面白くない佐藤くんの挑戦
今年こそ笑いを取りたい。
職場で一番おもしろくない佐藤くんが鼻息を荒くしていた。
僕は何かにつけ佐藤くんの笑いのセンスを開花させるべくアドバイスを送ってきたが、今のところ面白くなる気配がない。
この時点で個人的にはかなり面白いのだが、佐藤くんはカッコよく笑いを取りたいらしく、「頑張っても面白くない」という面白さでは不満なようだ。
去年、佐藤くんはツッコミをマスターしようと頑張っていた。おそらく、誰かのボケに便乗して笑いを取れる楽なポジションに見えたのだろう。
何度も書いてきたが、基本的なツッコミは誰でもできる。マジレスを語気を強めて言うだけだ。
誰かが、
「お母さん、この書類なんですけど…」
とボケたら、
「課長やろ!」
と言うだけでいい。その人はお母さんではなく課長ですというマジレスを強く言うだけだ。誰でもできる。
彼はこれすらできなかった。
僕がボケても、横で「なるほど~」と言うだけだった。スタンスが傍観者なのだ。自ら闘技場に足を踏み入れる気はない。笑いを取るためにスベり倒して血まみれになっている僕を見て、分析しているのだ。それでは一生笑いを取れるようにはならない。
さて、そんな佐藤くんだが、新年を迎えたこともあり、新しい目標を宣言してきた。
今年はボケに挑戦するというのだ。
何か悪いものでも食べたのかもしれないが、僕はその宣言を確かに聞いた。約束は約束だ。
だが、簡単なツッコミすらできなかった彼がボケられるだなんて思えない。到底無理だろう。そこで彼に聞いてみた。
「ボケるって、何をするかわかってる?」
「面白いことを言えばいいんですよね?」
やはりわかっていなかった。彼はボケる=面白いことを言うだと思っているのだ。しかし、これは違う。たとえば、ダジャレはボケではない。「アルミ缶の上にあるミカン」などは言葉遊びとしては面白いが、ボケではない。
また、漫談もボケではない。
「NHKが来たときは『今お母さんいないのでわかりません』で乗り切ってる。」
という話は、面白いがボケではない。
では、ボケとはなんだろうか。
端的に言えば、ボケとは「間違い」である。笑いを取るためにわざと間違えることをボケるという。
だから、リンゴを見て、「おいしそうなミカン」というのも立派なボケだ。もっというと、「カボチャ」でも「マグロ」でも「えんぴつ」でも、わざと間違えたならすべてボケである。
しかし、残念ながらボケの99.9%は面白くない。宝くじと一緒で、アタリは一握りしかない。ミカンと言われても、マグロと言われても、特に面白くはない。つまり、ボケた人はスベッたということになる。
ボケて笑いを取るとは、ちょうどいい絶妙な0.1%のアタリを見つけることなのだ。
ちなみに、この0.1%には絶対的な答えがあるわけではない。「リンゴをボケるときは〇〇と言うと必ずウケる」という定石はない。さきほどミカンでは笑えないと書いたが、もしその前にミカンで大盛り上がりしたくだりがあれば、ミカンでも大いにウケる可能性がある。
この0.1%を見つける作業にマニュアルはないのだろうか。僕が思うに、おそらくない。だが、初心者ならこれくらいからチャレンジしたらどうだろう?という提言ならある。それは、「別の視点としてあり得るレベルの間違い」を探すというものだ。ただし、あくまでも初心者向けであり、笑いのレベルとしては決して高くない。
例えば会議の終わりで、
「本日は私の結婚披露宴にお集まりいただき、」
と挨拶しても全然ウケない。間違いなくスベる。スベるどころか、普段から相当強烈なキャラで生きていない限り、ボケていると気づいてもらえるかどうかも怪しい。一同ポカーンとされて終わりだ。
しかし、
「宴もたけなわではございますが、」
という挨拶はウケる可能性がある。つまらない会議の締めの挨拶で、楽しい飲み会の挨拶を使ってしまうという間違いを本気でやってしまったのなら、それはかわいい。わざとボケたとしても、表情や言い方を間違えなければ、十分笑いを狙える。
話を戻すが、佐藤くんは自らボケて笑いを取りたいのだから、これからはわざと間違えることにチャレンジしなければいけない。
これは非常に勇気のいるし、難しいことだ。目の前にパッとリンゴを出されて
「おいしそうなミカンやな」
と、さして面白くないボケを返すことでさえ、普通は容易ではない。目の前に実在するリンゴのイメージは非常に強力で、リンゴを見てリンゴ以外のものを答えるには少しばかり訓練が必要だ。
でも僕は、佐藤くんの気持ちの変化が嬉しい。ツッコミで笑いを取りたいというのは、いわば楽して稼ぎたいと同じようなもので、効率的で二枚目な感じがある。(プロ級になると話は別だ)
それに比べて、ボケて笑いを取るのは、泥臭く、効率が悪く、三枚目なところがある。お関東出身の彼が、傷つく領域に足を踏み入れようとしていることは、それだけで嬉しい。
ただ、正直、いきなりは無理だと思っている。佐藤くん頭の固さ、マジレスぶりはダイヤモンド級で、事実を正確に述べることしかできない。わざと間違えるのは、彼にとっては想像以上に難しい挑戦になるはずだ。
そこで、僕は提案した。
ボケに乗っかることから始めてみてはどうかと。
まず最初に僕がボケる。最初にスベるかもしれない恐怖はこちらで引き受ける。だから、佐藤くんは「なるほど~」と分析するのではなく、ボケに乗っかって欲しい。
通常の会話では、ボケは出てこない。当たり前のことをそのまま話すだけだ。そのレールから急に違うレールに移るのがボケだ。この作業は難しい。だから僕がやる。
佐藤くんには、僕が引き直したレールに乗って次のボケを展開してほしいというわけだ。
たとえば、
「昨日金縛りにあったんやけど、うち幽霊おるわ」
とボケたとする。これまでの佐藤くんなら100%、
「幽霊なんていませんよ。それに金縛りの原因は疲れやストレスだということが医学的にわかっています」
と返してくる。(個人的には逆に面白いと思っている)
しかしこれからはそうではなく、幽霊が原因だというボケに乗っかり、幽霊がいる前提で会話を展開するということだ。これなら自由にボケるよりも、筋道がハッキリしている分ハードルが下がるはずだ。
そんな会話を年始からしていたところ、チャンスが訪れた。
佐藤くんが「ちょっとトイレに行ってきます」と席を立ったのだ。僕はこのチャンスを逃すまいと、すかさずいつものやつを繰り出した。
「じゃあ俺の分もしてきて!」
佐藤くんは過去、このボケに「できるわけないじゃないですか。」と見事にマジレスした苦い過去がある。
今度はどうだろう?
僕がこのボケを発した瞬間、佐藤くんは明らかに動揺した。そして、必死に考えているのが見て取れた。状況は理解しているようだ。
何秒経過しただろうか。タイミングとしてはアウトだが、彼は必死だった。もうちょっと待とう。
そしてついに佐藤くんが口を開いた。
「まかせてください。」
ちがーーーーーーーーーーう!
そうじゃないんだよ。たしかにレールには乗ってきたけど、それは何もボケてないだろう。
僕は彼にもう一度ボケなおすように言った。すると彼はちょっとムッとして、逆に言い返してきた。
「いやいや、無理でしょこんなボケ。俺の分もしてきてって言ったら、そこで完結するじゃないですか。これ以上ボケるとかないです。」
「いやいや、あるやろ。想像力働かせてや。俺の分もすることになったら、どんなことが起こりそう?もしかしたらこうなるかも?っていう仮説なんていくらでもあるやろ。」
彼は完全に諦めモードだった。
「じゃあ、かずさんだったら何ていうんですか?」
彼はちょっと怒り気味だった。こんなムードで試されるのはキツいが思いついたことを答えた。
「僕ウォシュレット一番強くするんですけど、お尻大丈夫ですか?とか。」
彼は眼を見開いて答えた。
「なるほど~」
出たな分析官。それじゃあ傍観者に逆戻りじゃないか。
佐藤くんの笑いの道は険しい。
てゆーか、なんで笑いを取りたいんだろう。
今更ながら疑問に思えてきた。
今度そのモチベーションの源泉を聞いてみよう。