異語り 129 節分
コトガタリ 129 セツブン
節分の日は、豆まきの後に家族の名前を書いた半紙に家族分の数え年の数の炒り豆を包み近所のお地蔵様にお参りに行っていた。
関西の実家の辺りは地区ごとぐらいにお地蔵様の祠があり、それぞれが丁寧に奉られている。今はどうだかわからないが、地蔵盆も毎年行われていた。
子どもの頃は夜に外に出ることも少ないので、節分の夜のお参りはちょっとわくわくしていた。
豆を包んだ半紙と蝋燭マッチを持って、車がほとんど通らない細い路地を入っていく。
路地の突き当たりに小さな祠があり、その日は祠の格子戸も開かれていた。
豆を供え蝋燭を灯し家族の1年間の健康をお願いする。
お参り後の豆を持ち帰り、それぞれが数え年の分を食べる。
それだけのことなのだが子どもの頃はとても楽しかった。
ただ、この行き帰りは決して後ろを振り返ってはいけないらしい。
自分たちが大きくなるとお参りも任せてもらえるようになった。
二つ下の弟と子どもだけで何度かお供えに行った事がある。
仲は悪くはなかったが、仲良しでもないくらいの年代
あまりしゃべることもなく祠への道を往復したように思う。
近所とは言え夜道なので一人では許可が下りず、お互い渋々だったのかも知れない。
ある年の節分の夜。
もう毎年のことなので文句を言うこともなくお参りの準備を整える。
弟も喜ぶでもなく、嫌がるでもなく、当たり前に準備をしていた。
この頃は近所も区画整理やら建て替えやらで道が広くなっていたりと少し景色も変わってきていた。
でも、路地の奥の祠周りだけは昔のまんま、ちょっと湿っぽい空気がたまり僅かに生暖かい。
豆を供え蝋燭を灯す。
静かに手を合わせていると、フッと風が吹き蝋燭が揺れた。
ジジジジジジッ
消えかけた蝋燭が息を吹き返す。
なんとなくホッとしていると、もう一吹きしてきた風がその火を消してしまった。
「まあ丁度ええし帰ろっか」
弟は手早く豆と蝋燭を回収した。
「そやね、帰って豆食べんとな」
普通の顔してそう返した。
来た時よりも若干早足で路地を戻り始める。
路地の奥、自分たちの後ろから風が着いてきた。
生暖かく、少し……臭う。
こんな風習が残っている地区だから、そのほかにもいろいろと儀式(?)的な物も残っている。玄関に柊と鰯の頭を飾っている家もある。
きっとそんな物たちの臭いだ。
そう思ったものの足は自然と速くなる。
弟も何かを感じているらしく、平静を装っては居るがその足はもはや小走りみたいになっている。
【振り返ってはいけない】
理由は聞かされてはいないが、そう言うもんなんだと心が理解してしまっている。
振り向いて確認しようなんて気持ちは微塵も沸いてこない。
足音なんて聞こえない。
影も気配も感じない。
でも何か気になる。
小走りで五分程の距離がものすごく遠く感じた。
路地を抜け、大きな国道沿いを通りマンションの敷地に駆け込んだ。
エレベーターを待つのも嫌で三階まで階段を駆け上がった。
息を切らして帰ってきた自分たちを母が驚いて迎えてくれた。
「ひょっとしてあんたらも会ったんか?」
どうやら母も昔同じような感覚を味わった事があったらしい。
でもその時は、まだ幼かった自分と弟がのんきに歌ったり踊ったりしていたおかげで恐怖に捕らわれずに済んだのだという。
その年以降はまた家族でお参りに行ってたのかな?
自分が上京して家を出た後は「豆まきだけしかしなくなった」と聞いた気がする。
今はさらに区画整理が進み、あのお地蔵様への路地がなくなってしまったらしい。
お地蔵様自体も残っているのか確認できていない。
親の記憶も怪しくなってきているので、節分のお参りのことを聞いても首を傾げられてしまう。
あれ?
お参り……してたよねえ。