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土管からエッセイ

昨日、土管がきていることを紹介した。

土管から絵、俳句、写真、小説等、みなさんの創作性溢れる作品を紹介した後、ぷーさんが土管から曲で乗っかってきた。真心ブラザーズの「どか〜ん」である。そっちで来たか。


私が思い浮かべたのは、横浜銀蝿のツッパリハイスクールロックンロール(1981)。

今日も元気にドカンを決めたらヨーラン背負ってリーゼント

で始まる。

ドカンというのは、太ももまわりから裾までがストレートに太い改造学生服。土管の形状からそう呼ばれる。校内暴力全盛期であった当時の不良アイテムだ。ちなみに、ビーバップハイスクール時代になると、もも周りが太く裾がほそいモンペ型が主流になる。ボンタンと言う。

さて、40年前。ドカン、リーゼント、サングラスで決めた横浜銀蝿がはじめてテレビに登場したときの、「なんじゃこりゃ」という母の顔を覚えている。親たち世代には受け入れがたいビジュアルとコンセプトだったのだ。母がそういう反応をしたことは他にもある。「いけないルージュマジック」の坂本龍一と忌野清志郎、「リンダ・リンダ」のピョンピョン跳ねる甲本ヒロト、「クルクルミラクル」の篠原ともえ等。

こういった、いわば「異形」のスターというのは、同世代から下には熱狂的に受け入れられ、上の世代からは眉をひそめて見られてきた。日本に限らず、ミック・ジャガーやシド・ビシャスやデヴィッド・ボウイなんかも同じ範疇。

親世代がアンチになるからこそ、若者世代は一層熱狂的になるという構造があったと思う。親世代とは違う、自分達のアイデンティティを獲得し、自信に変える通過儀礼なのかもしれない。

多様性が尊重される今はこのような構造が出来にくくなっている。友達のような親子関係が良いとされ、レディ・ガガや椎名林檎やAdoを一緒に聞く親子も少なくないであろう。篠原ともえは若者から支持されたが、それを模したふわちゃんは全世代から支持されている。

支持するスターと同様、ファッションも若者の数少ない自己表現の一つ。

好きな服を着てるだけ悪いことしてないよ

プリンセス プリンセスのダイアモンド(1992)にも親世代、若者世代のアイデンティティを巡る闘争が見られる。今は、男の子がスカートを穿きたいと言い出しても、止めることを憚られる時代。

多用な価値観が認められるようになって良かったね。そう単純でもない気がする。

バタイユは禁止と違反のセットこそ、人間が全体性を回復する上で必要なことを説いた。ときおり現れる異形のスターや奇抜なファッション、若者世代からは熱狂的に受け入れられ、親世代からは眉をひそめられるカルチャーは、そんな構造を作りだしてきたのではないか。

多様性の時代には、若者の選択肢が増えた一方、禁止のハードルが下がった。違反せずとも目標に到達しやすくなったということ。若者の健全な成長に必要な、アイデンティティ獲得のプロセスがスキップされているのかもしれないな、と思った次第。

土管から哲学っぽく締めてみた。


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かっちー
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