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<第156回直木賞受賞第一作 日本各地の旧軍都から“記憶”が溢れ、暴れ出す!? 『蜜蜂と遠雷』著者の最新作&真骨頂!(角川書店)>と帯にある。
恩田陸著『失われた地図』(2017年2月10日/KADOKAWA)
KADOKAWAの季刊妖怪専門ムック「怪」に2011年から連載されたシリーズ作品をまとめた小説集。
全国に点在する旧日本軍に関連する都市に発生する空間の裂け目とそこから湧いてくる“グンカ”(いくつか漢字を当ててみてください)。主人公たちは、大昔から、どうも時間とか怨念とかを封じ込める使命を負った一族のようで、激しくナンブを乱射してくるグンカを押し返しながら裂け目を文字通り針で縫い合わせていく。
それが錦糸町、川崎、上野、大阪、呉、六本木を舞台に繰り広げられていく。
ぼくは本書を図書館で借りてきた。
帯は単行本の奥付けに切り貼りされていて、最後に読んだ。
最初に読んだ恩田陸作品は『光の帝国‐常野物語』だった。
引っ張り出してみたら1997年10月30日第一刷発行とある。 二十二、三年前に読んだのだろう。
その後、文庫本の『夜のピクニック』、『三月は深き紅の淵を』、『不連続の世界』、『象と耳鳴り』、『朝日のようにさわやかに』と何の思惑もなく乱読してきての本作である。『六番目の小夜子』、『蜜蜂と遠雷』は未読のままだ。
最初に読んだからではないと思うが、『光の帝国‐常野物語』は今回拾い読みしてみても面白い。いや、ぼくの性に合うと言った方がいいか。
恩田陸さんが創り出す“世にも不思議な物語”の不思議性は、他の小説、物語とはちょっとニュアンスが違うと云うか、“際”に存在していると言えば良いのか...
『光の帝国‐常野物語』も「小説すばる」に連載されていたもので構成されている。
その1995年12月号の「光の帝国」がタイトルになっている。
特殊な能力を持ってしまったが故に、為政者、国軍に“国を救う”という名目で、理不尽に利用されようとする一族。
大人も子供も容赦なく。
ぼくの中の恩田陸作品の原点は、やはり、『光の帝国‐常野物語』だった。
「光の帝国」を読み終わった時、同じだよ、同じですよ恩田さん。世界には、人間には“正義”というものがある。
広島と長崎の有史以来の恐怖の刻印は、それを落とした国の人にとっては戦争を終わらするための正義だったと思っている人もたくさんいる。
そんな統計の載った記事を読んだ。
正義は、それは誰が掲げている正義なのか。それが怖い。
もう一度、恩田陸さんの物語を読み返してみよう。
正直、『失われた地図』はぼくの守備範囲じゃないけれど、こうして、また「光の帝国」に出会えた。
沢木耕太郎さんの『世界は使われなかった人生』であふれてる』には、ぼくがこれまでに観てこなかった映画のことが様々に紹介されている。
ぼくは、ぼくが生かされているこのセカイで、あとどのくらいの本と出合えるのだろう。どれだけの物語を読めるのだろうか。