関わる人が安心して過ごせる場所をつくるということ

 10月第4週。学校が「こども」にも「おとな」にも「しんどいもの」になってしまっている現状を伝える記事が配信されていました。

自分にとっての「学校」

 いろんなことがあったけど、自分にとっては「学校」はとても思い出深く大事な場所の一つです(教員の道に進むことを決めた要因でもあります)。

 何か特定のグループに属するみたいな感じだったわけではないけれど、学校の中でそこここに、「居場所」と思える「場」があったように思います。
クラスだったり、部活動だったり、委員会だったり、放課後の教室だったり……
 学校という一つの「居場所」ではなく、学校には、様々なかたちの「居場所」が内包されていると、個人的には考えています。

いろんな「こども」にとっての「学校」

 現状の多くの学校のしくみ上、学級や授業という枠組で「しんどさ」を感じてしまう子にとっては、学校に行くことがしんどくなってしまうこともあるでしょう。
 あるいは、「居場所」を一つも見つけられていない中で、しんどさ だったり、ちょっとしたきっかけ(例えば、感染症なんかでの学級閉鎖や出席停止期間が長くなるとか)だったりがあると、学校に行きにくくなるというのはあり得るだろうとも思います。

「おとな(先生)」にとっての「学校」

 ブラック部活動とか超過勤務が横行しているとか、学校現場の大変さは各種報道等でかなり公に認識されるようになってきました。学校でも働き方改革が進んでいますが、過去何十年という積み重ねがある「職員室」の文化を切り開いていく難しさを感じています。

 「こども(児童生徒)のため」というパワーワードが、いろいろな変化を進めて行く中で、足かせになっています。保護者、地域、官公庁、管理職、同僚からはもちろんのこと、本当は変えていかなければいけないと思っている自分の中からさえ、パワーワードが出てきてしまうことがあるでしょう。

 多忙感や監視の目やパワーワードによるムリが少しずつ重なっていって、「大変な場所『学校』」がおとなの中にもできてしまっているように思います。

誰もが安心して過ごせる場づくりを目指して

 かれこれ6年半ほど関わっている学習支援団体(Kacotam)では、「安全基地」であることが大事にされています。

 かなりその部分に振り切ったのが、「ゆるきち」だったり「学ボラ」だったりしますが、他の活動も基板としてもっているマインドは同じです。

 利用する子どもが「安心」を感じられるようにすることはもちろんですが、活動するメンバー(職員・ボランティア)にとってもそんな気がする(そうであってほしい)と思っている中の人は少なくないと思います。

 ただ、「コロナ禍」での「リアルな交流のしにくさ」が、そういった雰囲気をメンバーの中でつくっていく上で、かなりの足かせになっているように感じています。
 「お互いを尊重する(多様性を認める)」の基盤となるはずの、お互いを知る機会(メンバー同士だったり、メンバーと団体の間だったり)をどのようにして確保していけるのかは、「誰もが安心して過ごせる場」をこれから長く、そして北海道という広域で展開していく上で、大きな課題になるでしょう(個人的には、オンライン(ビデオ通話、テキストチャット等)でも十分補完できると思っているけども….)。

まとまらず

 NPO・株式会社・学校 という三足のわらじを履いている今、それぞれの組織で「安心」とそれを担保するための「コミュニケーション」がどうやってできるのかを実践したり、考えたり、観察したりしているんですが、共通するものはありつつも、実現していくための方策にはいろいろな難しさがあるように感じています。

 「学習」を支援していく上で、「安心」とか「信頼」とかはとても大事なものだということを突然主張して、結びに変えます。


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Katsuya SAITO
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