の力を借りよう。

その場にいるノリがいい人に責任をなすりつけよう。

「ちょっと田中くん、私がすべったみたいな空気になったじゃん」

と言ってみるのだ。

「え?俺?!」

と大きめのリアクションをしてくれれば笑い成立だ。

ちなみに、サンドウィッチマンの富澤さんみたいに

「ちょっと何いってるかわかんないっす」

でも笑いが起こるが、その場合みんなの視線が田中くんに集まり、田中くんが面白いということになる。その結果、次の自分の立ち振る舞いが一気に上級者モードになる。

ムキになって笑いを取り戻そうと新しいボケを繰り出すと、火傷する可能性が高い。ここは下心を暴露する戦術がうまくいくだろう。

「ちょっと、私がボケたのにこれじゃ田中くんが面白いみたいじゃない!」

これで自分も面白いという評判を立てることができるだろう。こうしておくことで、次から笑いをとりやすくなる。

たいぶ本題とずれてしまったな。

静寂に強くなると、自然と笑いが取れるようになってくる。静寂の中で堂々としている人はそれだけで面白い。

僕がこれを強く実感したのは、ビル・バーというコメディアンのスタンドアップを見たときだ。彼は静寂を味方につけていると言っても過言ではない。

スタンドアップは漫才とは違い、一人のコメディアンがマイク1本でひたすらジョークを披露する笑いだ。

1人だから、ときどきシーンとした静寂が生まれることがある。これはすべったせいで生まれることもあれば、単に水を飲んだりといった行為によって間が生まれることもある。

そんなとき、アメリカの気風なのか、客席から口笛とか叫び声とか、とにかく静寂にならないように音が発せられる。客もシーンとすると気まずいのだろう。

しかし、そんなときでもビル・バーは実に堂々としていた。

口笛を吹いた客に向かって

「静寂は気にならない。無理に間を埋めようとしなくていい。」

と言ったのだ。

この一言で会場は爆笑に包まれた。

静寂の中で堂々とすることができたら、プロの世界だけでなく、日常でも笑いを取りやすくなる。

明日から練習しよう。

まずは静寂をつくるところから。

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